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、 2025年1月17日 (金)
'''日田市'''(ひたし)は、大分県の北西部に位置する市である。日田市は大分県に属するが、筑後川水系にあるため歴史的に福岡県の筑後・筑前地方とのつながりが強い。
== 歴史 ==
=== 地名の由来 ===
[[令制国]]としては[[豊後国]]に属した。「日田」の地名の由来にはいくつかの説があり定かではない。
720年から740年頃に成立した『[[豊後国風土記]]』では、[[景行天皇]]が九州遠征時に浮羽から日田に立ち寄った際に、「[[比佐津媛|久津媛]]」(ひさつひめ)と名乗る神が人となり現れたことに因んで名づけられたもので、後に久津媛が訛って「日田」になったとしている。
また、[[承平 (日本)|承平]]年間(931年 - 938年)に成立した『[[和名類聚抄]]』では、'''日高郡'''とされており、「比多」の訓が付されている([[元和 (日本)|元和]]古活字本巻5)。現在も三芳地区には「日高町」という地名が残っている。
[[江戸時代]]に成立した『豊西記』には、「湖であった日田盆地に大鷹が東から飛んできて湖水に羽を浸し、羽ばたき、旭日の中を北へ去ると、湖水は轟々と抜けて[[干潟]]となった。そして日隈、月隈、星隈の三丘が現れた。」という「日と鷹神話」があり、それよりヒタカと呼ばれるようになったという。
=== 先史・古代 ===
[[小迫辻原遺跡]]より、3世紀末から4世紀初頭にかけての[[豪族]]の環濠居館の跡が出土している。また、[[ダンワラ古墳]]からは1世紀 - 3世紀頃の[[漢鏡]]と推定される[[金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡]](国の[[重要文化財]])が出土している。この鏡には[[卑弥呼]]の鏡ではないかとの説もあり、2009年に[[九州国立博物館]]4周年特別展で展示された際には「卑弥呼の鏡か?」とのコピーとともにPRされた。
学術的には[[偽書]]とされる『[[先代旧事本紀]]』国造本紀に、古代ヒタにおいての[[国造]]には、「[[成務天皇]]の時代に[[葛城国造]]同祖、[[鳥羽足尼]]([[宿禰]])を定めた。」とある。止波宿禰(鳥羽宿禰)は、470年以降([[古墳時代]]後期)に靱編連(ユギアミノムラジ。現在の日田市刃連町付近)に会所宮(現在の会所山久津媛神社周辺)とよばれた屋敷に居住し、村人に農業などを指南した人物として『豊日志』(現存せず)に記されていたとされる。
『豊後国風土記』靭編郡の条には、[[欽明天皇]]の時代、[[日下部氏]]の祖である邑阿自(オウアジ)が靱部として仕えており、村について家を構えた。これにより靭負(ユギオイ)村とよび、後に靭編(ユギアミ)郡と呼んだとある。ちなみにユギオイとは、靭(ユギ・ユキ、矢を入れる容器)を使用する者をいい、ユギアミとは、靭を作る者のことをいう。[[大化の改新]]後は[[郡司]]に任ぜられ、[[大蔵氏 (豊後国)]]が郡司に就くまで日田の支配権を握っていたと考えられている。
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[[Category:日本神話]]
[[Category:民族等]]
[[Category:葛城氏|*]]
[[Category:地名]]