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846 バイト追加 、 2024年12月23日 (月) 21:18
物語の最後に登場する雉は女主人公のトーテムといえる。雉が死ぬと同時に女主人公も姿を消す。
=== 雉も鳴かずば、との比較 雉も鳴かずば、の比較 ===
全体において、「'''父と娘'''」の伝承の感が強いのだけれども、信州新町の話と、松浦市・大阪市との話で大きく異なる点は、「'''娘の性質'''」であると考える。信州新町の話では「娘の失言」によって父親は死に至る。要は'''娘が父親を死に追いやっている'''。松浦市・大阪市の話では失言は「父親自身の失言」であって、「'''自己犠牲'''」というおおよそ太古からの伝承にはあまりそぐわないようなここ2000年くらいの新しい概念が目立つように思う。父親は自分で勝手に死を選ぶ。これが錦帯橋の話になると、もはや雉は登場せず、娘二人の「'''自己犠牲'''」という話になる。時代が新しくなるほど、'''女性が犠牲になる話になる'''、という点は、管理人としてはやや遺憾に感じる。(別に男性が犠牲の方がいい、とは言わないけれども。)
ただ、錦帯橋の伝承の良いところは「'''娘が二人いる'''」という点だと考える。娘は本来二人いたと思われるからである。この系統の伝承で、起源的に近いものは記紀神話の中の、[[天若日子]]の話と思われる。[[天若日子]]の死に関して、二人の女神が登場する。一人は不吉な言葉を吐いて、[[天若日子]]の死の原因になる[[天佐具売]]である。もう一人は[[天若日子]]の妻の[[下光比売命]]である。
「雉も鳴かずば」と比較した場合、信州新町の「娘」は父親を死に追いやる[[天佐具売]]的な性質である。おそらく神話で[[天佐具売]]と雉の[[鳴女]]は「同一のもの(不吉な言霊で人を死に追いやる女神)」と考えられているのだろうが、信州新町の「娘」も同様の性質を持つと見え、雉の死と共に消えてしまう。雉を射た狩人は彼女の夫であったかもしれないが、そのことも語られない。管理人の考えでは、この不吉な娘は、健御名方冨命彦神別神社(水内神社)の境内社・伊勢社に祭神として名が見える「は「同一のもの(不吉な言霊で人を死に追いやる女神)」と考えられているのだろう。信州新町の「娘」も不吉な言霊を持つ性質で、彼女は雉の死と共に消えてしまう。この「娘」は[[天佐具売]]と[[鳴女]]を併せた機能を持っているようだ。雉を射た狩人は、松浦市・大阪市の伝承から推察するに、「娘」の夫であったかもしれないが、信州新町の話ではそのことは語られない。 管理人の考えでは、この不吉な娘は、健御名方冨命彦神別神社(水内神社)の境内社・伊勢社に祭神として名が見える「'''伊豆玉姫命'''」を民間伝承化したものと考える。おそらく祭事に際して人身御供を定める権限のある女神と考えられており、それがたとえ、父親や夫であったとしても女神が定めた運命からは逃れられなかったものと思われる。[[鳴女]]も伊豆玉姫命が定めた犠牲者としての女神だった可能性がある。[[鳴女]]は伊豆玉姫命と一体化する存在でもあるし、下位の女神として犠牲になる女神でもあったのだろう。は伊豆玉姫命と一体化する存在でもあるし、下位の女神として犠牲になる女神でもあったのだろう。「'''伊豆玉姫命'''」とは[[伊豆能売]]という女神に近い女神だったと考える。その原型は[[神阿多都比売]]という'''火山の女神'''だったと思う。'''火の女神'''であり、'''疫神'''であり、'''月神'''である。ただし、'''正しく取り扱えば人間の役に立ってくれる'''。あるいは'''子孫の人間を守護してくれる祖神'''ともいえたのではないか。そして管理人の考えが正しければ、'''伊豆玉姫命'''すなわち[[伊豆能売]]、[[神阿多都比売]]という女神と[[天佐具売]]は「同じ女神」ということになると考える。
== 関連項目 ==

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