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1,199 バイト追加 、 2024年12月22日 (日) 01:08
<blockquote>往昔 青葉山中ニ陸耳御笠(クガミミノミカサ)ナル者アリ 強悍暴戻壇ニ良民ヲ剽掠シ上命ニ従ハス 是ニ於テ日子坐王勅ヲ奉シ討伐セラル 是時ニ当テ軍勝ヲ賽セン為メ清浄ノ地ヲ撰ミ素戔嗚命 経津主命 建御雷命ヲ祀リ号シテ布留ト称ス</blockquote>
とあるとのこと。
 
<blockquote>当社にはかつて存在したという「大倉木神社」ではないかとする説があるようだ。<br>「丹後國風土記」殘缺(江戸末期)には加佐郡志楽郷の「春部村」の項に、「大倉木社」という社名が見える「'''大倉木社 祭神國造''' (以下3行虫喰)」とのこと。<br>'''大倉岐命'''は「先代旧事本紀」国造本紀に、成務天皇の御宇に'''尾張連同祖'''の建稻種命四世孫 大倉岐命を'''丹波国造'''(当時はまだ丹後国は丹波国から分離独立していない)に定めたとある。また「尾張氏系図」には天火明命十一世孫 淡夜別命の子として記されている。<br>「志楽郷」について「丹後國風土記」殘缺に『以て志楽と號くる所は●●●(三字虫食い)'''彦名命大穴持命''' 巡り覧て天下を治る時に當りて 而して悉く行きて此國を巡り畢へ 更に高志國に到りし之時 '''天火明神'''を召して汝が知ろしめす此國は領める可くと命じることを詔す 火明神大いに歡喜びて永き母也靑雲乃志良久と曰く 故に志楽と云ふ也</blockquote>
=== 磯砂山 ===

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