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== 建造時期・目的 ==
建造時期、目的共に不明で、いくつかの説が出されているものの、結論は出ていない。
* [[川原寺]]の所領の西南隅を示す石標川原寺の所領の西南隅を示す石標<ref>奈良国立文化財研究所編『川原寺発掘調査報告』奈良文化財研究所学報第9冊 1981年、p.50-51</ref>、条里の境界説<ref name="井上門脇" />。* 未完成の[[猿石]]説未完成の猿石説<ref name="井上門脇" />。* 大化3年(647年)[[新羅]]の[[武烈王|金春秋王子]]が外交使節として来朝するにあたっての歓待用に、新羅渡来系石工に造らせ、周囲で舞楽をした説大化3年(647年)新羅の金春秋王子が外交使節として来朝するにあたっての歓待用に、新羅渡来系石工に造らせ、周囲で舞楽をした説<ref>門脇禎二『新版 明日香 - その古代史と風土』NHKブックス 1977年、p.212-216</ref>。* [[仏教]]伝来以前の土俗[[民間信仰]]の対象物説仏教伝来以前の土俗民間信仰の対象物説<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.asukabito.or.jp/spot_18.html |title = , 亀石 - 公益財団法人 古都飛鳥保存財団|accessdate=2020-07-05|archiveurl=, https://web.archive.org/web/20220520231538/https://www.asukabito.or.jp/spot_18.html |archivedate=, 2022-05-20 |}}</ref>。* [[斉明天皇]]の時代に[[グリフォン]]像を造ろうとしたが、[[乙巳の変]]での[[蘇我氏]]滅亡により、加工途中で放棄された説斉明天皇の時代にグリフォン像を造ろうとしたが、乙巳の変での蘇我氏滅亡により、加工途中で放棄された説<ref>[[松本清張]]『ペルセポリスから飛鳥へ松本清張『ペルセポリスから飛鳥へ:清張古代史をゆく』日本放送出版協会 1979年、p.157、202</ref>。
== 伝説 ==
伝説によると、[[奈良盆地|大和盆地]]一帯が湖であった頃、川原の[[ナマズ|鯰]]と対岸の[[當麻町|当麻]]の[[ヘビ|蛇]]の間で争いがあり、後者が勝った結果、湖水を全て取られて干上がり、棲んでいた亀はみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、亀石を造って供養をしたという。亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。そして、現在は南西を向いているが、当麻の方角にあたる西を向いた時、[[大和国]]一円は泥の海と化すという伝説によると、大和盆地一帯が湖であった頃、川原の鯰と対岸の当麻の蛇の間で争いがあり、後者が勝った結果、湖水を全て取られて干上がり、棲んでいた亀はみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、亀石を造って供養をしたという。亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。そして、現在は南西を向いているが、当麻の方角にあたる西を向いた時、大和国一円は泥の海と化すという<ref>[https://web.archive.org/web/20210214190858/https://asukamura.com/sightseeing/527/ 明日香村観光ポータルサイト 旅する飛鳥「亀石」]2019年8月5日閲覧 2022年11月23日リンク切れアーカイブ差替え</ref>。実際に、亀の背地すべり地区の調査で、古代に地すべりで[[大和川]]がせき止められ、同地区からかなり上流まで湖水状になっていたことが判っている。実際に、亀の背地すべり地区の調査で、古代に地すべりで大和川がせき止められ、同地区からかなり上流まで湖水状になっていたことが判っている<ref>{{Cite journal |和書|author=高田理夫 |authorlink=高田理夫 |title=, 亀の瀬地域の地すべりについて |date=, 1964 |publisher= , 公益社団法人 日本地すべり学会|journal= , 地すべり|volume=1 |issue=2 |, volume1, issue2, issn =:1884-3956 |, doi=:10.3313/jls1964.1.2_61|naid= |url = , https://doi.org/10.3313/jls1964.1.2_61|accessdate = , 2019-10-20|pages= 61, p61-63|</ref>。 == }}私的解説 ==「当朝の蛇」というのは干ばつを起こす、[[祝融]]型の疫神であることが分かる。神話的にこのような疫神と対峙するのは、水神の性質を持つ神で男性形の場合も、女性形の場合もあり得ると考える。ただ、[[石見天豊足柄姫命]]の神話と比較するに、水神と干ばつの疫神が対立した場合、生け贄によるものなのか、それ以外に理由があるのか定かではないが、女神が死ぬパターンがあるように思う。岩見と飛鳥の2つの神話を比較した場合<table class="wikitable"> <caption>比較表</caption> <tr> <th>地域</th><th>男性形水神</th><th>女性形水神</th><th>干ばつの疫神</th> </tr> <tr> <th>岩見</th><td>[[八束水臣津野命]]</reftd><td>[[石見天豊足柄姫命]]</td><td>蛇・干ばつの疫神</td> </tr> <tr> <th>飛鳥</th><td>川原の鯰</td><td>亀</td><td>当麻の蛇</td> </tr></table>となるように思う。亀が女神である、という点は乙姫が有名である。丹後半島の乙姫は、[[豊受大神]]を暗になぞらえているともいえ、これは[[石見天豊足柄姫命]]と性質の類似した女神である。[[石見天豊足柄姫命]]のトーテムが亀である可能性があるように思う。その逆に飛鳥の亀女神は、飛鳥川(大和川)の女神であって、広く[[佐保姫]]・[[竜田姫]]のトーテムであった可能性が高いと考える。何らかの目的(おそらく治水か干ばつ対策)で女神の像を造ったものが、その目的が忘れられてしまったものが亀石なのではないだろうか。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%9F%B3 亀石](24-12-15)
** 河上邦彦, 2003, 飛鳥を掘る, 講談社選書メチエ, 講談社, isbn:4-06-258258-9
== 関連項目 ==
* [[佐保姫]]
* [[竜田姫]]

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