三股淵の伝承は、田子の浦港(静岡県富士市)の奥、沼川と和田川(生贄川)が合流する場所を「三股淵」といい、ここに竜蛇が住まい、少女を生けにえとしてささげていた、というものである。複数(6人)の旅の巫女と「あじ」という娘が生贄に選ばれる話で、悲劇的な結末になるパターンや、生贄を無事に免れるパターンがあるようである。6人の娘は六王子神社に祭られ、あじは阿字神社に祭られた、とのことである<ref>[http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-521.html 三股淵の生けにえ伝説]</ref><ref group="私注">管理人の私見では、「あじ」とは伊豆能売命(雷女女神)が民間伝承化したものではないか、と思う。伊豆能売命は雷の女神であり、水の女神でもあると思うので、本来は生贄を捧げられる側であった龍蛇女神の伊豆能売命が「生贄となる」ことになってしまったのが、三股淵の伝承ではないか、と思う。伊豆能売命は、本来雷神信仰の強い賀茂氏の神ではないかと考える。尾張国伊多波刀神社に祀られている。「旅人を生贄に捧げる」という点は尾張國府宮の祭祀と共通している。三河・遠江・駿河は女性を生贄に捧げる話が多いのではないだろうか、と感じる。</ref>。
==== 子だが橋 子だが橋(小田橋) ====愛知県豊川市小坂井町字宮脇にある菟足神社(うたりじんじゃ)にまつわる話。祭神は'''菟上足尼命'''(うなかみすくねのみこと)。葛城襲津彦命(かつらぎそつひこのみこと)四世の玄孫にあたり、雄略天皇の治世に(うなかみすくねのみこと)。[[葛城襲津彦|葛城襲津彦命]](かつらぎそつひこのみこと)四世の玄孫にあたり、雄略天皇の治世に'''穂の国'''(現在の東三河)'''国造'''に任ぜられたという。4月に行われる「風(かざ)まつり」は、『宇治拾遺物語』や『今昔物語』に記載される古い祭であり、菟上足尼命が着任するときに海上が大きく荒れたにも関わらず無事に到着したという伝承が元にななっているということだに任ぜられたという。4月に行われる「風(かざ)まつり」は、『宇治拾遺物語』や『今昔物語』に記載される古い祭であり、「菟上足尼命が着任するときに海上が大きく荒れたにも関わらず無事に到着した」という伝承が元にななっているということだ<ref>菟足神社と兎神輿(愛知県豊川市)、神兎研究会(最終閲覧日[https://www.shintoken.jp/kenkyu/2014/08/utari/ 菟足神社と兎神輿(愛知県豊川市)]、神兎研究会(最終閲覧日:24-12-11)</ref>。 この祭りは人身御供を伴っていたとのことで、以下のような伝承があるとのこと。 <blockquote>菟足神社には、春の大祭の初日にこの街道を最初に通る若い女性を生贄にする習慣があったと伝えられている。ある男が生け贄を狩りに行くと不運にも里帰りにきた自分の娘が「小田橋」を渡りに来て、その男は「自分の子だが生け贄にした」とのこと。娘を神社の「生贄」としてさしだし、それ以後、その橋を「(自分の)子だが橋」と呼ぶようになったとのことである。<br>その後、「風祭」では、「人身御供」はなくなっても、イノシシを生贄として差し出したり、最近でも、スズメを生贄として差し出しているとのことだ<ref>[https://blog.goo.ne.jp/amigo-yumedream/e/43f31a6a78dd36e92705408e3b5e1710 生贄伝説があった???「隠れウサギ」のいる…菟足神社を参拝する…]、新・日記どす(DOS)(最終閲覧日:24-12-12)</ref><ref>[http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto2/utari.htm 菟足神社](最終閲覧日:24-12-12)</ref>。</blockquote> また、神社には徐福伝説もあるそうだ。 おそらく、人身御供の起源として、祭神が荒れた海を鎮めるために娘を人身御供にした、というような'''弟橘媛'''のような縁起譚があったのではないだろうか。風神系の疫神を鎮めるための祭祀と思われる。殺された娘は「[[吊された女神]]」といえる。
==== アイヌの人身御供伝説 ====
==== 男子の人身御供 ====
多くの人身御供伝説では、生贄の対象が女性である場合が目立つ。しかし、中山や高木は生贄に男子の場合も紹介している。 <ref>中山太郎「日本巫女史」251頁、高木敏雄「日本神話伝説の研究」533頁-534頁</ref>
* [[キジも鳴かずば]]:主に成人男子を人身御供に捧げている。長野市信州新町他。
=== 何に生贄を捧げるか ===