== 由緒 ==
京丹後市峰山町二箇と苗代の間に所在する、三日月形の小規模な田である<ref name=峰山郷土史下315p/>。江戸時代に編纂された『丹後旧事記』(たんごくじき)などによると、食物の女神・豊受大神が、天照大神のために籾種を蒔いて稲作をした場所が、月の輪田であるとされる<ref name="産経20130603"/>。豊受大神は丹後地方で広く信仰される神で、この田で稲を育てて天照大神に献上したという伝承が残る。[[豊受大神]]は丹後地方で広く信仰される神で、この田で稲を育てて天照大神に献上したという伝承が残る<ref>ひ・み・つの丹後本 , 丹後本制作委員会 , 2018 , 37</ref>。豊受大神は、古くは月の輪田の付近に所在する比沼麻奈為神社に鎮座していたと伝えられ、後に三重県の伊勢神宮外宮に祀られるようになった。
『日本書紀』神代の巻では、天照大神が保食神の身から生じた稲種を天狭田と長田に初めて植えたのを稲作の起こりとするが<ref>井上光貞 , 日本書紀 上 , 中央公論社 , 1987 , p103</ref>、『丹後旧事記』の校閲者・小松国廉の解説によれば、その場所が月の輪田であるとする<ref name=峰山郷土史下315p/>。ただ、同様に稲作発祥の地とされる伝承は同地区・二箇の八幡神社付近の小字「稲谷」(稲代谷ともいう)にも伝わり、定かではない<ref name=峰山郷土史下316p>峰山郷土史 下 , 峰山町 , 1963 , page:316</ref>。