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『那賀郡誌』松陽新報社 1916年 に掲載されたものでは、
石見の国は天豊足柄姫命によって開拓され豊かに足らされた。民草は満ち足りていたとき、荒ぶる神が現れ、長大な蛇の姿となって民草を襲った。今ぞ危急という秋、姫は出雲より八束水臣津野命の救援を得て大いに撃って蛇を三分にし衰亡に終わらしめた。かくして凱旋の宴で八束水臣津野命の将兵をねぎらったが、その夜、姫はみまかって石となり給うたと伝える。姫の身はみまかったといえど、その功績は盤石のものとなって伝わるであろう。石見の国は天豊足柄姫命によって開拓され豊かに足らされた。民草は満ち足りていたとき、荒ぶる神が現れ、長大な蛇の姿となって民草を襲った。今ぞ危急という秋、姫は出雲より[[八束水臣津野命]]の救援を得て大いに撃って蛇を三分にし衰亡に終わらしめた。かくして凱旋の宴で[[八束水臣津野命]]の将兵をねぎらったが、その夜、姫はみまかって石となり給うたと伝える。姫の身はみまかったといえど、その功績は盤石のものとなって伝わるであろう。<ref>『那賀郡誌』に記載された内容を要約した。</ref>
『那賀郡誌』が刊行されたのは大正時代だが、時代が下るにつれて勇壮な筋へと変わっている。新作神楽では八束水臣津野命と共に戦い、大蛇の瘴気に当たって亡くなるという筋立てのものがある。『那賀郡誌』が刊行されたのは大正時代だが、時代が下るにつれて勇壮な筋へと変わっている。新作神楽では[[八束水臣津野命]]と共に戦い、大蛇の瘴気に当たって亡くなるという筋立てのものがある。
== 天豊足柄姫命神社 ==
これをもっとあからさまに表現すれば、「'''女神の家に泊まってもてなされた[[八束水臣津野命]]が禁忌破りを境に豹変し女神を殺してしまった。'''」ともなり得る、と感じる。そうすると、[[須佐之男命]]の[[大宜都比売]]殺し、[[月読命|月夜見尊]]の[[保食神]]殺しとの類話となる。石見天豊足柄姫命は豊受姫命と共に祀られている通り、'''衣食に関する女神'''なので、油断していると神話の上で、同じ性質を持つ[[大宜都比売]]や[[保食神]]と同じ運命を免れ得なかった、ということになるのだろうか。
 
総合して考えると、石見天豊足柄姫命が「'''石に変じる'''」という設定の神話は、
* 女神が悪しき蛇神を倒すのに[[八束水臣津野命]]の助力を借り、彼と結婚した([[燃やされた女神]])。
* 女神が夫の悪しき蛇神と相打ちになって亡くなった([[吊された女神]])。
* 女神が禁忌を破って夫の[[八束水臣津野命]]に殺された([[吊された女神]])。
という3つの神話が複合してできたものと考える。これが、'''龍岩神社'''に伝わる伝承なのだろう。一方、天豊足柄姫命神社には[[乙子狭姫]]のような開拓女神として石見天豊足柄姫命が語られていたと思われる。これは、それぞれ'''名前が同じでも異なる女神'''であって、'''天豊足柄姫命神社の女神は、龍岩神社の女神の妹である'''、と解釈するのが神話的には一番正しいのかもしれないと考える。
 
そして、このような解釈の発展系として「殺される女神」と「殺されない女神」を姉妹として別々に分けてしまったのが群馬の赤城明神の縁起譚なのではないだろうか([[意岐萩神]]の項を参照のこと)。島根と群馬では距離が離れていすぎると言うなかれ。岩見も上野も、共に物部氏系の氏族が開拓した土地なのだから、語られる神話も似通っていて当然なのではないか、と管理人は考えるのである。
 
=== 犬女神ではないのだろうか ===
'''石見天豊足柄姫命'''とは名前に「足」がつくため、犬女神なのではないか、と考える([[赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命]]の項を参照のこと)。日本神話では、[[赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命]]を中心に、その家族も犬神として表す傾向が強いように感じる。
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
* [[八束水臣津野命]]:神話的に父神あるいは夫神と思われる。
* [[意岐萩神]]:悪しき疫神とはどのような神なのだろうか。
== 脚注 ==
[[Category:吊された女神]]
[[Category:養母としての女神]]
[[Category:開拓神]]
[[Category:犬神]]

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