ヤオ族の盤王祭りは、还盤王の願いとも呼ばれる。古代、ヤオ族は船で海を渡ったと言われているが、船は7749日間海に漂い、海岸にたどり着くことができず、全員が命を落とした。この時、船の舳先にある人が祖先の盤王に子孫の無事を祈り、大願をかけた。願い事をした後、海は穏やかになり、船はすぐに着岸し、ヤオ族の人々は救われた。この日は旧暦10月16日で、偶然にも盤王の誕生日だった。そこで、上陸したヤオ族は、木を伐採して木桶を作り、もち米を蒸して餅にし、盤王に犠牲を捧げた。そして、ヤオ族の新生活と盤王の誕生日をみんなで歌ったり踊ったりして祝い、この日を「盤王祭」と呼んだ。盤王の死後、役人がヤオ族を弾圧し、ヤオ山脈の土地を略奪したという伝説もあるが、その訴え(書類)はその後、金廬宮(皇帝)に届かなかった。賢いヤオ族はある方法を考え出し、長太鼓の中に告発状を隠し、州中を旅して太鼓を演奏し、民族芸を披露した。ついに首都に到着し、金廬堂に行き、長太鼓を開けた。告発状を取り出し、最終的に告訴を行った。その後、盤王祭りの期間中、ヤオ族は長太鼓を踊り、代々受け継がれてきた「盤王歌」を歌った<ref>[https://www-jh-gov-cn.translate.goog/jh/yzwh/202302/21bd39fb4e404c90832c6063e41a7289.shtml?_x_tr_sch=http&_x_tr_sl=auto&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp 瑶文化]、江華ヤオ族自治県人民政府HP(最終閲覧日:24-11-28)</ref>。
== 飄遙過海 ==
南京にいた12姓の祖先が干魃を逃れて海に乗り出したところ難破しそうになるが、盤皇という神に救助された。(タイのヤオ族)
== 槃瓠と山膏 ==
* 中国の伝承曼荼羅、百田弥栄子、三弥井書店、1999、p137
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A4%E7%93%A0 槃瓠](最終閲覧日:22-10-31)
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%AA%E6%97%8F ヤオ族](最終閲覧日:24-11-28)
* [https://dic.pixiv.net/a/%E5%B1%B1%E8%86%8F 山膏]、ピクシブ百科事典(最終閲覧日:22-10-28)
* 山海経、中山経、高馬三良訳、1994、平凡社ライブラリー、平凡社、p94