'''左義長'''(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なる(後述)。日本全国で広く見られる習俗である。
[[どんど焼き]]には、お正月に迎えた歳神様が'''どんど焼きの煙とともにお帰りになる'''のを、感謝をこめて見送る意味があると伝えられている<ref>[https://otakiagejinja.com/media/701 「どんど焼き」とはどんな行事?意味と由来、全国の有名などんど焼きを紹介 祐徳稲荷神社・お炊き上げコラム]、(最終閲覧日:24-11-20)</ref>。
== 内容 ==
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた'''餅'''(三色団子、ヤマボウシの'''枝に刺した団子'''等地域によって違いがある)を食べる。また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、その年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。等地域によって違いがある)を食べる。また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、'''その年の病を除く'''と言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた[[年神|歳神]]を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。
九州地方では'''鬼火焚き(おにびたき)'''、'''鬼火'''、'''おねび'''、'''ほっけんぎょう'''、'''ほうけんぎょう'''、'''ほんげんぎょう'''等と呼ばれ、7日正月にあたる1月6日の夜または1月7日の朝に行う<ref name="小野1992">小野重朗, 南日本の民俗文化, volume2(神々と信仰), 第一書房, 1992-12, isbn:4-8042-0038-X, p388-393, 正月と盆</ref><ref name="koto1"> 鬼火焚き, デジタル大辞泉、大辞林, 2018-08-24</ref>。
[[ダイダイ|橙]](みかん)は代々続くようにと子孫繁栄を願った物を、燃やし易くする為に踏み潰す事が縁起上良くないとされる。実施する地域の分布図や形態については、[[川崎市市民ミュージアム]]に展示がある。また、実施しない地域でも、ある特定の日にお札を焼く行事を執り行う地域がある([[12月29日]]など)。近年では[[消防法]]や[[ダイオキシン]]問題で取りやめているところもある。橙(みかん)は代々続くようにと子孫繁栄を願った物を、燃やし易くする為に踏み潰す事が縁起上良くないとされる。実施する地域の分布図や形態については、川崎市市民ミュージアムに展示がある。また、実施しない地域でも、ある特定の日にお札を焼く行事を執り行う地域がある(12月29日など)。近年では消防法やダイオキシン問題で取りやめているところもある。
== 起源 ==
『弁内侍日記』[[建長]]3年[[1月16日 (旧暦)|1月16日]]([[1251年]][[2月8日]])、『[[徒然草]]』の「第180段」に見られることから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。当時の貴族の正月遊びに「[[毬杖]](ぎっちょう)」という杖で毬をホッケーのように打ち合う「打毬」があった。[[小正月]]([[1月15日 (旧暦)|1月15日]])に宮中の[[清涼殿]]の東庭に[[山科家]]などから進献された葉竹を束ねたものをたてた。その上に扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付けた。これを陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『[[故実拾要]]』によれば、まず[[烏帽子]]、[[素襖]]を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで[[鬼]]の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が[[鼓|大鼓]]を持って舞い、ついで金の立烏帽子に[[大口袴]]を着て小さい[[羯鼓|鞨鼓]]を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。『弁内侍日記』建長3年1月16日(1251年2月8日)、『徒然草』の「第180段」に見られることから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。当時の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」という杖で毬をホッケーのように打ち合う「打毬」があった。小正月(1月15日)に宮中の清涼殿の東庭に山科家などから進献された葉竹を束ねたものをたてた。その上に扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付けた。これを陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が'''笹の枝に白紙を切り下げた'''のを持ち、立ち向かって囃をし、ついで'''鬼の面をかぶった童子'''1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで'''面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い'''、ついで金の立烏帽子に大口袴を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。
世界的には、中華圏で[[春節|旧正月]]に次いで旧暦1月15日に祝う「[[元宵節]]」にも関係しているという人たちもいる世界的には、中華圏で旧正月に次いで旧暦1月15日に祝う「元宵節」にも関係しているという人たちもいる<ref>{{Cite Kotobank |word=上元 |encyclopedia=[[, ブリタニカ国際大百科事典]] |accessdate=, 2020-03-25}}</ref>。元宵節は現在でも、夜に提灯や花火を用いて盛んに祝われている。
== 日付 ==
国民の祝日の[[成人の日]]が[[1月15日]]から1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、地域によっては左義長を1月の第2[[日曜日]]または第2[[月曜日]]に実施するところもある。国民の祝日の成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、地域によっては左義長を1月の第2日曜日または第2月曜日に実施するところもある。
[[福井県]][[勝山市]]の[[勝山左義長]](さぎっちょ)は毎年2月の最終土日に行われており、300年以上前から続いている。色とりどりの長襦袢を着て、「左義長太鼓」と呼ばれる太鼓を叩く。いわゆる「浮き太鼓」が特徴。勝山左義長の[[囃子|お囃子]]は、「勝山左義長ばやし」と呼ばれる。福井県勝山市の勝山左義長(さぎっちょ)は毎年2月の最終土日に行われており、300年以上前から続いている。色とりどりの長襦袢を着て、「左義長太鼓」と呼ばれる太鼓を叩く。いわゆる「'''浮き太鼓'''」が特徴。勝山左義長のお囃子は、「勝山左義長ばやし」と呼ばれる。
== 各地の祭り ==
=== 文化財指定 ===
[[File:大磯の左義長(2023年1月) 02.jpg|thumb|[[神奈川県]][[大磯町]]の左義長の日の様子]][[神奈川県]][[大磯町]]の左義長は国指定の[[重要無形民俗文化財]]で、セエノカミサン([[道祖神]])の火祭りとして、毎年[[1月14日]]近辺に大磯北浜海岸で行われている。松の内(1月7日)が過ぎると子どもたちは正月のお飾りを集めて歩き回り、青年たちはセエトの材料となる松や竹を調達する。 次いで、町内各所に大竹やおんべ竹を立て、町内境に道切りのシメを張るほか、セエノカミサンのお仮屋を作り子どもたちが籠る。祭り当日、町内各所のおんべ竹やお仮屋などが片付けられ、集められたお飾りや縁起物は浜辺に運ばれ、9つの大きな円錐型のサイトが作られる。日が暮れるとセエノカミサンの宮元や宮世話人が、その年の恵方に火をつける。この火で団子を焼いて食べると風邪をひかない、燃やした書き初めが高く舞い上がると腕が上がる、松の燃えさしを持ち帰って屋根に載せておくと火災除けのまじないになる、などともいわれている。神奈川県大磯町の左義長は国指定の重要無形民俗文化財で、セエノカミサン(道祖神)の火祭りとして、毎年1月14日近辺に大磯北浜海岸で行われている。松の内(1月7日)が過ぎると子どもたちは正月のお飾りを集めて歩き回り、青年たちはセエトの材料となる松や竹を調達する。 次いで、町内各所に大竹やおんべ竹を立て、町内境に道切りのシメを張るほか、セエノカミサンの'''お仮屋を作り子どもたちが籠る'''。祭り当日、町内各所のおんべ竹やお仮屋などが片付けられ、集められたお飾りや縁起物は浜辺に運ばれ、9つの大きな円錐型のサイトが作られる。日が暮れるとセエノカミサンの宮元や宮世話人が、その年の恵方に火をつける。この火で団子を焼いて食べると風邪をひかない、燃やした書き初めが高く舞い上がると腕が上がる、松の燃えさしを持ち帰って屋根に載せておくと'''火災除けのまじない'''になる、などともいわれている。
[[富山県]][[下新川郡]][[入善町]]上野邑町地区で毎年1月15日または、15日に近い日曜日に行われる富山県下新川郡入善町上野邑町地区で毎年1月15日または、15日に近い日曜日に行われる'''「[[塞の神まつり|塞(さい)の神まつり]]」「塞(さい)の神まつり」'''という左義長(火祭り)行事で、子供達が塞の神と呼ばれる男女一対の白木でできた木偶(でく)人形(デクノボー)を持ち「塞の神じゃ、大神じゃ、じいじもばあばも、ほこほこじゃ、来年むけや、十三じゃ…」と唄いながら地区内の家庭を回り、[[正月飾り]]や[[書初め]]、米、豆などを集め、火祭り会場では竹と藁で中を部屋状にして角錐に積み、集めてきた[[正月飾り]]や[[書初め]]、米、豆などを藁と共に中と周りに積み、最後に木偶人形(デクノボー)を中に安置し火を着ける。子供達が「塞の神じゃ、大神じゃ、…」と何度も繰り返し唄う中、木偶人形を完全に焼き尽くし灰になると終了となる。[[2010年]](平成22年)3月には、「という左義長(火祭り)行事で、子供達が塞の神と呼ばれる'''男女一対の白木でできた木偶(でく)人形(デクノボー)'''を持ち「塞の神じゃ、大神じゃ、じいじもばあばも、ほこほこじゃ、来年むけや、十三じゃ…」と唄いながら地区内の家庭を回り、正月飾りや書初め、米、豆などを集め、火祭り会場では竹と藁で中を部屋状にして角錐に積み、集めてきた正月飾りや書初め、米、豆などを藁と共に中と周りに積み、'''最後に木偶人形(デクノボー)を中に安置し火を着ける'''。子供達が「塞の神じゃ、大神じゃ、…」と何度も繰り返し唄う中、木偶人形を完全に焼き尽くし灰になると終了となる。2010年(平成22年)3月には、「'''邑町のサイノカミ'''」として国の重要無形民俗文化財に指定された。
[[島根県]][[大田市]][[五十猛町]]大浦地区に伝承される「[[五十猛のグロ]]」は、左義長(どんど焼き)と同趣旨の[[小正月]]の行事で、[[2005年]](平成17年)2月21日に国の重要無形民俗文化財に指定された。島根県大田市'''五十猛'''町大浦地区に伝承される「五十猛のグロ」は、左義長(どんど焼き)と同趣旨の小正月の行事で、2005年(平成17年)2月21日に国の重要無形民俗文化財に指定された。
[[滋賀県]][[近江八幡市]]の左義長まつりは[[3月14日|3月14]]・[[3月15日|15日]]に近い土・日曜日に、担ぎ手の男性が信長の故事によって化粧し、「チョウヤレ、マッセマッセ」のかけ声高く実施される。この左義長は据え置く左義長ではなく、三角錐の松明に、ダシと言われるその年の干支にちなんだ飾り物(五穀や海産物等すべて自然物で飾り付ける)を付け、松明の頭に「十二月」と言われる赤い短冊をつけた5 滋賀県近江八幡市の左義長まつりは3月14・15日に近い土・日曜日に、担ぎ手の男性が信長の故事によって化粧し、「チョウヤレ、マッセマッセ」のかけ声高く実施される。この左義長は据え置く左義長ではなく、三角錐の松明に、ダシと言われるその年の干支にちなんだ飾り物(五穀や海産物等すべて自然物で飾り付ける)を付け、松明の頭に「十二月」と言われる赤い短冊をつけた5 - 6メートルの竹を差して練り歩く祭礼である。地区毎に左義長を持ち、町中で左義長同士が出会うと、ぶつけ合う喧嘩が始まる。最終日の夜には担ぎ棒を除いて全て燃やしてしまう。国選択[[無形民俗文化財]]に選択されている。6メートルの竹を差して練り歩く祭礼である。地区毎に左義長を持ち、町中で左義長同士が出会うと、ぶつけ合う喧嘩が始まる。最終日の夜には担ぎ棒を除いて全て燃やしてしまう。国選択無形民俗文化財に選択されている。
[[岐阜県]][[海津市]]の今尾(秋葉)神社で2月の第二日曜日に行われる「今尾の左義長祭」も大規模であり、岐阜県重要無形民俗文化財に指定されている。多くの「どんど焼き」や「左義長」の火祭りは小正月(1月14日・15日)を中心に年神を送る火祭りとして、正月飾り等を一定の地に積み、それを焚きあげる方式をとっているが、今尾の左義長は13の町内ごとに作成した青竹の作り物(竹お神輿または左義長という)を化粧をした若衆が各町内より秋葉神社まで担いだり、引いたり(吊り込み)して奉納し、その竹神輿を焚きあげるという特色のある神事で全国唯一の方式で行っている。左義長の大きさは、大人用みこしで直径2メートル、高さ5メートル、重さ1岐阜県海津市の今尾(秋葉)神社で2月の第二日曜日に行われる「今尾の左義長祭」も大規模であり、岐阜県重要無形民俗文化財に指定されている。多くの「どんど焼き」や「左義長」の火祭りは小正月(1月14日・15日)を中心に'''年神を送る火祭り'''として、正月飾り等を一定の地に積み、それを焚きあげる方式をとっているが、今尾の左義長は13の町内ごとに作成した青竹の作り物(竹お神輿または左義長という)を化粧をした若衆が各町内より秋葉神社まで担いだり、引いたり(吊り込み)して奉納し、その竹神輿を焚きあげるという特色のある神事で全国唯一の方式で行っている。左義長の大きさは、大人用みこしで直径2メートル、高さ5メートル、重さ1.5トンぐらいあると云われている。1980年(昭和55年)に岐阜県の「重要無形民俗文化財」に指定された。
=== その他の主な祭り ===
<!--自治体コード順-->[[File:鳥越神社ー3.JPG|thumb|東京都台東区鳥越にある[[鳥越神社]]の「とんど焼」]]; [[どんと祭]]: [[宮城県]]およびその近辺。約10万人が訪れる[[大崎八幡宮]]松焚祭([[仙台市]]指定無形民俗文化財)を起源とする。[[1月14日]]夜に正月飾りを焼き、その火にあたると病気をせず健康で暮らせるといわれる。[[石巻市]]周辺では[[新日本建設国民運動|新生活運動]]により1970年代に前倒しが定着し、[[1月7日]]に行われる。[[松川だるま]]を新たに買い換えて、古いそれをどんと祭で燃やす習慣があるが、松川だるまの流通量が減少したのでだるまを燃やす習慣を持たない参拝者も多い。神火で餅を焼くということはなく、子供の祭りともされない。また、特に書初めを焼くということもない。寺社のみならず町内会などでも実施されてきたが、場所の確保等の問題で年々少なくなりつつはある。大崎八幡宮を初め、一部のどんと祭では「裸参り」が行われる。宮城県およびその近辺。約10万人が訪れる大崎八幡宮松焚祭(仙台市指定無形民俗文化財)を起源とする。1月14日夜に正月飾りを焼き、'''その火にあたると病気をせず健康で暮らせる'''といわれる。石巻市周辺では新生活運動により1970年代に前倒しが定着し、1月7日に行われる。松川だるまを新たに買い換えて、'''古いそれをどんと祭で燃やす'''習慣があるが、松川だるまの流通量が減少したのでだるまを燃やす習慣を持たない参拝者も多い。神火で餅を焼くということはなく、子供の祭りともされない。また、特に書初めを焼くということもない。寺社のみならず町内会などでも実施されてきたが、場所の確保等の問題で年々少なくなりつつはある。大崎八幡宮を初め、一部のどんと祭では「裸参り」が行われる。
; さいの神・才の神焼き・歳の神(塞の神)
: [[福島県]][[会津]]、[[新潟県]][[新潟市]]、[[東京都]][[多摩地域]]、[[神奈川県]][[川崎市]]ほか。会津地方では「歳の神」と呼ばれる。福島県会津、新潟県新潟市、東京都多摩地域、神奈川県川崎市ほか。会津地方では「歳の神」と呼ばれる。: 新潟県で行われる塞の神では炎であぶった[[スルメ]]を食べるとその年は風邪をひかないという言い伝えがある新潟県で行われる塞の神では炎であぶったスルメを食べるとその年は風邪をひかないという言い伝えがある<ref>{{Cite news|和書|newspaper=[[朝日新聞]]|url=, https://www.asahi.com/articles/ASN1F56XGN1FUOHB001.html|title=, 新潟)炎でスルメあぶって無病息災願う 燕で「塞の神」|author=, 飯塚大和|date=, 2020-01-14|accessdate=, 2024-08-08}}</ref><ref>{{Cite news|和書|newspaper=[[にいがた経済新聞]]|url=, https://www.niikei.jp/936703/|title=, 【写真コラム】巨大な炎へ祈り込め……高さ13メートルの「塞の神」、今年も多くの人で賑わう 道の駅国上(新潟県燕市)|date=, 2024-01-17|accessdate=, 2024-08-08}}</ref>。: 福島県会津地方では1月15日に行われる。[[大沼郡]][[三島町]]で行われる伝統行事は、福島県会津地方では1月15日に行われる。大沼郡三島町で行われる伝統行事は、'''「三島のサイノカミ」'''として国の重要無形民俗文化財に指定されている。; [[墨塗り]]: 新潟県[[十日町市]]松之山。焼きを行った後の行事の名前から。稀な例。焼く対象を「賽の神」と呼ぶ。新潟県十日町市松之山。焼きを行った後の行事の名前から。稀な例。焼く対象を「賽の神」と呼ぶ。
; おんづろこんづろ
: 富山県[[黒部市]]宇奈月町下立(おりたて)の下立神社で行われる。燃え上がる炎が鶴の飛び立つ姿に見え、それが「おおづる、こづる」に、それが訛って「おんづろこんづろ」になった。富山県黒部市宇奈月町下立(おりたて)の下立神社で行われる。燃え上がる炎が鶴の飛び立つ姿に見え、それが「おおづる、こづる」に、それが訛って「おんづろこんづろ」になった。
; 三九郎(さんくろう)<!-- 福間三九郎はこの行事の名前の由来となった神主の名前であって、行事そのものの名前に福間は付かない。少なくとも松本市、安曇野氏辺りで福間という名前が付いている所は無い -->
: [[長野県]][['''松本地方]]。同地方で道祖神の祭りを統括する神主「福間三九郎太夫」の名前にちなむといわれるが、他にも諸説ある。[[だるま]]は一番目立つ頂上付近に飾り付ける。旧来は1月15日に行われていたが、最近は[[学校]]の休みに合わせ、[[1月7日]]ごろ行われるところが多い。[[米]]の粉で作った[[団子]]「[[餅花#各地の餅花|繭玉]]」を'''。同地方で道祖神の祭りを統括する神主「福間三九郎太夫」の名前にちなむといわれるが、他にも諸説ある。だるまは一番目立つ頂上付近に飾り付ける。旧来は1月15日に行われていたが、最近は学校の休みに合わせ、1月7日ごろ行われるところが多い。米の粉で作った団子繭玉」を'''[[ヤナギ|柳]]の枝に刺して焼いたものを食べ、無病息災の[[祈願]]をする。の枝に刺して焼いたもの'''を食べ、無病息災の祈願をする。
; かんがり、かんがりや
: 長野県[[南佐久郡]][[川上村 (長野県)|川上村]]、[[南牧村 (長野県)|南牧村]]。長野県南佐久郡川上村、南牧村。
:隣接する南佐久郡小海町、南相木村および北相木村には、これと名称が類似する「かあがり」行事がある。
; 墨付けとんど(墨付け神事)
: [[島根県]][[松江市]]美保関町片江地区。1月7日([[2010年]](平成22年)以降は1月第2日曜日)に行われる。神輿を持ち「チョーヤサー」と言いながら練り歩き、最後は神輿を持って海へ入る。その前の年に結婚した人やテレビのアナウンサーも海に入る。そして参加者や見物人の顔に墨を塗る。稀な例。島根県松江市美保関町片江地区。1月7日(2010年(平成22年)以降は1月第2日曜日)に行われる。神輿を持ち「チョーヤサー」と言いながら練り歩き、最後は神輿を持って海へ入る。その前の年に結婚した人やテレビのアナウンサーも海に入る。そして参加者や見物人の顔に墨を塗る。稀な例。
== 日本国外の祭り ==
=== ハワイ ===
日本人移民が多い海外のお寺や神社でも、[[ハワイ州|ハワイ]]の[[ヒロ大神宮]]などで小正月の時期に門松や古いお札を[[消防法]]に触れない小規模に焚き上げて、1年間の無病息災を祈る風習がある日本人移民が多い海外のお寺や神社でも、ハワイのヒロ大神宮などで小正月の時期に門松や古いお札を消防法に触れない小規模に焚き上げて、1年間の無病息災を祈る風習がある<ref>{{Cite web |url=https://sfbliss.com/hawaii-hilo-daijingu/ |title=, 国外最古の神社「ヒロ大神宮」 |work=, SFBliss |date=, 2021-08-15 |access-date=, 2022-01-23}}</ref>。
=== 韓国 ===
[[File:부산 달집태우기.jpg|thumb|right|200px|[[韓国]]・[[海雲台]]温泉で「月の家を燃やす」行事]]中国では、旧暦1月15日満月に祝うのは「[[元宵節]]」だが、[[小正月#韓国|韓国の小正月]]「テボルム」にはどんど焼きに似た「タルチッテウギ」(「月の家を燃やす」行事、[[:ko:달집태우기中国では、旧暦1月15日満月に祝うのは「元宵節」だが、韓国の小正月「テボルム」にはどんど焼きに似た「タルチッテウギ」(「月の家を燃やす」行事、달집태우기|달집태우기]])があり달집태우기)があり<ref>{{Cite web |url=https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=587 |title=, 韓国のテボルム:タルチッテウギ |work=, KONEST |access-date=, 2023-02-09}}</ref>、都市部では火事の懸念から現在は一般に禁止されているが、[[ソウル]]でも市街地を離れると行われている、都市部では火事の懸念から現在は一般に禁止されているが、ソウルでも市街地を離れると行われている<ref>{{Cite web |url=https://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20230206012007 |title=, 정월대보름맞이 ‘달집 태우기’(2023) |language=, ko |work=[[, ソウル新聞|서울신문]] |date=, 2023-02-06 |access-date=, 2023-02-08}}</ref>。{{Clear|right}} この行事は『달집(タルチッ)とは 「月の家」、태우기(テウギ)は 「燃やすこと」。竹や松の枝、ワラなどを高く積み上げ、月が昇る東の方向に門を付けた 「タルチッ」 に火をつける。月が昇る時刻に合わせて行われる。旧暦1月15日の月は豊穣の象徴で、火があらゆる不正や邪悪を消してしまうという浄化の象徴でもある。<ref>[https://dilbelau2.hamazo.tv/e5970673.html “月の家” を燃やす]、Busan nikki 2 (2014~)(最終閲覧日:24-11-30)</ref>』とのことだ。
== その他の呼ばれ方 ==
(五十音順)
* あわんとり([[千葉県]]南部・[[茨城県]]南部)あわんとり(千葉県南部・茨城県南部)* お焚き上げ([[神社]]で行事としてする場合)お焚き上げ(神社で行事としてする場合)
* 鬼火、鬼火焚き(九州)<ref name="koto1" />
* おねっこ(宮崎県、鹿児島県)<ref name="miten">{{Cite web|和書|author=前田博仁|work=, みやざき風土記 |url=, http://www.miten.jp/miten/modules/popnupblog/index.php?postid=372 |title=, No.77 七日正月の鬼火焚き|website=, miten |agency=, デンサン|date=, 2011-01-11|accessdate=, 2018-08-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www3.synapse.ne.jp/hantoubunka/pic/0102onibitaki.htm |title=, 鬼火焚き|website=, 鹿児島祭りの森|agency=, 薩摩半島民俗文化博物館 |accessdate=, 2018-08-24}}</ref>
* おねび、おねび焼き(九州の一部)<ref name="koto1" />
* おねぶ焚き(九州の一部)<ref name="miten" />
* おんべ焼き(単におんべとも)
* 御柴灯(おさいとう)
* かあがり(長野県南佐久郡[[小海町]]、南佐久郡[[南相木村]]、[[北相木村]])かあがり(長野県南佐久郡小海町、南佐久郡南相木村、北相木村)* かんじょ([[新潟県]][[村上市]]岩船)かんじょ(新潟県村上市岩船)* さいと焼き(神奈川県[[横須賀市]]鴨居八幡、静岡県[[御殿場市|御殿場]])さいと焼き(神奈川県横須賀市鴨居八幡、静岡県御殿場)* さぎっちょ(富山県、[[石川県]]、[[福井県]][[勝山市]]、岐阜県、[[高知県]]、福岡県八女市、京都府京都市左京区)さぎっちょ(富山県、石川県、福井県勝山市、岐阜県、高知県、福岡県八女市、京都府京都市左京区)* しんめいさん([[広島県]][[東広島市]][[安芸津町]])しんめいさん(広島県東広島市安芸津町)
* 道祖神祭り
* とうどうさん([[愛媛県]][[東予地方]])とうどうさん(愛媛県東予地方)* とんど([[奈良県]]、[[広島県]]、[[岡山県]])とんど(奈良県、広島県、岡山県)* とんど焼き([[近畿]]とその周辺、[[東京都]])とんど焼き(近畿とその周辺、東京都)* とんど正月([[兵庫県]][[播磨地方]])とんど正月(兵庫県播磨地方)
* どんと
* どんどっぴ(千葉県[[印旛郡]])どんどっぴ(千葉県印旛郡)
* どんどや(九州)
* どんど焼き(どんど焼き(山梨県の一部地方、愛知県の一部地方、神奈川県の一部地方、[[山梨県]]の一部地方、愛知県の一部地方、神奈川県の一部地方、[[群馬県]]、[[愛媛県]][[南予地方]]、長野県南部地方)群馬県、愛媛県南予地方、'''長野県南部地方''')* とんどさん([[鳥取県]]、[[島根県]])とんどさん(鳥取県、島根県)* どんどん焼き([[山梨県]]の一部地方)どんどん焼き(山梨県の一部地方)
* ほうげんぎょう、ほっけんぎょう、ほんげんぎょう(九州北部)<ref name="小野1992" /><ref name="koto1" />
* やははいろ([[東北]])やははいろ(東北)<!-- *ロフリ、ロヒリ、[[ポンガル祭]]ロフリ、ロヒリ、ポンガル祭(インド、[[ブッダガヤ]]インド、ブッダガヤ) -->
== 左義長の歌 ==
富山県富山県砺波地方で、童謡の「かごめかごめ」と類似した旋律で拍子木で調子をとり歌う。 == 私的解説 ==どんど焼きにおいては、[[富山県#富山県西部(呉西)|砺波地方歳徳神]]で、童謡の「かごめかごめ」と類似した旋律で拍子木で調子をとり歌う。と「塞の神」あるいは「岐の神」というのは「'''同じ神'''」という扱いであるようだ。ただ、「道祖神」というと、管理人のイメージでは安曇野のもののように「'''男女一対'''」で表されるものだし、もっと一般的に広く「道の神」といえば猿田彦という男性形の神が当てはまると思うので、「[[歳徳神]]」が女神だとすると、これらを「'''同じ神'''」と呼ぶのは、いささか違和感を覚える。また、富山県の「塞の神まつり」のように、由来では「川から人形が流れてきた」とあり、これを疫神と恐れて燃やしたことが始まりのように言われているのに、何故か「'''男女一対の塞の神'''」を作って、これを燃やしてしまうことにも違和感を感じる。境界を守ってくれる神々がいなくなったら逆に疫神は村に入り放題になってしまうのではないだろうか。 これは本来「火の力」、すなわち「太陽の力」が弱った冬季に、疫病神が共同体に入らないよう、'''境界などを火で炊いて清める'''ことで共同体を守る、という祭祀だったのではないだろうか。そのために疫病神をそのまま焼いて「炊き上げる」のが本来の祭りの姿だったかもしれないと考える。例えば鹿児島の「鬼火たき」はまさにこのような例で、「'''正月の七日に大やぐらを焼いて、正月飾りについてきた悪霊を追い払う'''」祭りだとのことである<ref>[https://www.pref.kagoshima.jp/al01/event/nannsatu/r5-1-6-onibitakinansatu.html 鬼火たき]、鹿児島県HP(最終閲覧日:24-11-26)</ref>。 朝鮮の「タルチッテウギ(月の家を燃やす)」は火祭りだし、厄払いの祭りであることもどんど焼きと似ているのだが、「月の家を燃やす」とは、どういう意味なのだろうか、と管理人は悩んだ。行事は月が昇るのに合わせて行われる、とのことだが、月は天にあるものなのに、何故地上に家を作ってやらねばならないのか、そしてそれを燃やしてしまわなければならないのかが分からない。清めるために燃やしてしまうのであれば、わざわざ地上に月の家を作ってやる必要があるのだろうか、と思う。各地の神話を調べた結果、以下のような伝承を見つけた。 === 娘に捕らえられた月 ===<blockquote>1、昔、ある宿営地に美しい娘がいて、トナカイの群れを飼っていた。ある真っ暗な晩、トナカイの群れを追って歩いていると、ふいに一頭のトナカイが叫んだ。「早く隠れるんだ。月があなたを天に引っ張っていこうとしてる!」トナカイは娘を大きな雪の吹きだまりの中に隠した。月がやってきて娘の姿を探したが見つからなかった。<br>2、しばらくすると、トナカイは「また月がやってくる」と言って、今度は娘を火に変身させた。月は娘を捕まえようとしたが、熱くて捕まえられなかった。<br>3、娘はもとの姿に戻って月を捕まえて縛り上げた。月は泣いて「もう2度と地上に来ない。夜になったら人間のために道を照らすっから。」と言った。娘は月がかわいそうになったので放してやった(ガナサン、ロシア)<ref>世界の太陽と月と星の民話、日本民話の会・外国民話研究会編訳、三弥井書店、2013、p133-135</ref>。</blockquote> これはガナサン人というロシア先住民の伝承なのだが、月とはどうやら地上に娘をさらいに'''降りてくる'''もののようだ。この部分は、どことなくギリシア神話のハーデースがプロセルピナをさらう場面を彷彿とさせるが、娘がさらわれる場所は地下の底ではなく、月の世界なのだ。とても興味深いのだけれども、このトナカイ女神には三柱の女神の姿が含まれているように思う([[総論・女神]]を参照のこと)。* 1、トナカイが隠して助けた娘([[燃やされた女神]])* 2、火に変身した娘([[吊された女神]]・逃走女神)* 3、自ら月を捕まえて、その邪悪さを鎮めた娘([[養母としての女神]])である。西欧には広く、「'''月は狂気をもたらすもの'''」という考え方が存在していたし、シベリアから北東アジアにかけても'''月は何らかの邪気や陰気を含む存在'''だと考えられていたのではないだろうか。それを野放しにしておくと、人々に害をもたらすのだ。季節の節目などに、地上で厄払いに火を燃やすのは、それが月に限らなくても、何らかの邪気の力を弱めて追い払い、鎮めるために行う祭祀なのだろう。朝鮮の「タルチッテウギ」は、 '''年の変わり目に月が降りてくるので、その穢れを払い、天に戻す''' という祭祀なのではないだろうか。厄を払って、ついでに願いもかないますように、という意味ではないだろうか。中国では「年がかわる時、魔物が出没する」との言い伝えがあり、この魔物を「夕」といった。「'''夕'''」の本来の意味は、日が沈み、月が昇るとき、である。すなわち、この魔物が「月」なのである。この魔物は人間の生肉の味、特に子供を好む、とのことである。若い娘の肉も好物であろう。 === 日本の場合・間違いだらけ? ===ガナサン人の伝承と比較して検討した場合、[[歳徳神]]は2と3のトナカイ娘に相当するように思う。「厄を払う火の女神」である。岐の神の二神は1のトナカイ娘とトナカイの組み合わせであろう。彼らを燃やして殺してしまったら、'''まさに厄神の喜ぶところ'''、といえる。「どんど焼き」とは、'''火で厄を払う[[歳徳神]]が、厄神を焼いて鎮めてくれる'''、としなければ正しい厄払いの祭祀にならないのではないだろうか。彼女を燃やして殺してしまったら、それもまた'''厄神の喜ぶところ'''である。
== 脚注 = 炎黄と三女神的には ===<references />「娘に捕らえられた月」では、[[炎帝]]が「'''月'''」、[[黄帝]]が「トナカイ」と解せると思う。
== 関連項目 ==
* [[火祭り歳徳神]]* [[送り火]]* [[小正月]]* [[塞の神まつり]]* [[五十猛のグロ]]* [[書き初め]]* 西野左義長町 - [[京都府]][[京都市]][[山科区]]にある地名。北側には、[[東海道新幹線]]が通っている。
== 外部リンク ==
* [https://www.city.katsuyama.fukui.jp/kankou/sagityo/ 勝山左義長まつり]([[福井県]][[勝山市]]観光班)(福井県勝山市観光班)* {{地域文化資産ポータル2|from=11|ContentID=237|name=: ContentID237: 近江八幡市 湖国に春を呼ぶ~火祭り行事左義長(動画)|date: =20160302145201}}* [https://www.shinshu-u.ac.jp/zukan/communication/post-12.html 我らがふるさと 信州の火祭りフォーラム]([[信州大学]] (信州大学 信州独創図鑑)
* [http://www.digi-ken.org/~archive/koshogatu.html どんど焼きは日本の国民行事](特定非営利活動法人 地域資料デジタル化研究会/デジタルアーカイブズ)
== 参考文献 ==* {{Kotobank}}[https://otakiagejinja.com/media/701 「どんど焼き」とはどんな行事?意味と由来、全国の有名などんど焼きを紹介 祐徳稲荷神社・お炊き上げコラム]、(最終閲覧日:24-11-20) == 脚注 ==
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[[Category:日本神話]]
[[Category:民族他]]