=== 帝俊と祝融 ===
管理人は、'''帝俊、[[禹]]、[[祝融]]、[[蚩尤]]、[[ミャオ族]]の雷神、[[伏羲]]、ダロン'''を「同じもの」として伝承を再構築した。いずれも「'''火雷神'''」としての性質を持ち、天上に複数の太陽を出したり、地上に火の雨を降らせたりする神だ。墨子の「血の雨」は「火の雨」に変更した。「夜に太陽が現れる」とは、いかにも暑く干ばつを連想させるし、[[祝融]]には「夏の都城に火を降らせた」という伝承があるからだ<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9D%E8%9E%8D 祝融](最終閲覧日:24-11-09)</ref>。
[[伏羲]]については天帝の象徴である北斗七星の象徴のヒョウタンに乗っている点で、「天帝」としての性質が示されているように思う。すなわち、帝俊とは'''[[伏羲]]の別の姿'''だと考えている。だから、再構築した話には[[伏羲]]は登場させず、ミャオ族のダロンだけを登場させている。ダロンも本質的には帝俊と同一のもので、母系の文化を色濃く残したミャオ族の伏羲・女媧神話では存在しなくても良い、とすら管理人は感じるので、一応登場だけさせておいて、最後に帝俊に食わせることで一つに纏めてみた。
帝俊が龍犬槃瓠を人身御供にして、祭祀で食べてしまう点は、后羿を殺した[[寒浞]]の故事による。[[祝融]]に相当する中国神話のアグニが「両親を焼き殺した」という点も参考にした。[[寒浞]]は后羿の息子も同然なのだが、后羿を殺して食べている。
伝承では[[共工]]は[[祝融]]の子とされているのだが、[[共工]]を[[黄帝]]とすると事実は逆で[[共工]]が父、[[祝融]]が子だと考える。[[祝融]]が両親すなわち[[黄帝]]を殺した、とすれば[[寒浞]]が父(も同然)の后羿を殺した話と一致したモチーフを持つことになるからだ。ただし、「'''夏の建国神話'''」としては「'''帝俊が父親の后羿を殺して王となって夏を建国した。'''」ということが事実だったとしても、二人の子孫の方がそんな話を嫌がって、帝俊と后羿(すなわち[[祝融]]と[[黄帝]])が父子だということはひた隠しにしただろうと思うし、夏の王の事績をみても、后羿の方が王位を狙って王家を混乱させた悪者のように描かれているので、「'''夏の建国神話'''」を作った人たちは黄帝を悪く思っていただろう、ということで、再構築した話では、帝俊とミャオ族は、「少しだけ親戚」みたいな感じにとどめておくこととにした。<ref>事実としては、ミャオ族の先祖は帝俊の兄弟で、帝俊が両親を殺して兄弟たちに「それを食べろ」って言ったときに、箸をつけるフリをして逃げちゃった、とかそちらの方が事実に近いのかな、と思いますが。親を殺して、その肉を兄弟たちに食べろ、でなきゃ殺す、という方がどう見てもまともじゃない気がするのですが。そういうのの子孫が国を作って成功してしまったのが問題だったのかな、と思う。</ref>
== 関連項目 ==