勝負日和

ええと、まず夜中に「状況をコントロールできないようでは男がすたる。」って誰かが呟いて、ちょっと体を押されるような感覚があったわけです。「ん?」と思って目が覚めましたら、「Beautiful life (Sing with the piano ver.)」がかかって、で、後は「音楽を聴きながら寝たければ寝てていいよ。」って言われたので、寝ていたわけですが、なんだかちょっと調節して、音楽が私の耳にどう聞こえるのか、兄さんがいろいろと試しているような感じがしたわけです。要するに、音楽を通して歌い手の気持ちが分かってしまうのはいいのですけれども、それがやらなければいけないことを忘れてしまって阻害するほど聞こえすぎてもいけないということで。


で、朝になってから、昨日のことをいろいろと思い出していたのですが、どうもね、いろんなことを「負い目」に感じないで欲しい、と言われれば感じるような私ではないわけですが、それだけではなくて、なんというか、どうしてもそうやって苦しんできた兄さんの人生を思うと、それを思って歓喜してしまう自分がちらっと出て来てしまうような気がするわけです。兄さんが毒々しいステージの上の自分をあんまり好きでないように、私もそういう自分は全然好きではないですし、出てくればすぐ抑えてしまいますが、そういう悪質な性質が自分の中にあることは否定できないわけで。お目付役なんかは「最悪」と言うわけです。
で、兄さんが言うには、そういう性質は、拡張すれば結局「人が苦しんでいるのを見て歓喜する性質」、すなわち災害や戦争で人が苦しんだり、死んだりするのを見て楽しむ性質に繋がるもので、要するに、それがどこの誰と同じ「性質」かというと、それはそのまんま「敵」の性質だというわけです。「うっ」と思うわけで、それは確かにけっこう嫌な性質だと思うのですが、そういう意味では現世における私の性質の最大の鏡は、まさに敵そのものであるらしいです。


で、その一方、私は「気」が見えない分、人が思っていることや願っていることを感じ取ってしまって、それを無条件に叶えようとする性質があって、誰かさんがスーパードライのポスターを見て欲しい、と思えば見てしまいますし、禁忌である死んだ人の歌でも、聴いて欲しいと願われれば聴いてしまう、ということで、誰かの祈りや願いを感じ取る性質が強いのは良いことですけれども、そればっかりだと万が一、「敵の領域」に踏み込んでしまった時に敵は私に直接、勝負を挑むか、代償を求めてくるかしますので、やり過ぎてはいけないことなようです。要するに、その勝負を蹴飛ばして勝てている内は良いですけれども、敵が全力をかけてくればいつかは潰されてしまうものかもしれないからです。だから、そういう傾向が強くても、戦略には邪魔、ということで、むやみやたらに人様のお願いは聞いてはいけないものらしいです。
そして、学生時代に失敗してしまったのは、結局2番目の子の気持ちの中にはどうしても、私を独占したいとかそういう思いが入ってしまっていて、私は「気」は読めませんけれども、そういう気持ちは感じ取ってしまうので、結果を考えずにその願いを叶えたいと行動してしまう一方で、目的が別のところにあることはどうしても分からなくて、周りの人にはそういう私であることが分からなくて、それで結局誰も事態を収拾できないような状況に陥るのを止めることができなかった、とそういうことらしいです。


なるほどね-、と思うわけで、でもって、朝からやはり、いろんな動画とか見て、目や耳の使い方を研究した方が良いのではないのか、ということで、「何を見ようかな」ということで考えていましたら、「B'zの動画を見て欲しい。巻き込まれない力があるのなら見て役に立てて欲しい。」と言われましたので、見ることにしました。

で、まず最初は「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」のテレビ版(Mステバージョン)だったと思うのですが、お目付役が「最初からこんなもの見せおって」って呟くわけで、この曲には「太陽が凍り付く」というような歌詞が出て来ますので、本来であったら良くない曲なようなのです。で、それは分かるわけですが、中に「あきらめながらは 生きないで」という歌詞があるわけで、そこだけちょっと大きく聞こえるというか、そこだけ力が籠もっているように聞こえるわけです。だから、良くない曲であっても、歌詞の中に「送りたい言葉」があれば、そこに気を込めて唄うこともできるんだなー、と思ったわけで。


次に見たのが「BLOWIN」のテレビ版だったのですが、テレビに映っている稲葉さんのセクシーなお姿に、「かっこいい。」とちょっとときめいてしまいましたら、「それはちょっとまずい。」と思った兄さんがいたようで、まあ、見ることは見たのですが、要するにこれも良くない曲なわけで、ただ歌詞の中に「終わらない」という言葉があって、そこだけやはり強調されて聞こえてくるわけです。だから、この歌もここに特別な意味を込めて唄われているのだな、と分かるのです。
(ちなみに「あのセクシーさをどう思う。」と聞かれましたので、考えてみましたが、稲葉さんは真面目な方ですし、あの色気は毒々しさがなくて、健康な男性の健康な色気だと思ったわけです。そっかー、世の中にはそういう「色気」もあるわけだ。)


で、次に見たのがライブ版の「BLOWIN」で、なんというか、すごいーー、と思ったのは、ステージも禍々しい「はず」ですし、稲葉さんが着てるTシャツの背中に「80」とか書いてありまして、それも良くないものの「はず」だと思うのですが、なんというかそんなものを全部吹き飛ばしてしまうくらいお二人の力が強くて、ステージの上で彼らだけの気を放っていて、「こっちへ来い」と言うわけで、もちろんそれにはまって、B'zのファンになってしまったら、それはそれで「負け」なのだと思うのですが、お二人は少なくとも単純に「禍々しい」と感じるものの気ぐらいは吹き飛ばしてしまうくらいの強い力を持っていて、それは兄さんでも「恐ろしい」と思うくらい強いらしいです。


要するに、神サマの世界では、弱い立場の人を思いやらなければならない、ということはあるとしても、結局は「力と力」の関係であって、神が他の神に願いを叶えてもらう場合には、勝負に打ち勝って勝つか、代償を支払うかしかないわけで、兄さんでさえ、お二人にお願い事がある場合には代償を支払わずにはおれないようなのです。そして、それだけの強い力を持っているのがお二人だというのです。生きている人の中に、いわゆる「現人神」という存在がいるとしても、それはいわば一種の「立場」であって、結局は「人」ですから、神の名を貰ってもそれに相応しい力を持っていない人もいるし、逆にその名に相応しい力を持っている人もいるわけで、稲葉さんはそういう意味では文字通り、相応の力を持った「神」であるらしいです。要するに、その力に巻き込まれずに勝ち残ることができれば、勝ち残った方が「力の強い神」ということになるということで。そして、こういう勝負では「勝った」側の方が、より多く相手から「奪える」ことになっているようなのです。


で、兄さんとしては私が稲葉さんにちょっとくらっときてしまいましたので、疲れすぎないようにということで、ここで一休みして「Beautiful life」を聴いたりしていたのですが、途中でサポーターの方にも来て頂いて、また仕切り直しということで、今度は「太陽のKomachi Angel」(テレビ版)を見たわけです。そこで放っているお二人の気も攻撃的ですごいな、と思いましたけれども、これを見ていて分かったわけです。これは敵ではなくてB'zのお二人から、兄さんへの勝負であって、もし私が彼らの力に勝って、兄さんのことを忘れてしまわずにいたら、情報を与えて、戦う力も貸してやろう、とそういうことだったんだな、と。
そして、そこで聞いたこと。私は、神々の世界のやり方を全く知らなくて、敵の「代償を支払え」という要求をいつも力業で蹴飛ばして生きてきていたので、そうできるうちはそれでも良いけれども、それは敵が全力を挙げてくればくるようになるほど、いつかは潰されてしまうものであろう、と。
で、特に東日本大震災で、私は人々の願いに耳を貸しすぎて、あの時、困っている人を一人でも多く助けるためなら何でもやろうとして、やったことに敵は非常に怒っていると。特に、敵の手駒であった原子力の火を水かけて消してしまったことに敵は大激怒しており、彼らはその代償にもはやただ一つのものしか求めなかった。それは私の「命」である、とそういうことだったようです。そんなものですから、結局誰をどう選ばせるとかそんなこと言っていられなくなって、ともかく危ない橋を渡っても、強引にこちら側に引き込んで、結婚させてしまって厳重に守っていけ、ということになって、現在に至るらしいです。要するに、私にはとうの昔に「死刑宣告」が出ているらしいです。そーなんだ、だから、人のお願いをむやみやたらに聞いちゃいけないんだ@@、というわけで、今日の勝負はそういう情報を私にくれるための勝負であったらしいです。とはいっても、B'zのお二人は、こちらに好意的な方々ですから、途中で兄さんがやばいと思えば、休憩時間をとったりとか、サポーターを入れる余地を与えて、勝たせて下さるわけで、それでも勝負は勝負で真剣にやらねばならないもののようです。(あとは、泉水ちゃんの願いを3人に伝える役目も果たしましたので、それに対するお礼の気持ちも兼ねてのもののようですが。)


でも、B'zのお二人に打ち勝てる「目」を持っている私の「目」はやはり「本物」の目だということで、「太陽のKomachi Angel」はこう聞こえてくるわけです。「あなたは守られるだけの花じゃない。敵の死刑宣告を蹴飛ばせるだけの力があるのなら、蹴飛ばして蹴飛ばして蹴飛ばし返して、勝負に勝ち抜いていけ。そうして、逆に相手から過分に奪ってやれ。残虐さと献身さの両極の性質をもって、その間を意思の力を持ってバランスを保ち、人として生きていけるあなたなら、そうやって生きていけ。それが本物の力で、No.1でもオンリーワンでも良いから、「一つ」しかないものは「一つ」だけなのだと相手に思い知らせてやれ。こちらが「本物」であちらが「偽物」だ。理屈ぬきでPush! We can say!」
すっげー、お二人とも攻撃的だー、と思いましたが、そっかー、こういうことなんだー、とも思ったわけで。結局私は、いろんな事情も今まで理解できてなかったので、神サマとしては力が弱くて、みんなで守っていかなければならないような弱い存在だと思われてたらしいのですが、兄さんも籠絡しちゃうようなけっこうな目力を持っていて、しかも、私自身もけっこうアクティブに生きることが好きなタイプなんで、だったらそっちでもいけるんじゃないか、と今では思われているらしいです。(って書くと、お目付役から「最悪」って言われるわけですがーー;)


そして、お昼を食べて午後、もう少しB'zの動画を見てみようということになって見たわけですが、これはどうやら兄さんの独断であったようで、今度はこちらから勝負を持ちかけたものであったようです。要するに一番目の子は、卒業式の私服とか、いろいろと稲葉さんにご尽力をして頂いているわけで、力の差からいえば、その借りはとても彼には一生かかっても返せないものであるらしいです。稲葉さんはお優しい方ですから、一生の間その借りを返せとは言わないかもしれないけれども、借りは借りですから、兄さんとしては返せるときに返したいと思ったようで、もしいろいろな動画を私が見て、こちらが負けなければ、それで彼の借りはチャラにする、とそうなったようで。お目付役は「こっちに一言も無く決めおって。」と言うわけで、私に対しては「あなたもあの男の暴走を止める気はないんですよね?」って、分かってるなら聞かなければよいようなこと聞いてくるわけです(苦笑)。
で、またまた、良い曲も良くない曲もいろんな動画を見たのですが、稲葉さんて、唄っている時は唄うことに大集中していて、感情って表に出さない方なんだなー、と思ったわけです。で、その歌って、言葉の一つ一つに、ものすごい「説得性」があるというか、そういう風に聞こえるわけです。例えば、絶望しているような人の歌を歌うという場合には、なんというかそういう人のストーリーがあって、それを歌にして唄う、という感じになると思うのですが、聞いているとその主人公が「こう絶望しているんだ~」というような内容の歌に聞こえなくて、聞いている人の心に「絶望しろ」とか「今は絶望的な状況だと思え」とか、そんな風に聞こえてくるような歌い方をしているように思えるのです。っていうか、いろいろと聴いていると「全部嘘だと思え」とか「外に出ろ」とか「終わってしまえ」とか聞こえてくるわけで、いや今の状況がもし仮に全部嘘で、幻のようなものだったとしても、「そういうこと言ってるあなた達の声がなんで聞こえてくるんですかね?@@」みたいな。うわー、こういう歌い方もあるんだなー、と思ったわけです。


で、お二人の気持ちみたいなものは、テレビにしてもライブにしても、ステージの上から唄っているものからはあまり感じられなくて、むしろPVから感じるように思います。良い曲のPVを見ていると、「なんとしても月の子の手を取ってほしい」とか伝わってきますし、悪い曲のPVを見ていると「こんな曲聴かせたくないのに」とか、伝わってくるのです。「Calling」は、兄さんの曲なんだとは思いますけれども、歌詞の中には2番目の子を思い出させる言葉が使われていて、もはや誰でも良いから、3人の内の誰かに繋がっていって欲しい、という思いをひしひしと感じます。でも、稲葉さんは全体としては、一番目の子を可愛がってらっしゃるのかな、と思います。
それで、最後に「いつかのメリークリスマス」を見たわけですが、どうにも勝負しているはずなのですけれども、「いつまでも手をつないでいられるような気がしていた」という部分で、どうにも私が「MUSIC MONSTER」の兄さんのMCを思い出して、笑ってしまうものですから、兄さんも爆笑してしまうし、お目付役からは「ここは笑う場面じゃない」って突っ込まれるということで、まあ、結果的には全然「巻き込まれていない」ということで、一応こちらの勝ちということになったようです。でも、敵の声がちょっと聞こえてしまったということで、なんというか、敵が兄さんに「その女をこちらによこせ。それはこちらの獲物だ。」って言ってる声まで聞こえてしまって、へー、そういうことになってんだ、今、と思うわけですが、兄さんとしては夫として私を守り抜いてくれる決意のようです。まあ、それはありがたいし、うれしいと思うことなわけですが。


それでもって、どうにも今まで兄さんの歌を聴いて、気になっていたことですが、何というか「家族になろうよ」では「どんなに信じ合ってもわかり合えないこともあるでしょう」とか言ってますし、「誕生日に真白な百合を」では「認めてくれるかな、この生き方を」とか、言っていますし、なんだか求婚のお歌にしては、憂いを感じる部分があるというか、いったい何が「わかり合えなく」て、何を「認めて欲しい」のですか、あなたは。と思うわけです。
どうも、私が感じた部分では、お目付役がそうであるように、蛙の人たちは、兄さんの蛇の気性をけっこう嫌いますし、なんというか、誰もが私もそうなんじゃないかな、と思ってたような気がするのです。だから、兄さんとしては自分の「蛇」の部分が私に理解されなくても、仕方がないんじゃないかな、と思って憂えてた部分があったように思えてならないのですが、どうもね蛙の人々は、どうせそんなことになるだろうから、私は一番目と二番目の子とだけ仲良くしていれば良いので、兄さんとは最低限必要な部分でしか私と会わせず、飼い殺しみたいにして自分たちの都合良く番犬みたいにして使えば良い、と思っていたように思えてならないわけですが。それで、兄さんも自分が私に嫌われれば、そうなっても仕方ないかな、と思っていた部分があったように思えるわけですが。だから兄さんを応援する人たちはみな、私に直接「彼のことを知って欲しい。見てくれに惑わされないで欲しい。」と心から訴えてくるわけで。でも、蓋を開けてみたら、私の本性の一極は兄さんの上いく邪悪な蛇女神ってことで、たぶん、兄さんはその点だけでも思っていたよりも自分について理解が得られそうで、喜んでいる、とそういうことなのだと思うわけですが。

だから、兄さんが一番目の子に対して、こうやって恩を売るような作戦を立てたのは、将来みんなが一緒に暮らせるような状況になれば、他の二人と同じように、私がそう望めば、私の住む場所の一角に自分の居場所も作って欲しい、と、私から蛙さんたちにそう働きかけて欲しいし、私の目の力からすれば、彼らは力関係の上から私には逆らえないから、とそう望んでるのだと思います。全くもって、妥当なお願いだと思うので、それを主張するのが必要な場になれば、私はそうしたいと思いますし、他の二人は反対なんかしないだろうと思うわけですが。あなたたちは、一生互いに毒吐き漫才をして、この私を楽しませていれば良いのですな。
(午後の勝負に関しては、お目付役も絶句、ということで。彼は彼で、いずれ「生放送で奥様の目と対決してお前も身ぐるみ剥がれてしまえばいい」とか思っているようですがーー;。兄さんは兄さんで、26日の嵐の特集が楽しみだと思ってそうですよ、全くもー。そして、兄さんは稲葉さんの目にも勝てたことはうれしいらしいです。)



Posted by bellis 17:11 | 日記 | comments (x) | trackback (x)