夢その他

音楽を聴いて寝たら寝たで、どうも歌っている人に口説かれるような夢を見たようです。でも、あまりインパクトが強くなくて、目が覚めたらよく覚えていなかったような。とにもかくにも、夢の中に出てきてインパクトが強いことにかけては福山君に勝るものはありません。


で、キューピーのCMの福山君が薄いクリーム色(マヨネーズの色とも言いますが)のジャケットを着ていたのが気になっていて、そういえばバチカンから韓国に来ているじいさんもクリーム色の服を着ていたな、と気が付いたわけです。ベテホルンの父なるコロン・ベス・サバジオス・ゼウス・アメンは羊がトーテムのイザナギなわけで、「クリーム色の上着」を着ているんだ、なるほど。と、気が付いたのでした。さすがに兄さんは、そつがないというか、無駄なことをしないというか、夢に出てきても、現実でもインパクトの強いことしかしない人だな、と思ったわけですがーー;。


今日は、旧約聖書のヤコブとラケルをちょっと調べていたのですが、ヤコブがテシュブの変化した名であるならば、ラケルはクク(蛙)から変化した名であると思います。母系信仰の強いヒッタイトでは、ヘバトの方が主神ですから、「誰かを犠牲にする」というのであれば、イナンナードゥムジ的に男性の方が犠牲になるという傾向が神話の上で強いのですが、テシュブは本来フルリ人の主神ですから、男系的なフルリの思想においては、蛙の妻を犠牲にするイザナミ的な神でもあったのだと思います。それが、「ラケルが子供を産んで死ぬ」という旧約神話に投影されているのだと思う。だから、「テシュブ」という神の立ち位置はそもそもヒッタイトと、純フルリ的な文化の中では異なる傾向にあるわけで、純フルリ的な文化に近づけば近づくほど、その性質はゼウス・サバジオス・コロンと一致する傾向にあるのだと思います。それがローマ神話のキューピッド=アモール(要するにテシュブ=アメン)という思想に現れているのだと思う。
一方、旧約では同じ「蛙」から発生しても、夫から余り愛されていないレアの方は子供を産んで死んだりはしていないわけで。(最もその名はヘブライ語では良い意味ではないのですが。)旧約神話は、古き祖神神話を、「人間の先祖の話」におきかえる時に、蛙の女神をレアとラケルに分けて、片方を生かし、片方を殺すというような折衷的な内容になっているのだと思われます。だから、妻と共に歩むヒッタイト的なテシュブと、妻を食べてしまうエンリル・ゼウス的なテシュブの二面を「ヤコブ」という存在は内包しており、文民統治主義なのか、それとも略奪主義なのか、という矛盾した二面性はやがてイスラエルそのものを2つに割ってしまうのだと思われます。その芽は、既に彼らを一つに纏めるための神話の中に内包されていたのです。(イスラエルの12部族というのは、実際上は同盟的な他民族集団であり、行動を共にすることで一致していた人々であったと思うのですが。)
そして、2つに別れたあと、近東を離れた集団は、最終的にヤコブとレア・ラケルの神話を、「ニニギとイワナガヒメとコノハナノサクヤビメ」の神話にしてしまったのだと思います。丈夫であるけれども夫に愛されないイワナガヒメと、美しく夫に愛されているけれども儚い命のコノハナノサクヤビメです。しかも、夫に不貞を疑われたコノハナノサクヤビメはラーマヤーナのシータのように、火を放った中で出産するわけで、記紀にはそれで彼女が亡くなった、とか書かれていませんが、それはイザナミの最期やシータの最期(いずれも焼け死んでいる)と同じ最期を暗示しています。そして、そのコノハナノサクヤビメの象徴が「不死の山」である「富士山」なわけですから、そこにも「子を産んで死んで不死の神になれ」という思想が透けてみえます。


そして、穀霊として祀られているニニギは、ユダヤ教的には穀霊として祀られるヤハウェとその性質が一致しています。要するに、「ニニギ=テシュブ=ヤハウェ」となるのが古きユダヤの思想、そしてその前身である古きフルリ人の思想なのだと思います。彼らが奉じる「青い目のラケル」はやはり、殺されるだけの女神であるのでしょう。
私は、ヒッタイト的文民統治的三神主義とでもいうべき理想の思想が、もしあるのであれば、何故ヒッタイト的にテシュブを夫にしてはいけないのかについてずっと疑問に思ってきました。だけど、その神には二面性があり、妻を食い殺すゼウス的ヤハウェでもあるから、とってはいけないのだとやっと気が付いたわけです。古き女神信仰を守れる夫神は、どんな暗闇も優しく照らし出すコンライトの神様のみであるらしいです。(でも、古き巴蜀的多夫主義ではどちらも「夫」なのでしょうけれどもね。洋の東西では「三神主義」の解釈にも微妙な違いがあるわけだーー;。)


だけど、余談ですが、西洋的にはテシュブ=ヤハウェ=ゼウスという思想も強いから、キューピッドとアメン・ゼウスもほぼ同じもので、ゼウスがテシュブの代理人を務めることもできるんだ!? とか思うわけですが。代理人の方が力が強くて、そつがなくて、コワい気もするわけですがーー;。ま、近々良いことがあれば良いな、とは思うわけですが。



Posted by bellis 18:49 | | comments (x) | trackback (x)