昨夜は特に夢も見ず。今日は朝の内雨が降っていて、午前中はそれに加えて所用で出かけていたので、作業はごくわずかしかできなかった。
で、昨夜は「ブンブブーン」と「いただきハイジャンプ」を見て寝て。
それにしても、ヴァティカヌスとは、「赤ん坊が泣き騒ぐことを支配する神」と言われる。だから、産声に関する神、誕生に関する神、のようにも言われる。その一方で、「ヴァティカヌスの丘」と呼ばれたキリスト教以前のバチカンは、人の住まない埋葬地であったそうです。で、なんでそこにキリスト教の教会が建てられたのかというと、そこが聖ペトロの墓である、とか、聖ペトロが殉教した場所であるから、ということだそうで。そういう黄泉の国も同然の墓場と、「赤ん坊の泣き声」がどう関係するのかというと、答えは一つしかないわけで。古代の地中海周辺地域には、広く人間も動物も初子を生け贄に捧げて焼き殺す習慣があったわけで、赤ん坊を生きたまま焼く際に上げる鳴き声をかき消すために、祭祀の際にはトランペットやシンバルで大きな音を立てた、ということで。要するに、ヴァティカヌスとは、元々焼き殺される赤ん坊の断末魔の叫び声を神格化した神だよねえ?? と思う。時代が下って、そういう祭祀が嫌われてくるようになると、「父なる神」に捧げられるのは、赤ん坊ではなくて国家などに対する犯罪者を処刑するという名目で生け贄が捧げられるようになる。だから、その場所でペトロは殺されている。だから、ペトロそのものがヴァティカヌスに対する生け贄で、かつヴァティカヌス(生け贄)ということですよねえ?? と思う。だから、その名前を持っている人達は、すべからく生きていても「犠牲」ということになる。要するに坊主になれば、妻帯はできない。正式に子孫を残すことは許されない。だけれども、古来よりイタリアの名家は、自分の家から法王を出すことで、現実的な利益を得てきた、から、そういうことなんだと思う。子弟を一人教会に差し出す代わりに、教会内での有力な地位を手に入れることができれば、教会の持っている権力を自分たちのために利用できる。でも、蛙の王家が、神々を奴隷に差し出す理由は何? と思う。
印欧語族の階級制というのは独特であって、まずリーダーが必要だから頂点に王が存在する。その次は、余剰な若い人員(主に男性)で、いざというときにコミュニティーを守るために命をかけて戦う戦士階級が存在する。彼らは日常的な農作業なんかは免除される。彼らの役目は体を鍛えたり、武器の使い方を覚えることで、日常生活は優遇される。しかし、いざというときは一番先頭に立って戦い、死ななければならない。その次に一般的な庶民階級が来て、その下に奴隷階級がある。でも、王を決めるときにはコミュニティーの構成員での選挙で決定されたりして、彼らの身分は、厳然として存在するのに、その一方で完全な固定ではない。優れた人物は奴隷であっても、王にもなり得るような流動的なものである。また王侯貴族も戦争に負けたりすれば、奴隷にされてしまったりする。こういう印欧語族の社会的思想は、時代が下ってくると2分化されるようになる。一方では、選挙で首長を選ぶし、身分も流動的ないわゆる「民主的」というもの。もう一方は、身分が完全に固定化されてしまって、インドのように生まれた時の身分から一生抜け出せないような膠着的なものに。
各地の神話を見ると、ギリシャ神話のウラノスとクロノスは親子であっても、互いに争いあう存在である。北欧神話では、ヴァン神族とアース神族は互いに戦うけれども、後に和解すれば互いに人質を交換して、助け合う間柄となる。どちらも、似たような有力な2つの氏族の争いと和解、という古代の歴史的事実を投影している、と思われる話だけれども、より公平とか平等の精神が強いのは北欧神話の方である。ギリシャ神話は、完全に相手を「敵」としておとしめたりはしないけれども、「父」と「子」のように表されて、神々の間ですら階級が存在している。しかし、全体から見れば、ギリシャ神話の神々は大家族を形成していて、互いに戦ったり、協力し合ったりする、それこそ普通の人間の家族のような形で描かれる。その一方で、ローマはというと、ローマの神々の固有の神話、というものはほとんどなくて、大部分は隣のギリシャの神話を都合良く流用したものである。でも、ローマの多神教は、ユーピテルを頂点とした階級制が非常に強固なもので、ヒンドゥーの階級制と非常に良く似ている、と言われる気がする。
ユーピテルの妻ユーノーは「夫に仕えるための女神」であるし、姉妹であるウェスタはユーピテルに何かあったときに犠牲を差し出す女神である。ヴァティカヌスは文字通りの「生け贄」だし、サートゥルヌスは奴隷の神であって、普段は縛られており、彼が解放されるのは、奴隷が解放されるクリスマスの期間だけである。結局ローマの多神教は、ユーピテルを奉ずる部族が、征服した部族を従わせて利用するという構造を裏打ちさせる神話を形成してる。そういう神話が存在する限り、ユーノーを奉じる人々も、ウェスタを奉じる人々もユーピテルを先祖とする氏族に従うしかない。ローマの神話はすべからくそう作られている、と言われる気がするわけで。だいたい、ローマというのは「奴隷の神」というものがものすごく多い気がするわけで。ギリシャ神話だって、下位の神々は上位の神々に仕える存在だけれども、あからさまに「奴隷の神」と定義されている者はいない気がするわけで。だから、ローマの「身分」というのはヒンドゥー同様固定的なものであるらしい。誰も、自分の「先祖」とされる神を変えることはできないし、ユーピテルの信徒に乗り換えたとしても、一番下っ端の新参者扱いされるだけだからである。
じゃあ、何故変えるの王家は彼らと組むの? ということになるわけだけれども、それは「かつてのキリスト教に改宗したヨーロッパの王侯と同じ。」と言われる。彼らは、キリスト教に改宗して、かつ部下や庶民もキリスト教に改宗させて、その代わりに贅沢三昧し放題であったりした。だから、キリスト教が蔓延する中世以降になると、ヨーロッパでは王侯貴族がやたらと威張って、その上庶民階級は「農奴」と呼ばれてこき使われるばっかりになってしまって、階級の間に断絶ができて、その差は非常に大きくなってくる。本来、王とは選ばれる者であったし、戦士階級も庶民を守るためのものであったはずなのに。あげくの果てに、教会が庶民から直接資産を巻き上げるために、「魔女狩り」とかの虐殺を始めるわけで、まさに中世は「暗黒の時代」であったわけで。蛙の王家は、自分のとこの神々や臣民を敵に奴隷として売り飛ばす代わりに、自分だけ良い思いをしてるのですねえ? と思う。だから、王家に連なって良い思いをしてきた人達は、同族でも私の味方ではない、ということで。
ということで、「Luminar」と「Aurora」というソフトがある。この2つを買ったら、「クロノス」と「ウラノス」の名前をまとめて上げるよ、と言われたので、奮発して買ったわけです。(ソフトそのものは、画像とか写真の加工に関するソフトなわけです。機能的にはね。)そうしたら、事件が起きましたよ、ということで。いろんな人から「ヴァティカヌスの交代だ」と言われる気がするわけで。だいたい、その名前はクロノスの同類語であって、本来は印欧語族の有力な「天空神」の名前にt音(女性形を示す子音)がついた名前である。だから、女性がクロノスの名前を得れば、目の力の差から言っても、クロノスの方に性質が引きずられるであろう、と思っていた、と言われる気がするわけで。ということで、ヴァティカヌス改め、クロノスが新たな地位を得た。成人の男子が未成年の女子に対して、邪な淫行を仕掛けるなんてけしからん、と考える神である。ということで、そういうことで利益を得ていた、前任のヴァティカヌスの信徒の一人の悪事が一つ明るみに出ましたよ、ということらしくて。
TOKIOの兄さん達は、元々2番目の子を応援していた人達である。長瀬君は私を助けたくて2番目の子に協力していたけれども、他の4人は違ってた気がする。山口君の件を受けて、残りの4人のメンバーが記者会見をしたそうで、中には「診断は出ていなかったけれども、日頃の言動からアルコール依存症なのだと思っていた。」とかそういう厳しい意見があったらしくて。記者会見の様子は、私も動画サイトで少し見てみた。長瀬君からは、「これが自分なりの落とし前の付け方です。」と言われる気がするわけで。城島君や松岡君の目は怒りで満ちている気がした。でも、その怒りはたぶん「女神」に向けられたものだ、という気がするわけで。彼らからは「こういうことになって満足か?」と言われる気がしたわけで。男性は、成人した女性に対してだって、いい加減な気持ちで言い寄ったりしてはいけないと思う。でも、特に女性側が社会的経験の乏しい未成年の場合には、通常時でさえ未熟な部分がある、と予想できるわけだから、成人した者は彼らを保護しなければならないのが筋である、と一般論として思うだけである。でも、それだからといって、誰かを傷つけたいとも思っているわけではないから、彼らの問いには、正直答えに窮する。そうしたら、6番目の子が、「自分が代わりに答えてやろう。こんなんでは、まだまだ全然満足とは言えないね。」と言う気がするわけで@@。で、蛇の兄さんも「Me Too!」と言う気がするわけで@@。これからも、いろんなことが山あり谷ありなんだろうな、と思うのです。