まず、「夢」から。なんというか、夢の中ではまだ学生で、学生時代に住んでいたアパートに住んでいて、数学の練習問題を解こうとするのですけれども、教科書に書いてあるのがわけの分からない記号と、複雑な分数みたいな数式で、
「こんなの習ったっけ?」
と思いつつ、解こうとしても解けない、という夢を見ました。
で、朝、半分寝て半分目が覚めているような状態で、ぼーっと「ココカラ」「生きてく強さ」「もっと強く君を抱きしめたなら」を聴いていましたら、ふっと
「福山君を忘れさせるように頑張るから。」
とかいう言葉が浮かんだ気がして、はっと目が覚めました。そして、思ったこと
「なんというか、私と福山君は現実には会ったことすらないんですけれども、何か不適切な関係があったかのような、そういう「不適切発言」を何とかして!?」
ということで、朝っぱらから何事? と思いながらブラウザを立ち上げましたら、福山君が「るろ剣」で「比古清十郎」の役をやるというニュースが目に飛び込んで来ました。主役の佐藤健君は「比古清十郎の役には福山さんがぴったり」とか言っているらしいです。そういえば、剣心の師匠ってそういう名前だったっけ? というか、「清十郎」ってそんな「海幸山幸」みたいな名前の登場人物が出てくる漫画は今ならば読まないところですが、確かにそういう名前の役柄は「福山君にぴったり」かも、と思うわけで、朝ぱらっからの夢はおいておいて、「そうなんだ~」と思ったわけです。確かに毎度毎度そつの無い兄さんです。
そして、昼。朝の夢のことを思い出して、福山君のことを忘れる? というか、唐突に心の中にふっと現れる「白鳥さん」の存在は意識して消すとか、忘れることとかできるものではない気がするのですけれども?? と思っていましたら、
「全く、その通り」
というプラカードを持った白鳥さん登場、ということで、あれま、というかなんというか。どうにも白鳥ゼウス・サバジオスは女の子を口説くのがうまいようで、甘える時はべったり甘えてきますし、ばっちり決める時には格好つけて決める、というわけで、硬軟併せて口説くことができるタイプらしいです。でも、ご当人的には
「虎の子と牡牛の子と再会する件は、兄さんに任せておけ。」
とか思ってるらしいですよ? みたいなーー;。
そして、夕方。「先生・上司にしたい音楽アーティスト」ランキングとかいうもので、福山君が1位をとったというニュースがネット上に載って、にっこり笑っている福山君の写真が添えられていました。虎の子がにっこり笑っている写真は、知っている人しか知らないわけですが、こうやってニュースサイトに載ってしまう福山君の方が、確かに悪いけれども「気」は強そう、ということで、KAT-TUNの自虐的な「In Fact」の歌詞が微妙に頭に浮かんだりするわけですが。(ええと「弱ささらしても」とかいうあたりーー;)とりあえず、大きな山は一つ乗り越えたのかな、と思います。
あとは、SMAPが「相反する二面性を持ち合わせた男を表現する。」というコンセプトのアルバムを発売するというニュースに「ん?」と思ったりとか、今日はやけに「らいおんハート」がたくさん流れたな、とか、そういうことが印象的だった一日でした。
それから、長雨が続いたせいか、花が枯れた百日草からできた新しい種がさっそく発芽してしまっているのを発見しましたーー;。残りの種を回収して、発芽したものは冬が来る前にまた咲くかも? ということで植え直してみました。今日は久しぶりの晴れ間で、暑いけれども良い一日だったと思います。
音楽を聴いて寝たら寝たで、どうも歌っている人に口説かれるような夢を見たようです。でも、あまりインパクトが強くなくて、目が覚めたらよく覚えていなかったような。とにもかくにも、夢の中に出てきてインパクトが強いことにかけては福山君に勝るものはありません。
で、キューピーのCMの福山君が薄いクリーム色(マヨネーズの色とも言いますが)のジャケットを着ていたのが気になっていて、そういえばバチカンから韓国に来ているじいさんもクリーム色の服を着ていたな、と気が付いたわけです。ベテホルンの父なるコロン・ベス・サバジオス・ゼウス・アメンは羊がトーテムのイザナギなわけで、「クリーム色の上着」を着ているんだ、なるほど。と、気が付いたのでした。さすがに兄さんは、そつがないというか、無駄なことをしないというか、夢に出てきても、現実でもインパクトの強いことしかしない人だな、と思ったわけですがーー;。
今日は、旧約聖書のヤコブとラケルをちょっと調べていたのですが、ヤコブがテシュブの変化した名であるならば、ラケルはクク(蛙)から変化した名であると思います。母系信仰の強いヒッタイトでは、ヘバトの方が主神ですから、「誰かを犠牲にする」というのであれば、イナンナードゥムジ的に男性の方が犠牲になるという傾向が神話の上で強いのですが、テシュブは本来フルリ人の主神ですから、男系的なフルリの思想においては、蛙の妻を犠牲にするイザナミ的な神でもあったのだと思います。それが、「ラケルが子供を産んで死ぬ」という旧約神話に投影されているのだと思う。だから、「テシュブ」という神の立ち位置はそもそもヒッタイトと、純フルリ的な文化の中では異なる傾向にあるわけで、純フルリ的な文化に近づけば近づくほど、その性質はゼウス・サバジオス・コロンと一致する傾向にあるのだと思います。それがローマ神話のキューピッド=アモール(要するにテシュブ=アメン)という思想に現れているのだと思う。
一方、旧約では同じ「蛙」から発生しても、夫から余り愛されていないレアの方は子供を産んで死んだりはしていないわけで。(最もその名はヘブライ語では良い意味ではないのですが。)旧約神話は、古き祖神神話を、「人間の先祖の話」におきかえる時に、蛙の女神をレアとラケルに分けて、片方を生かし、片方を殺すというような折衷的な内容になっているのだと思われます。だから、妻と共に歩むヒッタイト的なテシュブと、妻を食べてしまうエンリル・ゼウス的なテシュブの二面を「ヤコブ」という存在は内包しており、文民統治主義なのか、それとも略奪主義なのか、という矛盾した二面性はやがてイスラエルそのものを2つに割ってしまうのだと思われます。その芽は、既に彼らを一つに纏めるための神話の中に内包されていたのです。(イスラエルの12部族というのは、実際上は同盟的な他民族集団であり、行動を共にすることで一致していた人々であったと思うのですが。)
そして、2つに別れたあと、近東を離れた集団は、最終的にヤコブとレア・ラケルの神話を、「ニニギとイワナガヒメとコノハナノサクヤビメ」の神話にしてしまったのだと思います。丈夫であるけれども夫に愛されないイワナガヒメと、美しく夫に愛されているけれども儚い命のコノハナノサクヤビメです。しかも、夫に不貞を疑われたコノハナノサクヤビメはラーマヤーナのシータのように、火を放った中で出産するわけで、記紀にはそれで彼女が亡くなった、とか書かれていませんが、それはイザナミの最期やシータの最期(いずれも焼け死んでいる)と同じ最期を暗示しています。そして、そのコノハナノサクヤビメの象徴が「不死の山」である「富士山」なわけですから、そこにも「子を産んで死んで不死の神になれ」という思想が透けてみえます。
そして、穀霊として祀られているニニギは、ユダヤ教的には穀霊として祀られるヤハウェとその性質が一致しています。要するに、「ニニギ=テシュブ=ヤハウェ」となるのが古きユダヤの思想、そしてその前身である古きフルリ人の思想なのだと思います。彼らが奉じる「青い目のラケル」はやはり、殺されるだけの女神であるのでしょう。
私は、ヒッタイト的文民統治的三神主義とでもいうべき理想の思想が、もしあるのであれば、何故ヒッタイト的にテシュブを夫にしてはいけないのかについてずっと疑問に思ってきました。だけど、その神には二面性があり、妻を食い殺すゼウス的ヤハウェでもあるから、とってはいけないのだとやっと気が付いたわけです。古き女神信仰を守れる夫神は、どんな暗闇も優しく照らし出すコンライトの神様のみであるらしいです。(でも、古き巴蜀的多夫主義ではどちらも「夫」なのでしょうけれどもね。洋の東西では「三神主義」の解釈にも微妙な違いがあるわけだーー;。)
だけど、余談ですが、西洋的にはテシュブ=ヤハウェ=ゼウスという思想も強いから、キューピッドとアメン・ゼウスもほぼ同じもので、ゼウスがテシュブの代理人を務めることもできるんだ!? とか思うわけですが。代理人の方が力が強くて、そつがなくて、コワい気もするわけですがーー;。ま、近々良いことがあれば良いな、とは思うわけですが。
昨夜は、大学時代に私が居た医局で講師をやっていた先生が夢に出てきまして、この人は今教授をしているのですが、夢の中でとてもここに書けないようなことをやらかしてくれましたので、目が覚めてから
「なんで、この人の夢を今更見たんだろう」
とか
「どこかの法王が近くの国に来ているから、バチカン効果!???」
と思ってみたりしました。
今日は雨が文字通り、降ったり止んだりという天気で、雨の晴れ間にカワラヒワ達が10羽近い群れをなして、人の家の近所を飛び回っていました。人間に怖い思いをさせられたことがあまりないのか、割と人家の近くまで来ています。家から遠いところのひまわりの種は大分食べられてしまいましたので、家の近くの収穫したい種のところにいつやってくるのか、こちらも気を張っています。
昨夜見た嫌な夢の代わりに、昼間音楽を聴いていたら、「BEST FRIEND」(SMAP)、「BELOVED」、「HOWEVER」(後の2曲はGLAY)が続けてかかったりしまして、今日は立派な角を持った牛さんが何だか近くに居てくれるような感じがしていました。
昨日は、ふとした時に「会いたい人は猪年だったな。」とか「ZARD」の名前の意味とか浮かんできたのです。ZARDというのは、Zの子音がS→Kと変化しますから、基本的には「KT」、すなわち古代エジプト語のヘケトの省略系だと気が付いたのです。それで、ちょうどお盆の時期ですから、今になってやっと「ZARD」という名前の意味に気が付いても、もし亡くなった人の魂がお盆に帰ってくるものならば、泉水ちゃんは喜んでくれるだろうか、とおもってちょっと悲しくなっていたのです。
で、夜になって福山君の「Dear」、SMAPの「たいせつ」が連続してかかっている時にふと目が覚めたり、ゆずの「守ってあげたい」、Hey! Say! JUMPの「ComeOn A My House」がかかって目が覚めたり、嵐の「マイガール」、ゆずの「雨のち晴レルヤ」がかかって目が覚めたりと断続的に寝たり起きたりしていたわけですが、そんな中で夢を見ました。
ちょっとゴタゴタした夢だったのですが、青池保子の漫画の「エロイカより愛をこめて」という漫画があって、その中に「Z君」という若者が出てくるわけです。で、この漫画の主人公はタイトルの通り、「エロイカ(英雄)」という通り名の世界的怪盗が主人公で、この人はお金持ちで世界を股にかけて活躍する泥棒なわけです。で、男色家で、NATOの将校であるエーベルバッハ少佐という軍人が好き? というかちょっと関心があって、で、エーベルバッハ少佐の方も世界を股にかける情報将校(要するにスパイ?)なので、エロイカと少佐は世界の各地で顔を合わせては騒動を起こす、という、ちょっとギャグも入った漫画で、最近では「世界各地の観光地の紹介も兼ねた漫画」みたいになっていた気がするのですが、その少佐が、部下の名前を覚えるのが面倒くさくて、アルファベットのAからZまでの文字をコードネームで割り振って呼んでいるので、一番若い部下の呼び名が「Z君」と、そう設定になっているわけです。
以前、身の回りを「変な人たち」がうろついていて、そういう人たちの大部分は「知らない人」なのですが、ものすごく足音をたてたりとか、歩きながらだと読めないはずの携帯の画面を読んでいるふりをするだの、時にはサングラスをして杖を持って盲人のフリだけしてスタスタして歩くという「独特な共通点」があって、で、なんでわざわざそんなわざとらしいフリをして、私の身の回りをうろつくのか、その目的が何なのか分からなくて困っていたことがあったわけです。で、その頃に読んだエロイカの連載に、主人公のエロイカが道を歩いていて、普通の一般人(でも妙な感じの一般人)に襲われて殺されそうになる、という場面があって、それはまるで私の境遇の一場面だけを切り取ったように感じられて、なんだか非常に嫌な感じがしたので、それからエロイカは全く読まなくなったわけですが、漫画そのものは高校生の頃から知っていたわけです。(Wikipediaによると1976年から連載が始まって、単行本は39巻まで出ているそうです。もうじき40周年なわけですね。)
で、夢の中では「Z君」が主人公なのですが、どうやら彼は病気だかで療養中で、仲間とも離れて一人で暮らしているようなのです。で、そこにエロイカが現れて
「二人は既に再会を果たした。次はZとの再開を目指す。」
と告げるのです。それで目が覚めて、
「ん? 意味はなんとなく分かるけど、何故『Z君』?」
とまず思ったわけです。で、何故意味が分かるかといえば、エロイカといえば、エーベルバッハ少佐、エーベルバッハとはドイツ語で「猪の川」という意味、ということで「川のつく猪年の人」といえば、「私の会いたい人」と芋づる式に繋がるわけで、まあ漫画そのものの是非はともかくとして、少佐が「川のつく猪年の人」なら、エロイカは「最初の人」の方でしょ、ということは「Z君」とは、私のことのような気がするのですが、「Z君」は男の子なのに、何故私? と思ったわけです。そうしたら、「ZARDの「Z」」って浮かびましたので、前振りが長いな-、というか、全部前振りだったんだ!? というか、鈍い私にも分かりやすく丁寧に前振りして頂いて<(_ _)>、というか。要するに「Z」というのは「KT=蛙」のことらしいです。
最近は、朝目が覚めると、喉をゴロゴロ鳴らしたでっかい虎にグルーミングして貰える光景が浮かぶので、嬉しいのですが。でも、ちょっとゴタゴタしそうな時には、ベスなオーラ大全開の兄さんがまるで警告のようにふっと浮かんだりしますので、すごい、というか怖い、というかそんな感じになっています。まるで、いろんな人がいろんなことを教えてくれているかのように感じます。
<追記>
ストイックな軍人であるエーベルバッハ少佐は元貴族の出で、本名が「クラウス・フォン・エーベルバッハ」といって、通称が「鉄のクラウス」といったと思います。作者の青池保子氏は、確かミッション系の学校を出た人で、ドイツとかスペインとかを舞台にした漫画をよく描いている人な気がします。「鉄のクラウス」や伯爵(エロイカはイングランドの伯爵様なわけですが 笑)の新作を読んでみたいと思わない、と言えばそれは嘘になります。でも、今の私にはもっと大切な鉄があり、それはけして、人の命を無差別に奪う「軍」とか「軍神」に関係あるものであってはならないのです。それだけのことです。
まあ、でもおかまのGではなくて、Z君で良かったといえば良かったのかもーー;。(エロイカはスパルタ式に男だらけの漫画で、レギュラー的な女性の登場人物がいないのです。敢えて言えばA君の奥さんとか、メリンダちゃんくらい? 爆)
今朝、目が覚めましたら「会いたい人」のことが頭に浮かんだのですが、何故か猫顔というか、そんな感じの顔で浮かんできましたので、「何故?」と思って考えてみましたが、そういえば「会いたい人」は虎さんであったようです。(そしてきっと私は「獅子」であろうと思うのですが 苦笑)
家の周辺にいるカマキリさん達もだいぶ大きく成長してきたのは良いのですが、オミナエシの花に登って、コミツバチやミツバチを食べたがるので、内心はちょっと複雑です。彼らはカメムシやコオロギを食べてくれるので基本的には益虫なのですが、食べると甘いミツバチ系も好物なようで、この時期は不運な事故が多いですーー;。今年は連続的に花粉の多い花が多かったせいか、家の周りのコミツバチ達が割と大きく育っているような気がするのですが、食べられてるのを見るのはちと可愛そうかな、と思います。それに油断しているとカマキリは共食いしますので、ときどき見回って喧嘩しそうなのを引き離したりしています。
それから今日は断続的にゆずの「ヒカレ」とか「はじまりの歌」が頭に浮かんでいた気がします。こうやって、いつも愛する人と一緒にいられたら、幸せだろうな、とは思います。
で、ぼーっとしながら、西洋の蛇女神達の名前を考えていたのですが、彼らの特有の「t(d,j)」や「n(m)」の子音はどこから来ているのだろうな、と思ったのです。それでよく考えましたら、
「蛇」という言葉は「ジャ」とか「ダ」
「巳」という言葉は「ミ」
と読むと気が付いたのです。「蛙黽」という言葉がおそらく古語では「かぼう」と読んで、それが西洋の「KB」のつく女神群の起源とすると、「t(d,j)」や「n(m)」の起源はおそらく「蛇巳」という言葉で、それが印欧語族の蛇の太母ダヌ(Danu)のことなのだと思います。ということは、「ウアジェト」って「偉大なる蛇蛇」って意味なんだ? となるわけで、古代中国語と古代エジプト語の神話世界の近縁性の凄さが良く分かるわけです。全ての神々は
蛙(K)、黽(B)、蛇(T,D,J,Y)、巳(M,N)
の4文字から生まれ、そこに還っていくものと思われます。
だから、「たった一つの神」を示す「神聖四字」、いわゆるフェニキア文字の「HWHY(YHWH)」を何と読むかといえば、「蛇蛙黽蛙」と読むのが正しいのであると思う。神とは、そのようなものであるのでしょう。(もっとも昨今では、思ってたよりも「蛇」の力の方が強いって言われている気もするわけですが 苦笑。)