だいたいMステは録画しておいて、2回は見ることが多いのですが、昨日は改めて昼間から見てみました。関ジャニ∞改め(?)エイトレンジャーも、あんなに頑張っているのに、「企画モノ」の一言で片付けるのはちょっと可愛そう、という気もしましたので、もうちょっと気合いを入れて見てみました。
ま、そうは言いましても、「Top Of The World」もそうですが、「ER2」もあまり良い印象は持てない曲なわけで、曲が始まる前に、頑張って幽霊のふりをしたりとか、曲が終わった後に、頑張ってみんなで翼のついたヘルメスの帽子を被っていたりとか、最後の最後に右腕を振り上げて、ナルメルみたいな格好していたすばちゃんとか、そういう小ネタで頑張ってくれるのが、さすがジャニーズ、と思うわけで。でも「目力」的には、嵐とか、それからなんか変なテレビを現在進行形でやっているSMAPの方が、正直いって、やはりすごいな、と思うのです。
それから、一昨日は書かなかった西野カナちゃん。カナちゃんも「目力」はそんなに強くない、というか、普通の子が(といっても、「普通の子」としてはすごく可愛い子だと思うのですが)普通の女の子の恋愛の歌を歌うのが、カナちゃんの良いところだと昔は思っていたので、カナちゃんと「目力」は、私の中でどうも結びつきにくいという感じなわけです。でも、金髪おさげのカナちゃんは、なんとなく「ニサバみたい」という感じがするわけで、歌っている歌は、好きな男の子に尽くす普通の女の子、みたいな内容ですが、それが「人に奉仕する女神・ニサバ」に繋がる姿なのかしら? と思ってみたりしたわけで。そういうの、もしかして駄目なんだ? というところに、ちょっとほっとしたりとか、「うーむ」と思ったりとかしたわけです。なにせ、だいたい、そもそも私が、人の靴下を片付けるというよりは、自分が脱ぎ散らかしている方なものですから、それが駄目って言われるのも嫌ですが、それで良いって言われるのも引っかかるようなーー;。ま、でも散らかしたら最後には自分で片付けますけれどもね(泣)。
あとはSMAPも「Top Of The World」の最後で「怒れるナルメル」みたいなポーズをとっていましたので、ま、そういう歌なんだな、と思ったわけです。で、2回目に見て思ったことですが、どうもSMAPを見るときの目と、BUMP OF CHICKENを見る「目」が自分でも違う気がしたわけです。特にSMAPは、まるで「蛇神になっちゃえ」みたいなオーラをバンバン出していたように見えたわけですが、私はそういうのから「防衛する」ことがどうも得意ではないというか、全然駄目っぽいです(苦笑)。見るとオーラをそのまま受けて、Lady Justiceになってしまうような。ま、歌が終わるとすぐ元に戻ってしまうわけで、そういう意味では、特に最近では自分で気をつけていることもあって、影響は受けにくい? と思っていたわけですが、どうもそれだけでも良くないようです。どうも個人的に「防衛しなきゃ」とかいう必要性を認識したことが全くないんで、それでもって「目力」がうまく使えないような気がするわけで、だからアリアンロッドとか言われてしまうような気がするわけですがーー;。
で、今回はSMAPは強烈に右目で見ていましたが、BUMP OF CHICKENは微妙に左目で見ていたような気がするわけです。やっぱりこの人たちを見てると、微妙に福山君を思い出すわけで。流れた福山君のビデオも「虹」でしたし、BUMP OF CHICKENの歌も「虹」に関するような歌でしたので、そのせいなのかもしれませんが。
余談ですが、2回目に福山君の「虹」を見たら、心の中にハートマークを描いたプラカードが出てきまして。もう、とりあえず笑うしかないというか。軽く笑って流しましょう、みたいな、そんな感じだったわけです。で、Mステとは全く関係の無い話ですが、とある所から葉書が来まして、見たら、右側に海の写真、左側にひまわりの写真、というある意味「夏」を意識した写真が載っていたのですが、でも「海」が「東海竜王」の象徴で、「ひまわり」が「太陽」の象徴であれば、不吉な目の側に「ひまわり」が載っているその図は、伏羲と女媧、羿と嫦娥、さもなければイザナギとイザナミという構図なわけで、どうにも「プラカード持ってる男神」って誰? となってしまうわけですが、ともかく最近身の回りにこんな構図が多いような気がします。(でも、ひまわりの写真の方が少し大きくて、それにも少々笑ってしまったわけですが。)
どうにも、私の中では、ひまわりはガラドリエルで、福山君はアラゴルンで、タモリさんがレゴラスで(これはどうにも外してはいけない事項らしいのですが)、まあ、奥方よりも陰の薄いエルロンドもいるんだろうな、とそういうイメージがあるわけですが。では、テシュブはいずこに? ということになると、それはガラドリエルに焦がれるギムリであろう、とそんな気もしないわけでもないのですが。
ともかく、関ジャニのヘルメス、すばちゃんとSMAPのナルメル、しかもチキンな東海竜王とてんこもりな中で、ようやく、これって「HOWEVER」の時に「正しい電気の神様を選べ」ってなったのと同じように、「正しい月の神(しかも奥方よりも力の弱い神サマ?ーー;)」を選べっていう意味もあるのかな、とふとなんとなくそう思ったわけで。現実の上ではともかく、気持ちの上では選べているつもりなのですけれどもね。でもまあ、イナンナとタンムーズ的に、「夫の方が力の弱い神サマ」というと、むしろ気の毒なのは旦那サマの方なのでは、とかそんな気もしないような感じがするわけですがーー;。
我が家の月見草が咲きました。朝日に映えております。曲的に取るとしたら、カナちゃんの「君って」か、ゆずの「夏色」、さもなければ「夏が来る」のアモールとプシケのTシャツくらいかも? と思うわけですが。アモールとプシケは、神話の骨格的には、要は織り姫と彦星の男女逆転版みたいな話ですので、それで「イナラとフパシヤス」なんだ? と思うわけですが。現代的には「ポニョと草介」でしょうか。おそらく、選ばなければならないのは、SMAP-タンムーズの葬式ではなくて、愛する人と崖の上の家に住む度胸だけはある草介君ということになるのでしょう。
ええと、キャリーが出てきて、相も変わらず顔を隠したダンサーが回りを踊って、というあたりまでは、毎週のように見ている光景ですので、「こんなものかな」という感じで見ていたわけですが、福山君の「虹」を見たあたりから、「これって夏の歌?」とか、「この頃はまだそんなに(今年の春分の頃に比べれば)目力を感じなかったのに」とか思うようになったわけで、その次の「HANABI」で「もう一回」とか歌われると、「むむむ?」という気がしないでもなかったわけです。でも、本日、一番「目が点」になったのは「心のプラカード」なわけで、これには長い前振りがあります。
けっこう前から、偶然の一致? というか何というか、例えば私が「Monsterが好き」と某所に書けば、嵐が「メドレー」と冠しながら「Monster」ばかり歌う、とか、「桜坂が好き」と書けば、某兄さんがテレビで「桜坂を歌えば良かった」と発言したりとか(そういえばもっと昔には、「小泉純一郎氏はその内に総理になる」って書いたら本当に総理になった、とかそういうのもあったような気がしないでもないですがーー;)、そういうことが何回かあったわけです。で、最近、心の中で、「プラカードを持った人に話しかけられるような気がする」ということがあったというか、たまに「プラカードに何か書いて話しかけられる?」というような気がすることがあったわけで、何故そうなるのかは分からなかったのですが、それがその人の特徴なんだ? くらいに思っていたことがあったわけです。なので、「心のプラカード」で
親にも言ったことがないことなんだけど、なんであなた達が歌うの、それ?@@
と思ったわけで。それで真面目に考えてみたわけですが、プラカードというのは現代的には、デモとかで持つものなわけで、おそらくその起源は例によって、「首を指した棒を持って行進した」という遊牧民的な古代の神事に由来するものなのだと思うのです。ということは、プラカードは、
ゼウス・サバジオス・コロンの象徴
ということで。別に私の心に浮かぶ「心のプラカード」は、「君が好き」とか、そんな可愛らしい言葉ではどうもないような気がしますのでーー;。何というか、福山君の「虹」も、誰の空に入り込みたいのかが良く掴めないのですが、私のとこにはあんまり越境してこないで下さい、というか。特に寝てる時にはーー;。と、なんとなくそう思ったわけです。「BUMP OF CHICKEN」を見た時にも、酉年生まれ福山君が昔「チキンなんで。」って言った時のことを思い出したわけで、まあ、だいたい、世の中というのはそんなものなのかも? みたいなーー;。
「HANABI」の「もう一回」が、そこのところだけ? みたいなーー;。「HOWEVER」のビデオ並で、あとはみんなプラカード的なの?? みたいな、そんな感じのMステでございました。
それから、神田沙也加ちゃんと、May Jのアナ雪コンビですが、何というか私は、聖子ちゃんの鼻にかかったような歌声が昔から好きではなくて、どちらかといえば明菜ちゃんの方が好き派だったわけです。(今だったらどちらも取りませんけれども)沙也加ちゃんは、何というか「鼻声じゃない聖子ちゃん」という感じで、声は嫌いではないです。でも、まあ、あの歌では、オラフを見て苦笑いするしかないというか。で、相変わらず気合いの入ったMay J、英語バージョンの歌詞は日本語バージョンよりも更に「変」と思うわけで、ただただ
神というものがもしいるのだとすれば、神が定め給うた「自由」とは、力あるものが勝手に嵐を起こして、自分は平気だからって、弱い者を巻き込んで苦しめれば良い、というものではない
とそう思うのみです。力有るものも、そうでないものも互いを尊重して整然と生きられるのでなければ、いったい「自由」とは何なのか、とそう言わざるを得ないと思う。それができる人でなければ、「責任のある自由な人」なんて言えるはずもないからです。
その後にSMAPの「Top Of The World」も見て思ったのですが、どうも私は、「世界の全ての上に君臨できるような力を持っていたら何をしたいか?」と聞かれたら「Lady Justiceになって、「自由」という言葉をはき違えている連中を正義の剣で引っぱたく」と、そう答えるタイプらしいです。どうにも指輪物語のガラドリエルみたいなタイプなのかしら? という気もしないでもないですが。たぶん、そういう性格はこの先もずっとぶれずに変わらないのだろうな、と思います。でもやっぱり、SMAPもすごいな、と思ったのでした。ガテン系アイドル? のEXILE TRIBEとかは、見たまんまな感じというか、それ以上の興味は沸かないわけですが、さすがにSMAPは強い目力を持ってるな、と思います。(関ジャニは、あの「企画モノ」っぽいノリを見て、何を言えというのかと(苦笑)。ER2なんて、なんというか、やっぱり「そのまんま?」みたいなーー;。)
あとは、CMで出ていた嵐の大野君が、明るい表情で「おいでおいで」ってやっていたのが印象的だったな、とか。
ま、でも「心のプラカード」には、「何でも知ってる女王様」がメインだと書いてあるような(苦笑)。梅雨も明けて、暑い夏が来たようですが、「もう一度」でも「もう一回」でも良いので、ホトトギスはどんな山でもENESAVEのタイヤで乗り越えて、帰るべきところへ帰るのではないかと思うわけですが。相も変わらず、「納涼幽霊屋敷」みたいなノリのMステスペだった気がします。(でも、SMAPはこの後連続して大きな仕事があるようですので。内容は見ないと思うのですが、体力温存して頑張って欲しいな、とそう思います。)
本日のMステはタモリさんが「調節できなかったのかね」というほどガールズグループであふれかえっていた気がします。ええと、乃木坂なんとかとか、E-girlsとか、パフュームとかで溢れかえっていた気がするわけで、それ意外にも関ジャニ、GLAY、いきものがかり、吉田山田とグループばかり、ソロで出てたのはきゃりぱみゅだけという「満員御礼」みたいな状態でした。で、中身は白黒の衣装に、青に、女王蜂の群れみたいな黄色と黒というわけで、梅雨も開けていないのに、納涼大会のお化け屋敷みたいなノリというか、何というか、そんな感じでしたーー;。
で、ええと、中で良かったのは、ビデオでちょっと流れた「HOWEVER」だけで、あとはみんなどうにも、というか何というか。「HOWEVER」1曲と引き替えに、その白黒まみれな番組ですか!? とか思ってしまうほどすごかったわけで、わざわざホルンを吹いてくれる関ジャニとかが、とても親切に思えた本日でした。
「HOWEVER」の思い出は今までも、ちょこちょこと書いているわけですが、中に「言葉にはどうしてもできなかった」というような歌詞が出てくるわけで、でも、そういえば「テレビを何とかしろ」みたいなことを聞いたこともある気がするわけで。きっと、それに対する対抗馬は「もったいない」とかそんな感じなのではないかと思います。
春分の時は「HUMAN」と「暁」の勝負だったとするならば、今回は「HOWEVER」とそれ以外の頂上対決だった、みたいな、そんな印象を受けました。まあ、何というか、バアルとモートの頂上対決みたいな感じというか?(苦笑)
もし太陽女神がここにいたら、どちらを選ぶのでしょうか、と思う。まあ、次回の放送までにはその答えも分かるでしょう。
2位が「栄光の架橋」で、1位が「負けないで」というのが全てかな、と。
あとは、高校の頃、爆風の曲が流行っていまして、友達にファンの子がいたわけです。私はどちらかというと面食いなもので、「どこがいいの?」という感じだったのですが、今改めて彼らの曲を聴くと、あの頃の太陽は「弱くて小さかった」のかな、と思う。で、あの頃の私はどうしてたのかな? とかふと思ったわけですが、そうするとどうも
「アリーズ」っていうペルセポネーが主人公の死神の漫画読んでたくせに
とかいうことが思い浮かぶわけで、まあ、それは事実なので返す言葉もないわけですがーー;。「アリーズ」って「牡羊座」のことで、「羊のペルセポネー」ってベスのことですか? アメンのことですか? ホルンのボスのこと? って今なら際限なく突っ込めるわけですが、それとも舞祭組的に「ハヌマンの尻」とか「キアンの尻」とかそんな感じ? となってもいいわけですが、昔はそんなこと何にも考えないで読んでいたわけですからーー;(アメンもハヌマンもキアンも語源的には同じですねえ、ううむーー;)。この漫画は、神話の神々が現代に人間として蘇って騒ぎを起こす、みたいな話だったわけですが、私が高校の頃に最初の「アリーズ」が描かれていて、けっこう最近「アリーズII」が出てたわけです。なんとなく昔懐かしくて「II」の方も途中まで読んでいたわけですが、「I」の方のアリーズではヘラがなんだか気の強いやな女だったわけで、それが「II」の方では結構優しげな美少女になっていて、むしろそちらが気になっていたりしたわけで。
それから、大学の時に、夜に諏訪までドライブに行ったことがあって、道中でずっと「愛は勝つ」がかかっていて、で、運転していた人がずっと「コン(紺? 今?)が勝つ」って替え歌で歌っていて、なんでなんだろう、って不思議に思ったこととか思い出したわけですが。当時から、自分の家系が諏訪神に連なる神家党であることはなんとなく知っていて、なんとか辿ってみたいと思っていたことも事実だったわけです。でも、今のように資料が豊富な時代ではありませんでしたから、難しいだろうな、とも思っていました。辿る過程で、丹後半島まで行くことになるとは思ってもみませんでしたが、柱立ての祭祀を持ち、軍神である諏訪神は、むしろ黄河文明的な破壊神であり、青龍的な神なわけです。要するに、諏訪神の性質は、イザナギ、黄帝、青龍に通じるもので、祖神であり父神であっても、取り扱い要注意な神サマだったんだな、と今になれば思うわけです。死神青龍は、西欧のミン神、怒れるナルメル、プタハ、オシリス、ハーデース辺りに直結する神といえます。
要するに、女性器を持つイザナギも、男性器のないオシリスも「同じ神」ということでーー;。私もずっと人と争うことが嫌いで「弱くて小さな人」だったかもしれないと思います。でも、ある人の死をきっかけにして、こんな現実ではダメだと思い、戦う力を望んだし、その力を諏訪神に求めて、毎週日曜日に諏訪神社に通ったのも事実なわけで。
おかげで、いろんな事に向き合って戦う力は得たように思いますが、
諏訪神と結縁しすぎ!
とも思うわけでーー;。
そういえば、AKBが「フラゲ」を唄っていましたが、この頃には「鉄板」という言葉が流行っていて、なんで、そんな言葉が流行るのか不思議に思っていたわけです。福山君のお薦めも「鉄瓶」ですし、結局はそういうことだと思うわけですが、ようやくイザナギ・イザナミの神話と、三貴子の神話が意味するところまでたどり着いたわけです。「月読」は「命」とつくんだから、「男」に決まっているでしょう、と思う。だいたい、銅鐸を見てもそんなようなことしか描いてないわけですし。これからも頑張って、少しずつ前に進めたら良いな、と思うわけです。そう思わせてくれた今夜のMステだった気がします。
続き
というわけでMステ、「結婚式の歌特集」みたいなコーナーで、福山君の「家族になろうよ」と嵐の「One Love」が出ていました。どちらも初めて聴いたときは、「自分には関係のない歌」だと思っていたわけですが、いろいろあった結果、どちらも「忘れられない歌」になりました。
でもって、平井堅君の「いとしのエリー」。そもそも「エリー」って「El」の女性形? と気が付いたわけですが。頭に「K」がついたら、文字通り「蛙」ということでーー;。先週の「コブチキン南蛮」というのも子音で見ると、「K-B-T-K-N」となるわけで、ヘバト+クヌムですか? と思ったわけですが、どうも最近こういうのが多いように感じます。(いや、でも「いとしのエリー」はけっこう昔の歌ですが。)
それから、KAT-TUN、どうもMCで松本さんを持ち上げているな、と思いましたら、Mステのテーマ曲は「1090」というタイトルだそうで。KAT-TUNのデビュー(「最初」の)曲と、今夜の「最後」の曲、数字の最初の1と最後の9、とか色んな意味がかかっていそうだ、と思ったわけです。演奏が終わった後の松本さんの得意そうなお顔が印象的でした。
それから、KAT-TUNの新曲は夢のお告げ通り?、さっさと買って今日も車移動のお供に着いて来て貰っておりました。どうも私の個人的ジャニーズデータベースはTOKIOあたりが限界で、KAT-TUNとか関ジャニとかもう誰が誰だか良く分からない状態なのですが、今日改めて見て、「もしかしてリスラジのCMの人たち?」とか初めて気が付いたわけで。人の顔が良く覚えられなくて済みませんーー;、って感じではあったのですが。
今日は個人的に「大きな山」を越えた一日でしたので、あとは後片づけをしながら、少しずつ先に進めれば良いな、と思います。