=== 私的考察 ===
==== 向日神社 ====「'''向神社向日神社'''」(上ノ社)と「火雷神社」(下ノ社)は賀茂系の神社で、本来は'''上ノ社'''に'''水(雷)神・土神'''、'''下ノ社'''に'''火雷神'''を祀っていたものではないか。そして後に火雷神に水神の機能を移して、」(上ノ社)に向日神(御歳神)と[[須佐之男命]]系の神、「火雷神社」(下ノ社)に賀茂系の神と、「上ノ社」と「下ノ社」で系統の異なる神々が祀られていて興味深く感じる。
土神(上)+水火雷神(下)と思われる。向日神には槃瓠伝説を思わせる誕生譚がある。'''犬'''が出てこない「八犬伝」のような内容と考える。おそらく[[赤衾伊農意保須美比古佐和気能命|赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命]]が本来の祭神だったものが、疫神として扱われ、[[須佐之男命]]と同一視され、[[須佐之男命]]から[[年神|大年神]]に置き換えられ、更にその子神・向日神、孫神・御歳神に置き換えられたものと考える。
本来は大年神の系譜に「向日神」の名は見えないが、農耕に関する神のようなので、[[年神|白日神]]や[[年|聖神]]に類似した性質の神という点、犬祖伝説的な神話がある点から、母神は伊怒比売ではないかと推察する。彼女の夫として、本来は[[須佐之男命]]、火雷神社([[阿遅鉏高日子根神]]に相当)が充てられているのではないだろうか。
赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命(上)+[[阿遅鉏高日子根神]](下)
と思われる。向日神には槃瓠伝説を思わせる誕生譚がある。'''犬'''が出てこない「八犬伝」のような内容と考える。おそらく赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命は後に消去され、[[阿遅鉏高日子根神]]が[[火雷大神|火雷神]]に、子神の'''多伎都比古命'''が'''大歳神(向日神)'''に置き換えられていると考える。高鴨神社の'''瀧津彦命'''である。向日神と大歳神は「父子」とされているが、おそらく「'''同じ神'''」であろう。向日神(瀧津彦命)の母神には'''天甕津日女命'''が推定される。伝承にある「'''文武天皇第三皇女'''」とは、'''天甕津日女命を民間伝承化したもの'''と考える。
これが愛知県の'''伊奴神社'''になると、大年神の妻にになると、大年神の妻に正式に'''伊奴姫神'''が登場する。これは赤衾'''伊努'''意保須美比古佐倭氣命神の妻であった'''天甕津日女命'''を、夫に合わせて犬化したものと考える。(そのため、山に子は捨てなくても良くなったと思われる。)大年神は向日神社と同じく、瀧津彦命のことと思われる。を、夫に合わせて犬化したものと考える。大年神は向日神社と同じく、瀧津彦命のことと思われる。'''伊奴姫神'''は元々は大年神の母神だったと思われる。こちらではは元々は大年神の母神だったのではないだろうか。こちらでは'''[[阿遅鉏高日子根神]]'''が'''須佐之男'''に置き換えられている。'''伊奴姫神'''は本来須須佐之男の妻とされていたのではないか。赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命は祭神から外されてしまったが、大洪水を収める「に置き換えられている。赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命は祭神であったかもしれないが、大洪水を収める「'''犬の王'''」として伝承に残されたように思う。この神に本来水神としての機能があったのだろう。こちらも賀茂系の神社だったと思われる。
稲作を奨励した'''向日神'''には、'''[[后稷]]'''や'''炎帝'''に似た性質がある。特に'''[[后稷]]'''には奔(捨てられし者)という名が存在した。