「羊」を編集中
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野生タイプのヒツジの上毛(ケンプ)は黒色、赤褐色や褐色であったが、改良によってヘアーやウールタイプのヒツジからは淡色や白色の毛が得られ、染料技術と共にメソポタミアからエジプトに伝播し、彩色された絨毯は重要な交易品となった。紀元前1500年頃から、地中海に現れたフェニキア人によって白いウールタイプのヒツジがコーカサス地方やイベリア半島に持ち込まれた。コーカサス地方のヒツジは、のちにギリシア人によって再発見され、[[イアーソーン#コルキスの金羊毛皮|黄金羊伝説]]となった。このヒツジは<!-- コルキス種となり、-->ローマ時代には<!-- 南イタリアで-->柔らかく細く長く白いウールを生むタランティーネ種へ改良された。ローマ人が着用した衣服はウールの織物である。一方、イベリア半島では、すでに土着していたウールタイプのヒツジとタランティーネ種の交配による改良によって、更なる改良が続けられ、1300年頃のカスティーリャで現在の'''メリノ種'''が登場した。 | 野生タイプのヒツジの上毛(ケンプ)は黒色、赤褐色や褐色であったが、改良によってヘアーやウールタイプのヒツジからは淡色や白色の毛が得られ、染料技術と共にメソポタミアからエジプトに伝播し、彩色された絨毯は重要な交易品となった。紀元前1500年頃から、地中海に現れたフェニキア人によって白いウールタイプのヒツジがコーカサス地方やイベリア半島に持ち込まれた。コーカサス地方のヒツジは、のちにギリシア人によって再発見され、[[イアーソーン#コルキスの金羊毛皮|黄金羊伝説]]となった。このヒツジは<!-- コルキス種となり、-->ローマ時代には<!-- 南イタリアで-->柔らかく細く長く白いウールを生むタランティーネ種へ改良された。ローマ人が着用した衣服はウールの織物である。一方、イベリア半島では、すでに土着していたウールタイプのヒツジとタランティーネ種の交配による改良によって、更なる改良が続けられ、1300年頃のカスティーリャで現在の'''メリノ種'''が登場した。 | ||
− | + | 理想的なウールだけを産するメリノ種は毛織物産業を通じてスペインの黄金時代を支えた。メリノ種はスペイン王家が国費を投じて飼育し、数頭が海外の王家へ外交の手段として贈呈される以外は門外不出とされた。これを犯した者は死罪だった。18世紀になると[[半島戦争|スペインの戦乱]]にヨーロッパの列国が介入し、メリノ種が戦利品として持ち去られて流出、羊毛生産におけるスペインの優位性が喪失された。イギリスでは羊毛の織物と蒸気機関を組み合わせた新産業が興った。[[1796年]]、南アフリカ経由で13頭のメリノ種がオーストラリアに輸入された。このうちの3頭が現在のオーストラリアのメリノ種の始祖になったと伝えられている。この羊を買い取った[[ニュー・サウス・ウェールズ州]]の[[ジョン・マッカーサー]]はヒツジの改良に努め、オーストラリアの羊毛産業の基礎を築いた<ref>「オセアニアを知る事典」平凡社 p279 1990年8月21日初版第1刷</ref>。 | |
=== 羊皮の歴史 === | === 羊皮の歴史 === | ||
− | + | ヒツジの皮の利用は最古のものとしては紀元前2500年頃まで遡ることができるが、[[羊皮紙]]としては、紀元前2世紀頃の[[ペルガモン]](現在のトルコ)で本格的な加工が始まったとされる。 | |
=== 羊乳の歴史 === | === 羊乳の歴史 === |