差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
383 バイト除去 、 2022年10月6日 (木) 14:41
編集の要約なし
== 紋章学におけるドラゴンとの区別 ==
「二足の竜」の図像は、イギリスを除くヨーロッパではドラゴンの一般的な形態の一つとして扱われており、これをワイバーンとしてドラゴンから区別するのはイギリスおよびイギリスの旧植民地に特有のことである。「'''二足の竜'''」の図像は、イギリスを除くヨーロッパではドラゴンの一般的な形態の一つとして扱われており、これをワイバーンとしてドラゴンから区別するのはイギリスおよびイギリスの旧植民地に特有のことである。また、そのイギリスにおいても当初からワイバーンとドラゴンは区別されていたわけではない<ref>{{Harvtxt|Boutell|1867}}は「初期の[[紋章記述]]において(ワイバーンとドラゴンの)区別はいつも認められた訳ではない」としている。(Boutell, 1867)は「初期の紋章記述において(ワイバーンとドラゴンの)区別はいつも認められた訳ではない」としている。</ref>。
二足の竜をドラゴンと読んだ例も、四足の竜をワイバーンと呼んだ例もあるため、過去の文献にあたる際にはワイバーンと記されていてもそれが即ち二足の竜を表しているとは限らないことに留意が必要である。
{{Harvtxt|Barron|1905}}は1530年の文献に対し、この時期の殆どの紋章記述においてドラゴンという術語は二足の竜を指しているとした(Barron, 1905)は1530年の文献に対し、この時期の殆どの紋章記述においてドラゴンという術語は二足の竜を指しているとした<ref>トーマス・ウォール(中世イングランドの紋章官。5代目の[[:en:Garter_Principal_King_of_Arms|Garter 中世イングランドの紋章官。5代目のGarter Principal King of Arms]])が1530年に書き上げたクレストの目録内の「ドラゴン」という記述に対し、「テューダー家の四足のドラゴンはこの後の形態であるため、この時期の殆どの紋章記述と同様に、ここでのドラゴンはワイバーあるいはワイバーンを指して使われている」と注釈を付けた。</ref>。少なくともこの時期においてドラゴンとワイバーンは同一視されていたと言える。
{{Harvtxt|Fox(Fox-Davies|1902}}が「ワイバーンとドラゴンの区別は比較的最近のことであるのを忘れてはならない」とするように、四足のドラゴンがイギリスの紋章学に登場したテューダー期以降もワイバーンとドラゴンの区別は厳密に行われてきたわけではない。典型的な例が[[大英博物館]]の写本部の印章の目録{{Harv|Birch|1887}}であり、ここではそのテューダーの四足のドラゴンを指してワイバーンと呼び表している。 [[File:Seal of Henry VIII.png|thumb|center|ヘンリー8世の印章の一つ{{Harv|Birch|1887}}。同書内でこの印章の竜はワイバーンと記されている]], 1902)が「ワイバーンとドラゴンの区別は比較的最近のことであるのを忘れてはならない」とするように、四足のドラゴンがイギリスの紋章学に登場したテューダー期以降もワイバーンとドラゴンの区別は厳密に行われてきたわけではない。典型的な例が大英博物館の写本部の印章の目録(Birch, 1887)であり、ここではそのテューダーの四足のドラゴンを指してワイバーンと呼び表している。
== 象徴 ==
[[File:Emblem above the south gate of the Chelsea Physic Garden - geograph.org.uk - 1598420.jpg|thumb|right|Worshipful Society of Apothecariesの紋章]]
紋章においてワイバーンは戦争、嫉妬あるいは疫病を象徴するとされているが、これはワイバーンに限ったことではなくドラゴンにも共通する特徴である。{{Harvtxt|Boutell|1873}}は「(四足の)ドラゴンは疫病の象徴である」としており、{{Harvtxt|Vinycomb|1906}}は「昔の紋章官達はこれらの想像上の怪物(ドラゴンとワイバーン)について、これらは疫病のしるしであり(中略)悪意と嫉妬を象徴すると言う。紋章学においては、これらは敵の打破や専制の意に用いられる」としている。

案内メニュー