「ワイヴァーン」を編集中
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=== 中世のワイバー === | === 中世のワイバー === | ||
− | + | 中世イングランドでは「ワイバー」という名の二足の竜の図像が印章や紋章に描かれるようになった。13世紀のウィンチェスター伯である[[:en:Roger_de_Quincy,_2nd_Earl_of_Winchester|ロジャー・ド・クインシー]]が用いていた印章にワイバーが確認できる。イングランド王・[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]の孫にあたる第2代[[ランカスター伯]][[トマス (第2代ランカスター伯)|トーマス]]と第3代ランカスター伯[[ヘンリー (第3代ランカスター伯)|ヘンリー]]の兄弟も印章にワイバーを用いていた。紋章においては14世紀初頭からエドムンド・モーリーなどワイバーを紋章に用いていた貴族が存在したことが紋章鑑に記録されている。この紋章鑑には図はなく紋章記述のみが記されているため、エドムンドらの紋章が実際にどのようなものであったのかは不明である<ref>[[ヨーク大聖堂]]にはモーリー家のステンドグラスがあり、その中にはエドムンド・モーリーの紋章も描かれている([http://www.flickr.com/photos/roelipilami/10629218555/in/photostream/ 外部サイト] 左)。ただし紋章鑑に記録された紋章記述が彼の紋章には3体のワイバーが描かれていたとしているのに対し、このステンドグラス内の紋章に描かれているワイバーは1体である</ref>。 | |
− | + | この時期のワイバーはトカゲのような姿をしており、小さな翼が生えていることもあれば生えていないこともある{{Harv|Barron|1911}}。{{Harvtxt|Scott-Ellis|1904b}}はランカスター伯トーマスの印章の盾の左右に配置された怪物を翼の無いワイバーであるとしている。 | |
− | + | 近世以降のワイバーンと同一視して、中世のワイバーを単純にワイバーンと記す現代の文献は多い。しかし{{Harvtxt|Barron|1911}}は中世のワイバーから近世のワイバーンへの変化は形状の変化も伴ったとしており両者を区別している。{{Harvtxt|Allaben|1918}}はロジャー・ド・クインシーの印章の竜を指して「ワイバーン、あるいはその最初期の原型であるワイバー」と両論併記する形で説明している。 | |
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+ | <gallery class="center" widths="220px" heights="220px"> | ||
+ | ファイル:Seal_of_roger_de_quincy.png|ロジャー・ド・クインシーの印章 (1250) | ||
+ | ファイル:Seal of thomas1.png|ランカスター伯トーマスの印章 (1301) | ||
+ | ファイル:Seal of thomas2.png|ランカスター伯トーマスの印章<br/>翼の無いワイバーが描かれている | ||
+ | ファイル:JindrichLancaster.jpg|ランカスター伯ヘンリーの印章 (1301) | ||
+ | </gallery> | ||
=== テューダー期におけるワイバーンの成立 === | === テューダー期におけるワイバーンの成立 === | ||
+ | [[File:Drake monument.jpg|thumb|ドレーク家のモニュメント(1611)。このモニュメントにはドレークの紋章が残されている。]] | ||
相違点も見られるが、二足の竜としてのワイバーンの成立とテューダー朝の関係に複数の専門家が言及している。また、それは当時の紋章官の責任であるという意見も共通して見られる。 | 相違点も見られるが、二足の竜としてのワイバーンの成立とテューダー朝の関係に複数の専門家が言及している。また、それは当時の紋章官の責任であるという意見も共通して見られる。 | ||