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617 バイト追加 、 2022年7月5日 (火) 14:42
 文献に残るいわゆる日本の「記紀神話」は道長が生きた時代よりも300年以上も昔の天武天皇の時代に編纂が開始され、朝廷に仕える各氏族の由来や系譜も載せられています。各氏族の「祖神」とされる神々は大抵が男神であって、妻神の名前が明らかになっている神もいますが、そうでないものもあります。飛鳥時代は平安時代よりも更に母系の習慣が強く、推古天皇を始めとして何人もの女帝も存在し、男性でも母親が皇族でないと天皇になれないといった母系を重んじる風潮も強かったので、記紀神話の系図が、いかにも現代的に男性・父親中心で語られることに強い'''違和感'''を感じるのです。古代中国では、紀元前3000年頃には家族単位が母系から父系に移り、身分や階級といったものも誕生していますので、記紀神話における神々の身分・秩序や父系の系図は古代中国に倣った部分もあるでしょうし、そもそも水稲耕作が古代中国からもたらされたものなのですから、'''水稲耕作を大陸から持ちこんだ人々が父系の文化をも持ち込んだ'''、といえると思います。ということは、私達は「'''日本の神話'''」と考えているものは、弥生時代以降、先進の技術と共に'''中国大陸からやってきた渡来人たちがこの国で作った神話'''であって、縄文古来の神話とはいえないのではないでしょうか。だからこそ、神々の系図は父系中心なのです。「縄文のビーナス」や「出産土器」の神々にも彼らの神話があったと思うのです。
 
 弥生の人々が縄文の人々と共存していくためには、縄文の人々の宗教や信仰を知り少しずつその性質を共存可能に変えながら習合的に弥生の神々や宗教の中に取り込んでいった、と思います。そして、縄文の女神信仰は'''弥生人の女神信仰の中に取り込まれた'''り、あるいは神としての性質を失って'''民話や伝説の中へと存在場所を変えていった'''のではないでしょうか。管理人はそのような観点から民話や神話といった伝承を読み解いてみたいのです。
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