グウェンドリン・レイクは、前サルゴニア時代にはイナンナの崇拝はむしろ限定的であったと仮定しているが<ref>Leick, 1998, page87</ref>、他の専門家は、ウルク時代にはすでにウルクや他の多くの政治的拠点でイナンナは最も著名な神であったと主張している<ref>Asher-Greve Westenholz, 2013, p27, Kramer, 1961, p101, Wolkstein Kramer, 1983, pxiii–xix, Nemet-Nejat, 1998, p182</ref>。ニップル、ラガシュ、シュルパク、ザバラム、ウルに神殿があったが<ref>Leick, 1998, page87</ref>、主な信仰の中心はウルクのエアンナ神殿で<ref>Leick, 1998, page87</ref><ref>Black, Green, 1992, pages108–109</ref><ref>Harris, 1991, pages261–278</ref><ref>modern-day Warka, Biblical Erech</ref>、その名は「天国の家」(シュメール語:e2-anna、楔形文字:𒂍𒀭 E2.AN)を意味する<ref>''é-an-na'' means "sanctuary" ("house" + "Heaven" ["An"] + genitive)(Halloran, 2009)</ref> 。この紀元前4千年の都市の本来の守護神は「アン」であったとする研究もある<ref>Harris, 1991, pages261–278</ref>。イナンナに捧げられた後、この神殿には女神の巫女が住んでいたようである<ref>Harris, 1991, pages261–278</ref>。ザバラムはウルクに次いで初期のイナンナ信仰の重要な拠点であった。都市の名前は一般的にMUŠ3、UNUGと書かれ、それぞれ "イナンナ" と "聖域" を意味していた<ref>Asher-Greve, Westenholz, 2013, p42</ref>。 ザバラムの都市女神はもともと別の神であった可能性があるが、その女神信仰はかなり早い時期にウルク人の女神に吸収された<ref>Asher-Greve, Westenholz, 2013, p42</ref>。ヨアン・グッドニック・ウェステンホルツは、ザメの讃歌でイシュタランと結びついたNin-UM(読みと意味は不明)という名の女神が、ザバラムのイナンナの本来の姿であると提唱した<ref>Asher-Greve, Westenholz, 2013, p50</ref>。
古アッカド時代には、イナンナはアガデの都市に関連するアッカドの女神イシュタルと合体した古アッカド時代には、イナンナはアガデの都市に関連するアッカドの女神イシュタルと習合した<ref>Asher-Greve, Westenho, z, 2013, p62</ref>。 この時代の讃美歌には、アッカド人のイシュタルが、ウルクのイナンナ、ザバラムのイナンナと並んで「ウルマシュのイナンナ」と呼ばれているものがある<ref>Asher-Greve, Westenholz, 2013, p62</ref>。