碑文や絵画、像といった考古学的資料によると、ケルヌンノスはガリア、北イタリア(Gallia Cisalpina)、ブリテンの南の沿岸地方で崇拝されていた。イタリアのヴァル・カモニカ(Val Camonica)で発見されたものが最古の描写と思われ、これは紀元前4世紀のものである。もっとも有名なものはデンマークで見つかったグンデストルップの大釜(Gundestrup Cauldron)で、これは紀元前1世紀のものである。この神の名前はパリの「船乗りの柱」から知られる。この奉献碑は現在パリの国立中世美術館に展示されている。ガリア人の水夫達が1世紀の初めに作ったもので、碑文(CIL XIII number 03026)からみておそらく紀元14年、ティベリウス皇帝の即位の際のものであろう。これが発見されたのは1710年のことで、ノートルダム寺院の基礎からであった。この場所はルテティア(パリの古代ローマ時代の名前)、ケルトのパリシイ族の「市民的な」(civitas)首都であった。そこにはケルヌンノス初め各種ケルトの神々が[[ユーピテル]]、[[ウゥルカーヌス]]、[[カストール|カストル]]、[[ポリュデウケース|ポルックス]]といったローマ神話の神々と並んで描かれている。
この神の名前を書いた出土品としては「船乗りの柱」が最も古いものだが、他にも二つの同様な碑文が見つかっている。一つは Treveri の勢力圏であった Seinsel-Rëlent ([[ルクセンブルク]])で発見された金属の飾り板である。この碑文からは (ルクセンブルク)で発見された金属の飾り板である。この碑文からは "Deo Ceruninco" (神ケルニンコスに)という文字が読み取れる(AE [[1987年|1987]], 0772)。もう一つは [[フランス]]の[[ラングドック=ルシヨン地域圏]][[エロー県]]にあるモンタニャック(Montagnac)で発見されたゴール(Gaul)の碑文で、[[ギリシア語]]で フランスのラングドック=ルシヨン地域圏エロー県にあるモンタニャック(Montagnac)で発見されたゴール(Gaul)の碑文で、ギリシア語で "αλλετ[ει]υος καρνονου αλ[ι]σο[ντ]εας" とカルノノスの名が記されている。
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