后羿は子供の頃に親とともに山へ薬草を採取に出かけたが山中ではぐれてしまい、'''楚狐父'''(そこほ)(『帝王世紀』では'''吉甫''')という狩人によって保護される。楚孤父が病死するまで育てられ、その間に弓の使い方を習熟した。その後、弓の名手であった'''呉賀'''(ごが)からも技術を学び取り、その弓の腕をつかって羿は勢力を拡大していったとされる。
太康(夏の第3代帝)の治世、太康は政治を省みずに狩猟に熱中していた。羿は、武羅・伯因・熊髠・尨圉などといった者と一緒に、夏に対して反乱を起こし、太康を放逐して夏王朝の領土を奪った。羿は王として立ち、諸侯を支配下に置くこととなる。しかしその後の羿は、[[伯封]]を殺し、その母である[[玄妻]]を娶り<ref>『春秋左氏伝』昭公二十八年「昔有仍氏生女、黰黒而甚美、光可以鑑。名曰玄妻。楽正后夔取之、生伯封。実有豕心、貪惏無饜、忿纇無期、謂之封豕。有窮后羿滅之、夔是以不祀」</ref><ref>『楚辞』天問「浞娶純狐、眩妻爰謀、何羿之射革、而交呑揆之」</ref>、寒浞(かんさく)という奸臣を重用し、武羅などの忠臣をしりぞけ、政治を省みずに狩猟に熱中するようになり、最後は玄妻と寒浞によって相王の8年に殺されてしまった。
=== 天狗食日 ===
古来、中国では日食は「天狗が太陽を食べる」ことで起こると考えられていた。日食が起きると、人々は太鼓や爆竹を叩いて犬を追い払う。
伝説によると、[[羿|后羿]]が民のために9つの太陽を撃ち落としたとき、王母娘娘(西王母)は褒美に霊薬を与えたが、[[羿|后羿]]の妻である[[嫦娥]]はそれを食べて一人で天に昇ってしまったという。門の外から[[羿|后羿]]の猟犬・黒耳が吠えながら家の中に飛び込み、残りの霊薬を舐めてから上空の[[嫦娥]]の後を追った。[[嫦娥]]は黒耳の吠える声を聞くと、あわてて月に飛び込んだ。そして、髪を逆立て、体を大きくした黒耳は、[[嫦娥]]に飛びかかり、月を飲み込んだ。
月が黒い犬に飲み込まれたことを知った玉皇大帝と王母娘娘(西王母)は、天兵に命じて犬を捕らえさせた。黒い犬が捕まった時、王母娘娘(西王母)は[[羿|后羿]]の猟犬と認め、南天の門を守る天狗にした。黒耳は役目を得ると、月と[[嫦娥]]を吐き出し、それ以来、月に住むようになった。
== 関連項目 ==