日本神話において、月読命は古事記・日本書紀の神話にはあまり登場せず、全般的に活躍に乏しい。わずかに日本書紀・第五段第十一の一書で、'''穀物の起源'''として語られるぐらいである<ref group="私注">これは月読命が「殺す神」として[[黄帝]]([[羿]]的な性質の強い[[黄帝]])になぞらえられているため、と考えられる。</ref>。これは[[天照大御神]]とスサノオという対照的な性格を持った神の間に静かなる存在を置くことでバランスをとっているとする説がある<ref>『中空構造日本の深層』35-37頁。</ref><ref group="私注">古事記と日本書紀は、日本書紀の方が成立がやや遅れているものの、ほぼ同時期に編纂されており、日本書紀の編纂者が古事記の内容を知らなかった、とは考えられないことである。よって、記紀神話の「穀物の起源神話」は、敢えて「'''殺す神'''」を月読命と須佐之男に分けて記載しているのであり、同じエピソードを持つ、ということは、月読命と須佐之男が「'''同じ神'''」であることを示しているのだと管理人は考える。記紀神話に月読命の事績が極端に乏しいのは、月読命が須佐之男の「'''月神としての相'''」を現しているに過ぎないからではないだろうか。</ref>。同様の構造は、高皇産霊尊(高御産巣日神・たかみむすび)と神皇産霊神(神産巣日神・かみむすび)に対する天之御中主神(あめのみなかぬし)、[[山幸彦と海幸彦|火折尊]](火遠理命(ほおり)・山幸彦)と[[山幸彦と海幸彦|火照命]](ほでり・海幸彦)に対する[[火須勢理命|火酢芹命]](火須勢理命・ほすせり)などにも見られる。
月読命の管掌は、古事記や日本書紀の神話において、日神たる[[天照大御神]]は「天」あるいは「高天原」を支配することでほぼ「天上」に統一されているのに対し、古事記では「夜の食国」、日本書紀では「日に配べて天上」を支配する話がある一方で、「夜の食国」や「滄海原の潮の八百重」の支配を命じられている箇所もある。この支配領域の不安定ぶりは[[天照大御神]]と月読命の神話に後からスサノオが挿入されたためではないかと考えられている<ref name="日本神話事典">『日本神話事典』211頁。</ref><ref group="私注">伝承というものは語り手によってもないように多少の差異(ゆらぎ)は生じるものなので、細かな差異に注目するよりも包括的に読み取るべきと考える。</ref>。
月読命はスサノオとエピソードが重なることから、一部では同一神説を唱える者がいる<ref>『東洋神名事典』235頁。</ref><ref group="私注">管理人もこの説を取る。</ref>。
=== 『日本書紀』 ===
==== 神代紀 ====
日本書紀・神代紀の第五段では、本文で「日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日とならんで支配すべき存在とした」と簡潔に記されているのみであるが、続く第一の一書にある異伝には、伊弉諾尊が左の手に白銅鏡を取り持って大日孁尊(天照大神)を生み、右の手に白銅鏡を取り持って月弓尊(月読命)を生んでいる。日と並ぶ月は日月分離前の[[朔|新月]]を現すと考えられる。日本書紀・神代紀の第五段では、本文で「日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日とならんで支配すべき存在とした」と簡潔に記されているのみであるが、続く第一の一書にある異伝には、伊弉諾尊が左の手に白銅鏡を取り持って大日孁尊(天照大神)を生み、右の手に白銅鏡を取り持って月弓尊(月読命)を生んでいる。日と並ぶ月は日月分離前の新月を現すと考えられる<ref group="私注">日月を分離する前はなぜ新月なのだろうか?</ref>。
ツクヨミの支配領域については、天照大神と並んで天を治めるよう指示されたとする話が幾つかある。その一方で、「滄海原の潮の八百重を治すべし」と命じられたという話もある月読命の支配領域については、天照大神と並んで天を治めるよう指示されたとする話が幾つかある。その一方で、「滄海原の潮の八百重を治すべし」と命じられたという話もある<ref>『[[#日本神話 『日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ |日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ]]』44頁。神々の壮麗なるドラマ』44頁。</ref><ref name="八百万の神々" />。これは[[潮汐]]と月の関係を現すと考えられる。。これは潮汐と月の関係を現すと考えられる。
===== 妻殺し =====書紀・第五段第十一の一書では、天照大神から[[保食神]](うけもち)と対面するよう命令を受けた月夜見尊が降って保食神のもとに赴く。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で刺し殺してしまう。保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となった。天照大神は月夜見尊の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになったという。これは「日月分離」の神話であり、月が[[朔|新月]]になるのは太陽との[[黄道座標|黄経]]差が0度、即ち見かけ上太陽と並んだ時であって、[[満月]]になるのは180度、即ち見かけ上太陽から最も離れた時であることを説明した神話と考えられる。(うけもち)と対面するよう命令を受けた月夜見尊が降って保食神のもとに赴く。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で刺し殺してしまう。保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物他の起源となった。天照大神は月夜見尊の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになったという。これは「日月分離」の神話であり、月が新月になるのは太陽との黄経差が0度、即ち見かけ上太陽と並んだ時であって、満月になるのは180度、即ち見かけ上太陽から最も離れた時であることを説明した神話と考えられる。
一方、古事記では似た展開で食物の神([[オオゲツヒメ|大気都比売神]]・おほげつひめ)が殺されるが、それをやるのは須佐之男命である([[日本神話における食物起源神話]]も参照)。この相違は、元々いずれかの神の神話として語られたものが、もう一方の神のエピソードとして引かれたという説がある・おほげつひめ)が殺されるが、それをやるのは須佐之男命である。この相違は、元々いずれかの神の神話として語られたものが、もう一方の神のエピソードとして引かれたという説がある<ref name="日本神話事典" />。 ===== 私的解説 =====日本の現在の祭りでもそうだが、収穫を神に感謝する際には、収穫物の一部を神に捧げて、感謝の意を示すと共に、言外に今後の安寧も願うものであると思う。収穫物の一部を神に捧げて、今後の豊穣も願う、というのはわずかな収穫物を数倍にも倍増する新たな収穫に「'''化生させる'''」神事ともいえ、神に捧げるものを「人」とすれば『「[[人身御供]]」を捧げて収穫物他に化生させる』と変換し得る。現実には生きた人を生きたまま神に捧げても、あるいは殺して捧げても、他の植物や動物に化生することはないのだが、 「収穫物とは'''大事なもの'''である」から「'''大事なもの'''を神に捧げると数倍にも倍増する新たな収穫に化生する」そして「'''大事なもの'''とは妻(あるいは家族の女性)である」 という啓思想6-1型及び(あるいは)6-3型の思想に基づいて変換が行われた結果、妻や娘を殺してなにがしかの豊穣を得ることが「祭祀」として正当化されることになったと考える。月読命や須佐之男は「'''妻殺し'''」の正当化を象徴する神といえる。[[天照大御神]]はそれを非難しているのだから、「'''妻殺し'''」を正当化しない神の象徴であるいえる。これは「日月分離」にこと寄せて、日本神話において、それぞれの神の思想と立場を明確にした神話と考える。
==== 顕宗紀 ====