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1,466 バイト追加 、 2022年9月8日 (木) 09:01
 妹に意地悪して(一応)罰せられる姉がいるのも「クピードーとプシュケー」的だが妹と野獣の婚姻を邪魔しようとしたから罰せられたのであって、動機は単なる'''妬み'''となっている。日本の「[[うりこひめとあまのじゃく]]」も、一連の騒動のあまのじゃく側の原因は妬みであるように思う。
 物語中に登場する「仙女」は、本来格の高い女神であって、野獣は、元はこの女神に対するタンムーズ的な生贄だったと思われる。よって、物語は'''上位の女神に対する生贄であった下位の男神を再生させるために、更に若い女性の生贄を捧げる'''、という重層化した人身御供の物語となっている。古いタンムーズ神話で、'''イナンナの身代わりとして冥界に落とされようとするドゥムジ(タンムーズ)を更に助けるために姉妹のゲシュティンアンナが冥界に下る'''というエピソードがある。というエピソードがある。要は野獣はドゥムジ(タンムーズ)であり、末娘はゲシュティンアンナである、というのが物語の骨格である。ただし、末娘には「父親の身代わり」という要素があるため、父親もまた上位の神々に対するドゥムジ的生贄であったものを再生させる(あるいは身代わりとなる)存在も末娘は兼ねる。末娘の地位は二重の意味で「ドゥムジの身代わりとなるゲシュティンアンナ」となっている。  娘にはヴィルヌーヴ版にあるように、多くの兄弟姉妹が存在した。古代中国には、女媧女神と伏羲の最初の子供が手足のない肉塊であったため、それをバラバラに切り刻んで空から投げとしたところ、各氏族が発生したという神話がある。おそらく「美女と野獣」の末娘は、各氏族の発生と繁栄のための生贄となった「肉塊」のことを指すのであろう。日本神話ではこの不具な初子のことを「蛭子」と呼ぶが、西欧ではこれが「初子」ではなく「末子」に変更されているようである。
 野獣は金持ちであり「バラの花」の化身である。よって、植物神でもあり、樹木神でもある、といえる。折ってはいけない(殺してはいけない)樹木神を殺してしまったから、神を再生させるために娘の生贄が必要とされる、とそのような思想が崩れたもののように思われる。あるいは、これは'''寡婦殉死'''の思想が変化したものかもしれないと思う。印欧語族には、夫が亡くなると妻が殉死する、という伝統がところどころに垣間見える気がする。
 しかし、表面的には植物神でもある炎帝(あるいは川の神)に妻を生贄として与えて再生させよう、という趣旨の神話が変化したものと思われる。野獣は中国神話の[[炎帝神農|炎帝]]に相当し、クピードーもエンリルも[[炎帝神農|炎帝]]が変化したものといえよう。「仙女」は西王母あるいは(かつ)女媧が変化したものといえ、かつて母系が盛んであった時代には、古代中国でも女神の方が[[炎帝神農|炎帝]]よりも上位に来る存在だったことが示唆されるのではないだろうか。印欧語族の文化に影響を与えているスキタイの太母女神がエキドナという蛇女神で現されているので、類似性からいえば、「仙女」は西王母というよりは、蛇女神である女媧に近い存在なのかもしれない、と考える。
 
 
 よって、「美女と野獣」は「女媧女神による初子殺しと人類の発生の神話」と「殺されたドゥムジを再生させるために若い娘の生贄を捧げる」という神話が組み合わされて確立した物語といえると考える。
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