==== 巫女・旅人の人身御供 ====
[[古事記]]の[[ヤマタノオロチ]]「八岐のをろち」に対して、[[上代]]日本文学者の[[次田真幸]](1909古事記のヤマタノオロチ「八岐のをろち」に対して、上代日本文学者の次田真幸(1909-1983)は、「をろち」の「を」は「峰(を)」「ち」は霊異を表す語句だと指摘し、頭と尾がいくつもある蛇体の水神であり、大小の支流を合わせて流れる肥河(ひのかわ 現[[斐伊川]])の霊だとする。[[奇稲田姫]](クシナダヒメ)は、古事記では櫛名田比売と表記される。この名は、霊妙な稲田の女神の意味で、『櫛』の文字は、比売が櫛を挿した巫女であることを暗示しているという{{Sfn|1983)は、「をろち」の「を」は「峰(を)」「ち」は霊異を表す語句だと指摘し、頭と尾がいくつもある蛇体の水神であり、大小の支流を合わせて流れる肥河(ひのかわ 現斐伊川)の霊だとする。奇稲田姫(クシナダヒメ)は、古事記では櫛名田比売と表記される。この名は、霊妙な稲田の女神の意味で、『櫛』の文字は、比売が櫛を挿した巫女であることを暗示しているという<ref>次田|, 1977|p=102}}, p102</ref><ref group="注釈">ただし、次田はクシナダヒメの犠牲を生贄とは捉えていない。ヤマタノオロチの形で表された肥河が、クシナダヒメに表象される美田を飲み込むありさまを神話として語ったとする。(古事記(上)、次田真幸 p102-103)</ref>
[[松村武雄]]は、[[八岐大蛇]]退治神話における奇稲田姫を含めた八人の犠牲者は、司霊者-すなわち “巫女の人身御供”であったとみている。
しかしその他の人身御供伝説については、毎年一人という条件があるだけで、生贄となる者の合計などは定まっていないと指摘している。<ref>松村武雄「日本神話の研究 第三巻」培風館 昭和30年1955年11月10日発行126頁197頁207頁、参考:松村武雄「日本神話の実相」培風館 昭和22年1947年6月10日発行155頁-156頁158頁</ref>