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* [[永島広紀]]は、「韓国では“史実”として扱われている5000年前の朝鮮民族の始祖とされる檀君についても、[[オフレコ]]では『そんなもの誰も信じていませんよ』と軽口を叩く。しかし、記録が残る場では絶対にそんな発言はしない。対日的な場での[[言論の自由]]がない国なんです」と評する<ref>{{Cite news | url = http://www.news-postseven.com/archives/20140423_250955.html?PAGE=2 | title = 中韓が歴史共同研究 確信犯で嘘の主張押し通そうとするつもり (2/2) | journal = [[SAPIO]] | issue = 2014年5月号 | publisher = [[NEWSポストセブン]] | date = 2014-04-23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210829222301/https://www.news-postseven.com/archives/20140423_250955.html?DETAIL=&PAGE=2 |archivedate=2021-08-29}}</ref>。* [[加藤徹]]は、「[[第二次世界大戦|第二次大戦]]後に成立した大韓民国は、公用紀元として、檀君紀元(檀紀)を採用した。これは、朝鮮最初の王とされる檀君王倹が即位したとされる紀元前2333年を元年とする紀元である。檀君王倹は、神話的人物である。神の息子である桓雄と、熊が人間に変身した熊女のあいだに生まれた子とされる。日本の植民地支配を脱したばかりの韓国人にとって、日本の皇紀より古い紀元を使うことは、[[ナショナリズム]]の上から必要なことだったのかもしれない。」「東アジア三国のナショナリズムの流れを並べると、面白いことに気づく。後発の若い国民国家ほど、うんと背伸びをして、自国の歴史の古さを強調する。これは、『[[加上説]]』の理論そのままである。加上説というのは、江戸時代の学者・[[富永仲基]]が提唱した学説である。後発の新しい学派ほど、自説を権威づけるため、開祖を古い時代に求める傾向がある、という理論である。」「韓国人は、中国人よりも、さらに自国の古さを強調する。彼らは『ウリナラ半万年(われらの国は五千年)』という言葉を、好んで使う。自分たちは、日本や中国より古い民族なのだ、という矜持をこめて、ことさらに『万』という数字を入れ、五千年を『半万年』と称する。その実、南北に分断されている彼らは、いまだ国民国家の形成を実現できていない。そのため彼らのナショナリズムは、熱く、むき出しである。[[大和民族|ヤマト民族]]は二千六百年、[[漢民族]]は四千年、[[朝鮮民族]]は半万年。しかし、近代国家としての年齢順は、この逆である」と評する<ref>{{Cite book|和書|author=加藤徹|authorlink=加藤徹|date=2006-06-16|title=貝と羊の中国人|series=[[新潮新書]]169|publisher=[[新潮社]]|isbn=978-4106101694|pages=212-214}}</ref>。* [[矢木毅]]は、[[高麗]]時代に[[女真]]が[[金 (王朝)|金]]を建国すると高麗は服属するが、属民視していた女真人に服属する事は屈辱以外の何物でもなく、高麗[[ナショナリズム]]が高揚する契機となる。高麗ナショナリズムの高まりの中で、民族の始祖としての檀君神話が誕生したと分析し<ref>{{Cite journal|和書|author=中野耕太 |title=書評 矢木毅著『韓国・朝鮮史の系譜 : 民族意識・領域意識の変遷をたどる』 |journal=北東アジア研究 |ISSN=1346-3810 |publisher=島根県立大学北東アジア地域研究センター |date=2014-03 |issue=25 |page=127 |naid=120005710661 |url=http://id.nii.ac.jp/1377/00001211/}}<br />{{Cite book|和書|author=矢木毅 |title=韓国・朝鮮史の系譜 : 民族意識・領域意識の変遷をたどる |publisher=塙書房 |date=2012 |series=塙選書 111 |NCID=BB08812882 |ISBN=9784827331110 |id={{全国書誌番号|22086262}}}}</ref>、檀君が[[ツングース民族]]を従えて君臨するという檀君朝鮮の構図は、高麗人が、現実世界において屈服させられていた女真人の金に対する歴史的・文化的な優越感と表裏一体の関係であり、従って檀君朝鮮の伝承は、モンゴル帝国の支配に対する抵抗の[[ナショナリズム]]が生み出したものと言うよりは、高麗時代前期の反女真人意識と自尊意識が生み出したと解釈するのが自然だ、と述べている{{Sfn|矢木毅|2008|p=65}}。
* [[白鳥庫吉]]は、檀君朝鮮を「僧徒の妄説を歴史上の事実にした」ものだと主張した[[那珂通世]]の主張を支持している<ref>{{Harvnb|李|2005|p=230}}</ref>。
* [[林泰輔]]は、「その説が荒唐無稽で信じられない(其説荒唐ニシテ遽ニ信ズベカラズ)」と評している<ref name="李 2005 247">{{Harvnb|李|2005|p=247}}</ref><ref>{{Harvnb|池明観|1987|p=138}}</ref>。

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