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'''高麗時代'''の一然著『'''三国遺事'''』('''1280年代'''成立)に『魏書』からの引用とみられるのが、檀君朝鮮の文献上の初出である<ref name="陳慶德">陳慶德, 2015-07-08, 故事、建國神話:檀君開國, 自由時報, https://talk.ltn.com.tw/article/breakingnews/1373199|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150806182247/https://talk.ltn.com.tw/article/breakingnews/1373199, 2015-08-06}}</ref>。『東国通鑑』(1485年)にも類似の説話が載っている。しかし引用元とされる『魏書』(陳寿の『三国志』や魏収の『北魏書』)などの中国の史書には檀君に該当する記述がまったくないので'''創作'''である<ref name="宋成有"/><ref name="岡田英弘"/><ref>矢木毅, 2008, p65</ref>。壇君という栄光の王が実在した、あるいは檀君が築いたとされる檀君朝鮮が存在したという証拠はほとんどなく、壇君が実在の人物だった可能性はゼロに近い、と研究者は語っている<ref name="Reuters"><ef>Josh Smith, eongmin Kim, https://www.reuters.com/article/us-northkorea-southkorea-unification-myt-idUSKCN1MV022, North Korea's box of bones: A mythical king and the dream of Korean unification, Reuters, 2018-10-21, https://web.archive.org/web/20210303050846/https://www.reuters.com/article/us-northkorea-southkorea-unification-myt-idUSKCN1MV022, 2021-03-03</ref>。また『三国遺事』以前の古書・古記録によっても実在を立証できないため、檀君神話を自国の朝鮮民族主義歴史学の拠り所としている韓国・北朝鮮を除いては、国際的には信頼性や価値がある文献とされていない<ref name="陳慶德"/>。中国の史書にはまったく登場せず<ref name="産経新聞0608"/>、初めて朝鮮の歴史書に登場するのも13世紀と遅く、「仏教の宗教説話」の一つとして出てくるだけである。通常は'''神話'''として扱われ、歴史事実とは看做されていない。また近年出現した偽書とされる『桓檀古記』『揆園史話』は『三国遺事』とは内容が異なっている<ref name="陳慶德"/>。李栄薫は、「檀君神話は創作する過程において日本神話を借用しており、一面では対決した点とともに、多面では模倣した点がみられる」と指摘している<ref>B・R・マイヤーズ, Brian Reynolds Myers, 2012, 最純潔的種族:北韓人眼中的北韓人, 台北:臉譜出版社, ISBN:9789862352151</ref>。
「王倹」とは、[[中国]]の[[三皇五帝]]の[[「王倹」とは、中国の三皇五帝の''']]の呼称であり、このことから、檀君は中国の[[三皇五帝|三皇五帝神話]]の[[模倣]]であることがわかる'''の呼称でもある<ref name="陳慶德"/>。'''堯'''とは古代中国の治水の神かつ帝である。尭は「黄色い冠で純衣をまとい、'''白馬にひかせた赤い車'''に乗った<ref>『[[史記]]』「五帝本紀第一」、吉田賢抗『史記』一の37頁。</ref>とされており、'''雷神'''としての性質がみられる神でもある。檀君の性質を理解するためにも興味深いことではないだろうか。
『[[三国遺事]]』には、檀君朝鮮の最初の王である檀君と最後の王である[[宗統王|否王]]及び[[準王]]だけが記録されており、その中間の記録がないため、檀君朝鮮の実在に疑問をもつ[[大韓民国|韓国]]の研究者も多い『三国遺事』には、檀君朝鮮の最初の王である檀君と最後の王である否王及び準王だけが記録されており、その中間の記録がない<ref name="月刊朝鮮"/>。なお、檀君と否王及び準王の中間の記録はまったくないわけではなく、『[[揆園史話]]』『[[桓檀古記]]』には、檀君朝鮮47代の王名が記録されているが、[[20世紀]]に創作された[[偽書]]である。なお、檀君と否王及び準王の中間の記録はまったくないわけではなく、『揆園史話』『桓檀古記』には、檀君朝鮮47代の王名が記録されているが、20世紀に創作された偽書である<ref name="月刊朝鮮">{{Cite news|author=|date=2001-11|title=, 卷頭 특별 인터뷰 韓國史新論의 著者 李基白 선생이 말하는 韓國史의 大勢와 正統|newspaper=[[, 月刊朝鮮]]|publisher=|url=, http://monthly.chosun.com/client/news/viw.asp?nNewsNumb=200111100007|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211015172253/http://monthly.chosun.com/client/newsnew/viw.asp?nNewsNumb=200111100007|archivedate=, 2021-10-15}}</ref><ref>管理人個人としては、伝承を、伝承からのみで事実であるか否かを論じるのは、グリム童話の内容が歴史的事実であるか否かを論じるのと同じで意味がないことと思う。歴史的事実はあくまでも客観的な資料から証明されるべきで、きちんと証明された歴史的事実と伝承を併せて考察したときに、その地域の人々の伝統的な精神文化が理解できる、とそういうものなのではないだろうか、と思うからである。</ref>。
『[[三国遺事]]』は、[[中国]]の『[[捜神記]]』と酷似した[[歴史書|史書]]とは名ばかりの多くの民間の奇怪な[[伝承]]を集めた[[志怪小説|怪奇歴史伝説]]の記録集という指摘があり<ref name="何則文">{{Cite news|author=[[何則文]]|date=2015-08-24|title=「韓國起源論」是這樣來的:從繼承中華到積極脫漢,韓國的千年自我追尋之路|publisher=[[関鍵評論網]]|newspaper=|url=https://www.thenewslens.com/article/22469/fullpage|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220204073017/https://www.thenewslens.com/article/22469/fullpage|archivedate=2022-02-04}}</ref>、檀君について「怪奇小説記事のなかの開国始祖」という評がある<ref name="何則文"/>。

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