<span style="color:brown">'''アメタの血を媒介としてハイヌウェレが発生する物語'''</span>について。ココヤシの花とアメタの血(体液)が交わってハイヌウェレが生まれることは「'''父親'''」の誕生でもあり「'''父なる神'''」の誕生でもある。ただし、その前段階として、<span style="color:brown">'''アメタ(人間)の体液と供物を結合させたものを女神に奉納し、そこから新たな豊穣を得る。'''</span>という宗教的概念や神話があったとする。「体液」を「人間全体」とみなしても良いかもしれない。ともかく、人間と供物を結合させることは「'''神婚'''」といえる。ただし、母系社会の場合、家族内での近親の結合があり得ないとすれば、'''体液を提供するアメタ'''とは、「兄弟や息子であるアメタ」ではなく、余所の家の家族のアメタ(男性)、他部族のアメタ(男性)ということになる。アメタが精液になぞらえて、「体液(あるいはアメタ自身)」をヴェマーレ族に提供する時は、「他部族のアメタ」となるしかないのであれば、ハイヌウェレ神話の「'''アメタ'''」はムルア・サテネにとって「<span style="color:red">'''兄弟や息子であるアメタ'''</span>」と「<span style="color:blue">'''他部族のアメタ'''</span>」の二重の性質を持つことになり、少なくともムルア・サテネにとって「'''二人(二種類)の男性'''」を結合させた、現実ではあり得ない神話的存在であることが分かる。また、他部族の者を「動物」や「植物」になぞらえて、「'''動植物と結合させて種とする存在'''」として生贄に用いるのであれば、そもそも生贄に「男女の差」は必要なかったのではないだろうか、と思う。特に植物は一見して、雄とも雌とも見分けがつかないものであるし、擬人化するにしても、状況に応じて、男性とみなすことも、女性とみなすこともできそうである。ヴェマーレ族は「バナナの女神であるムルア・サテネ」の子孫なのだから、男性も女性も「バナナの化身」である。」として生贄に用いるのであれば、そもそも生贄に「男女の差」は必要なかったのではないだろうか、と思う。特に植物は一見して、雄とも雌とも見分けがつかないものであるし、擬人化するにしても、状況に応じて、男性とみなすことも、女性とみなすこともできそうである。ヴェマーレ族は「バナナの女神であるムルア・サテネ」の子孫なのだから、男性も女性も「バナナの化身」であって。男女の差はない。ただ、彼らの豊穣のためには「'''種としてのよそ者'''」が必要とされる、ということになる。 ハイヌウェレの死と共に、ムルア・サテネもまた姿を消すのだから、ハイヌウェレはムルア・サテネ自身でもある。すると、ハイヌウェレはココヤシなのだから、ムルア・サテネはココヤシでもあることになる。ムルア・サテネはヴェマーレ族全体の「母」でもあるのだから、ヴェマーレ族そのものでもある。よって、ムルア・サテネとそれぞれの個々のアイテムとの関連は、'''全てがムルア・サテネから発生した、ムルア・サテネの一部'''であり、一部が死んだとしても本体であるムルア・サテネの生死にまで影響を与えることはないはずである。ヴェマーレ族が特別にムルア・サテネと連動して「不死の存在」だったとしても、猪やココヤシの実は食べていたのだろうから、死に行く存在が全くなかったわけではない。ハイヌウェレは生贄といえるが、彼女をムルア・サテネと同じ位置につけることで、'''女神の地位の狭小化'''が計られている、と言えないだろうか。あらゆるものの「'''母'''」であったはずのムルア・サテネは、その性質をせいぜい「'''イモの化身'''」に限定されてしまっている。
== その他の神話 ==