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== 岐阜県の在地伝承 ==
『日本書紀』では皇命に逆らう賊とされる両面宿儺だが、[[飛騨国]]から[[美濃国]]にかけての旧[[飛騨街道]]沿いには様々な伝承が残り、その内容は『日本書紀』の記述と異なるものが多い。以下に主な伝承を挙げる。『日本書紀』では皇命に逆らう賊とされる両面宿儺だが、飛騨国から美濃国にかけての旧飛騨街道沿いには様々な伝承が残り、その内容は『日本書紀』の記述と異なるものが多い。以下に主な伝承を挙げる。
=== 丹生川の伝承 ===
=== 金山の伝承 ===
『金山町誌』によれば、武振熊命が討伐に来ることを知った飛騨の豪族両面宿儺は、八賀郷日面出羽ヶ平を出て[[金山町 (岐阜県)|金山]]の鎮守山に37日間留まり、津保の高沢山に進んで立てこもったが、敗れて討死したという。これには異伝があり、出波平から金山の小山に飛来した両面宿儺は37日間大[[陀羅尼]]を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念して高沢山へ去った。故にこの山を鎮守山と呼び村人が観音堂を建てて祭ったともいう『金山町誌』によれば、武振熊命が討伐に来ることを知った飛騨の豪族両面宿儺は、八賀郷日面出羽ヶ平を出て金山の鎮守山に37日間留まり、津保の高沢山に進んで立てこもったが、敗れて討死したという。これには異伝があり、出波平から金山の小山に飛来した両面宿儺は37日間大陀羅尼を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念して高沢山へ去った。故にこの山を鎮守山と呼び村人が観音堂を建てて祭ったともいう<ref name="watanabe" />。
=== 関市下之保の伝承 ===
『新撰美濃志』に引く大日山[[日龍峰寺]]の寺伝では、飛騨国に居た両面四臂の異人が、高沢山の毒龍を制伏したとする。その後[[行基]]が伽藍を創建し千手観音の像を安置した。千本桧はこの異人が地に挿した杖が生い茂ったものという。或いはこの異人は、飛騨より高沢山に移ってのち、霊夢の告により観音の分身となったともいう。また、『美濃国観音巡礼記』には日龍峰寺の開基を「両面四手上人」としている『新撰美濃志』に引く大日山日龍峰寺の寺伝では、飛騨国に居た両面四臂の異人が、高沢山の毒龍を制伏したとする。その後行基が伽藍を創建し千手観音の像を安置した。千本桧はこの異人が地に挿した杖が生い茂ったものという。或いはこの異人は、飛騨より高沢山に移ってのち、霊夢の告により観音の分身となったともいう。また、『美濃国観音巡礼記』には日龍峰寺の開基を「両面四手上人」としている<ref>岡田文園『新撰美濃志』(神谷道一、1900年)[https://dl.ndl.go.jp/ 国立国会図書館デジタルコレクション]</ref>。
この他に、両面宿儺を討った武振熊命の建立と伝わる[[八幡宮|八幡社]]が飛騨各地にあるこの他に、両面宿儺を討った武振熊命の建立と伝わる八幡社が飛騨各地にある<ref>[[明治]]6年(1873年)刊「斐太後風土記」(『大日本地誌大系 明治6年(1873年)刊「斐太後風土記」(『大日本地誌大系 30・31巻』雄山閣、1970年)</ref>。
== 伝承の位置づけ ==

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