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=== 幡について ===
「幡」に関する祭祀の起源は、長江流域にあるように思う。長江中流域三角地帯に位置する重慶市万盛区興隆鎮大場村のミャオ族の死霊祭祀では、死者の魂を慰撫する祭祀の際に、田んぼに。「幡」に関する祭祀の起源は、長江流域にあるように思う。長江中流域三角地帯に位置する重慶市万盛区興隆鎮大場村のミャオ族の死霊祭祀では、死者の魂を慰撫する祭祀の際に、田んぼの中央に枝のついた柱松を立てる。その枝に太鼓が吊るしてある。柱松には竹で作った鳥と長銭(御幣のこと)のついた「'''招魂幡'''」(将軍幡ともいう)という竹竿が立てかけてある。縁者たちと舞手たちが蘆笙を吹きながらこの'''柱松(招魂幡)の周りを順逆に三周、合計九回廻る'''。これは死者の魂を慰めて送る祭祀の一環である<ref>長江中流域三角地帯の民間祭祀、三村泰臣、王倩予、広島工業大学紀要研究編第42巻(2008)pp.261-270</ref>。 地に立てた柱の周囲を回る祭祀は、[[伏羲]]と[[女媧]]の婚姻譚に似ており、「夫に殺されないように木の周りを逃げ回った女神」、いわゆる「'''[[吊された女神]]'''」の再現劇で、女神かその夫の霊を慰撫するための祭祀だったものが、一般的な死者の霊を慰める、という葬祭の一環に変化したものと考える。死者の霊を慰めて悪霊とならないように'''鎮める'''祭祀ともいえる。
朝鮮の神話に、「太陽の神と月の女神の夫婦が朝鮮から日本へ海を渡って行ってしまった。

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