「丹後国風土記」残闕には、
<blockquote>豊宇気大神の教えに依り伊去奈子嶽に天降った天村雲命が、豊宇気大神を祀ろうとしたが、泥水で神饌を炊くことができなかった。ここは豊宇気大神の坐します国であるから、清地を定めて大神を斎い奉らなければならないと言って母の[[豊受大神|豊宇気大神]]の教えに依り伊去奈子嶽に天降った天村雲命が、[[豊受大神|豊宇気大神]]を祀ろうとしたが、泥水で神饌を炊くことができなかった。ここは[[豊受大神|豊宇気大神]]の坐します国であるから、清地を定めて大神を斎い奉らなければならないと言って母の'''天道姫命'''(天道日女命)が子の天香語山命に'''矢を授けた'''。そして矢を放ち留まったところが清き地である大神の神託があった。その矢は矢原山に到ったので、神籬を立てて豊宇気大神を遷し墾田を定めた。そして矢を放ち留まったところが清き地である大神の神託があった。その矢は矢原山に到ったので、神籬を立てて[[豊受大神|豊宇気大神]]を遷し墾田を定めた(大意)<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608819012.html 日尾池姫神社]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref><ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12446037500.html 笶原神社 (改訂)]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref></blockquote>
とあるとのこと。