崑崙山に年老いた老婆がいて、山に一人で住んでいた。彼女は火の母だった。彼女にはタブーがあり、避けないと災難を引き起こす可能性があった。
西晋のころ、司馬彪の『荘子』達生第十九「竈有髻。(竈に髻がある。)」の注に「'''髻,竈神,著赤衣,状如美女。'''(髻があるかまど神は、赤い衣を着ていて、姿は美女のようである。)」と述べている。 === 張丹 男神・張丹 ===
東漢時代の徐沈の『五経同義』には、台所の神の姓は張、名は子国、妻の姓は王伯佳、礼名は清吉(一説には郭)と記されている<ref>http://www.qulishi.com/news/201705/206133.html, 颛顼之子穷蝉等于灶神蛣 灶王爷竟然是蟑螂, 2018-08-07, https://web.archive.org/web/20180808043534/http://www.qulishi.com/news/201705/206133.html, 2018-08-08</ref>。唐代の段成史の『楊陽図図』にも、「台所の神の名前は張丹、礼名は子国、妻の礼名は清治、彼には6人の娘がおり、全員が茶々という名前である」と書かれている<ref>酉陽雜俎/卷十四</ref>。
=== 張周 男神・張周 ===
昔、張周という男がいた。彼は飲食、売春、ギャンブルで家の財産を使い果たし、妻を他人に売り、自活できなくなり、最終的には物乞いになった。ある日、彼は女性だけが住んでいる金持ちの家にお金を乞いに行った。女性は周に食事を勧めたが、残念ながら主人が戻ってきて、妻にお湯を沸かすように命じた。張周は主人に誤解されるのを恐れ、妻の名誉を守るためにストーブに身を投じて焼け死んだ(一説には柱にぶつかって亡くなったという説もある)。二番目の妻は、毎朝毎晩ストーブの上に香炉を立てて犠牲を捧げていたが、主人に尋ねられると、「かまどで食べ物を作って生計を立てている人が、かまどの神を敬わないと罰せられます。」と言った。近くの人々もこれに倣い、かまどの神に生贄を捧げる習慣が定着した<ref>http://www.chinanews.com/cul/2013/02-04/4544991.shtml, 灶王爷传说多:火神托祀 清官苏吉利死后被授职, 中新网, 2021-07-05, 2021-07-09, https://web.archive.org/web/20210709185238/http://www.chinanews.com/cul/2013/02-04/4544991.shtml</ref>。
=== 荘子 男神・炎帝 ===西晋のころ、司馬彪の『荘子』達生第十九「竈有髻。(竈に髻がある。)」の注に「'''髻,竈神,著赤衣,状如美女。'''(髻があるかまど神は、赤い衣を着ていて、姿は美女のようである。)」と述べている。 === 論語 ===古くは論語の中にも登場し、八佾第三の十三に孔子と王孫賈のやりとりの記述がある。前漢王朝の淮南王劉安が書いた淮南子は、竈の神は炎帝であると信じ、「炎帝は火の中で生まれ、死ぬと竈神になった。」と述べている<ref>淮南子/氾論訓|</ref>。
=== 捜神記 ===