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230 バイト除去 、 2024年12月16日 (月)
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:水の江の浦島の子が7日も帰らず鯛や鰹を釣りをしていると、海境(うなさか)<ref group="注">海神の国と人間の国の境目</ref>を超えて漕いでいて行き交った海神(わたつみ)の娘と語り合うようになり、そして結婚する。常世にある海神の宮で暮らすこととなったが、愚かな男は里帰りを言い出す。妻は、この常世の国に戻りたいと願うなら決してこれを開くなと、篋(くしげ<ref group="注">箱。玉手箱に相当。元々は化粧道具を入れるためのもの</ref>)を手渡す。
:水江に帰ってみると、家を出てから3年しかたっていないと思っていたのにその家は跡形も無い。箱を開ければ元の家などが戻ると思い開けたところ白い雲がたなびいて常世にむかい、うろたえて叫び、地団太を踏むと、気絶した。浦島の子は皺だらけの白髪の老人の様になり、ついには息絶えてしまった。<ref name="tsujio">{{citation|和書|last=辻尾 |first=榮市 |title=辻尾榮市, 『万葉集』の舟・船 |trans-title= |journal=, 大阪観光大学紀要 |volume=33 |year=, volume33, 2015 |url=, https://doi.org/10.24729/00004341 |page=129|, p129, doi=:10.24729/00004341}}</ref>
詠み手が長歌で「水江の浦島子の家」の跡が見えると締めくくっている。その舞台の「墨吉」は「すみのえ」と仮名振りされており、従来は[[丹後地方]]の[[網野町]]に比定されていたが、[[武田祐吉]]が[[摂津国]][[住吉郡]][[墨江#歴史|墨江村]]であると提唱した。[[澤瀉久孝]]『萬葉集注繹』では、虫麻呂はおそらく摂津の住吉にいたのだろうが、浦島伝説の舞台をここに移し変えて「創作」したのだとしている詠み手が長歌で「水江の浦島子の家」の跡が見えると締めくくっている。その舞台の「墨吉」は「すみのえ」と仮名振りされており、従来は丹後地方の網野町に比定されていたが、武田祐吉が摂津国住吉郡墨江村であると提唱した。澤瀉久孝『萬葉集注繹』では、虫麻呂はおそらく摂津の住吉にいたのだろうが、浦島伝説の舞台をここに移し変えて「創作」したのだとしている<ref>{{citation|和書|last=辻尾 |first=榮市 |title=辻尾榮市, "異郷淹留(えんりゆう)譚", "蝉脱"高橋虫麻呂ーその閲歴及び作品の制作年次についてー |trans-title= |journal=, 國文學 |publisher=, 関西大学国文学会 |year=, 1963 |url=, https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/4476 |, hdl=:10112/6587 |volume=34|pages=28, volume34, p28-29}}</ref>{{Refn|group="注"|大阪ではないが、摂津国の[[高砂市|高砂]]が浦島の地元という設定は、明治(1880年)の赤本絵本にもみられる{{sfnp|林|<ref>大阪ではないが、摂津国の高砂が浦島の地元という設定は、明治(1880年)の赤本絵本にもみられる(林, 2009|p=84}}。}}, p84)</ref>
異郷淹留の場所が[[ワタツミ]]の神の国となり、仙女がその海神の娘になっているのは、この萬葉歌での加筆部分であるが、これもおそらく虫麻呂の創作であろうと考えられている<ref>{{harvp|三浦|1989|p=115}}: 「虫麻呂が、島子の行った異境をワタツミの国として設定」</ref>。

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