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* '''荒船山の亀松'''
: 荒船山麓の内山には明治時代の修身の教科書にものった「孝子亀松」の実話がある。天明8年(1788年)当時11歳の亀松(かめまつ)少年は、父親を襲うオオカミに対し、鎌一本で立ち向かい、オオカミの口に鎌を突き立て、父の危急を救った。この話は江戸にも聞こえ、幕府から呼び出され、褒美を貰ったというものである<ref>佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 民俗編 下』佐久市志刊行会、1990年、1119ページ。</ref>。
 
== その他 ==
=== 抜鉾明神について ===
: 上野國は、赤城大明神が一之宮でしたが、赤城は二之宮と成り、他国の神である抜鉾大明神が一之宮と成った。<br>これは、赤城大明神が絹の機織りをするうちに、生糸が足りなくなってしまい、思い煩い「狗留吠國の好美女は財(宝)の神なので、生糸をお持ちであろう。貸して頂けないか。」と頼んだ。すると、好美女は快く承諾した。赤城大明神は、たいそう喜ばれて絹を織り終え、「これ程に豊かな財(宝)の神を他の國に移らせてはならない」と、赤城大明神は一位の座を好美女に譲り、当國に末永く留まり頂くために、二位の座についた。好美女は鉾を引き抜いて、脇に挟み抜提河より此の國に飛んで来たので、抜鉾大明神と云う。<br>赤城山の女神は龍神で、赤城姫がその後を継いだという[http://akagijinja.jp/densetu/sintousyu.html 赤城大明神と上野国の神々「神道集」]、赤城神社(最終閲覧日:24-12-03)。
== 参考文献 ==

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