ガンジは龍衣をを着て皇帝となり、第三王女と結婚して幸せな人生を送った。カエル皇帝は、約束を破ったのでカエルに変えられてしまった。彼は誰にも会うのを恐れて今も溝の中に隠れている<ref>[https://www.chinesefolklore.org.cn/blog/?uid-386-action-viewspace-itemid-32987 甘基王]、王焰安的个人空间、王焰安(最終閲覧日:24-11-21)</ref>。(広東省連南ヤオ族伝承)
== 雷神とカエル ==
この世に人が増えて怒った天の雷神が「老いた者は死ぬことにする。銅鼓(雷)の音を聞いたら死者の肉を食べよ。」と命じた。若者がこれを悲しみ布洛陀女神に訴えた。女神は「太鼓を叩いて雷神と打ち比べせよ。」と教えた。大勢で叩いたので、雷神に打ち勝つことができた。雷神は息子のカエルに、どうして地上に太鼓があるのか探らせることにした。下界に降りたカエルは人々に同情して、雷神の持っている太鼓を詳しく教えた。人々が雷神と同じ太鼓を作ると大きな音がした。雷神は太鼓を打つのをやめ、人も人を食う習慣をやめた(広西壮族自治区・壮族)<ref>百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』三弥井民俗選書、1999年、136頁</ref>。
金属器を操る雷神は、火雷神なので蚩尤・祝融だ。布洛陀女神はミャオ族のバロン・ダロン、カエルは共工的に「息子」とされた水雷神のアペ父さんで良いと思う。そうだったんだ、それで'''天若日子'''は高天原に帰ってこなかったんだ、という流れである。これも火雷神と水神(カエル)との対立神話の一つだ。
== 私的考察 ==
甘基王(ガンジ王)は、槃瓠のトーテムがなぜカエルになったかという縁起譚? というか、[[黄帝]]([[羿]])と[[祝融]]の事績が入り交じって大混乱しているけれども、「'''[[黄帝]]([[羿]])と[[祝融]]が父子だった'''」ということはきちんと書かれている話と考える。前半はロスタムとソフラーブ的だし、ガンジが生まれ変わる点はディオニューソス的だし、ガンジの故事は父親の[[槃瓠]]([[黄帝]]・[[羿]])のものだし、色々な神話の起源としても重要だと考えるが、「'''神話をどう作り替えていくか'''」という作業の起源としても重要かもしれないと思う。興味深い話である。ともかく、「'''皮を被る神'''」は要注意と考える。この話の場合、タン・ファダンと皇帝は同じものといえる。
ガンジが龍衣を着て、天の神雷神になり、槃瓠父が逆に「息子のカエル」とされてしまったのが、壮族の「雷神とカエル」といえようか。こちらのカエルは皮を被っていない、本物のカエルといえるのではないだろうか。
== 参考文献 ==