伝説では、古代アシ人たちが狩りに出かけた厳冬のある日、持っていた火種が雨風によって消されてしまい、寒さに苦しんだことがあった。人々の手足は凍え、老木の下に避難し、お互いに寄り添ってただ耐え抜くしかなかった。この時、ムドンと呼ばれる男が、仲間の輪から出て、朽ちた倒木の上にまたがり、棒で木をこすり始めた。三日三晩それを続けて、陰暦の2月3日、ついに火をおこすことができ、人々は再び暖をとり、温かい食事をすることができた。
'''ムドン'''はそれからアシ人の英雄となり、後に火神として崇められるようになった。そして、いつのころからか、アシ人は毎年陰暦の1月末から2月初めにかけて、「ムドンサイル」とアシ人の言葉で呼ばれる火祭りをおこなうようになった<ref>[http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/jieri/200106/200106.htm 雲南省彌 勒県西一郷・火祭り 炎に捧げる情熱]、人民中国(最終閲覧日:24-11-19)</ref>。はそれからアシ人の英雄となり、後に火神として崇められるようになった。そして、いつのころからか、アシ人は毎年陰暦の1月末から2月初めにかけて、「ムドンサイル」とアシ人の言葉で呼ばれる火祭りをおこなうようになった。
火祭りの前日には、村人はまず「ミジ」と呼ばれる儀式を行う。「ミジ」は「'''竜'''」のこと。この儀式は、厳粛なもので、'''女性は参加することができない'''。男たちは「ビマ」<refgroup="私注">ビマはイ族の言葉で、民族の歴史と卜占に深い知識を持ち、村の大小の行事を司る者のこと。シャーマン。</ref>の指揮のもと、ブタを村の背後にある祭竜山まで連れていき、屠って「'''竜樹'''<refgroup="私注">「竜樹」は村人から崇拝される老木のこと。中国神話でいうところの建木のことであろう。</ref>」に捧げる。ビマはその根元に祭壇をあつらえ、ブタの頭や白酒を供える。そして、五穀豊穣および村人と家畜の平安を祈る。
「ミジ」の儀式が終わると村中の男女が山に集まり、大鍋で食事を作り、皆で共に食べる。食事が終わると、村人たちは村に戻り、翌日の祭りの準備を始める。
翌日、門の上には厄除けのための木刀が、先を交わす形で重ねられる。また門では、列に並べられた'''柴'''が燃やされ、通行が塞がれている。これは「'''火門'''」と呼ばれ、火祭りに参加するために村に入る客はみな、火を飛び越えなければならず、これで厄除けができるとされている。客たちは宴席につき、酒や食事を楽しむ。食後、舞踏を鑑賞する。踊りに参加する村の男たちは、その前に化粧を施す。化粧には様々なものがあり、それには、動物をテーマにしたトーテミズムを感じさせるものもあれば、祖先やその霊に対する崇拝を表現したものもある。また陰部の前に彼らが神聖なものとしてあがめる'''[[ヒョウタン|ひょうたん]]'''をつるし、性への崇拝を表す者もいる<refgroup="私注">これは[[ヒョウタン]]に乗って大洪水を逃れた先祖に対する敬意ではないだろうか(管理人)。に乗って大洪水を逃れた先祖に対する敬意ではないだろうか。祭りの宴席は、いわゆる'''[[羿]]と[[嫦娥]]を焼き殺した宴の再現劇'''と考える。</ref>。
その後男たちは、老木の前に火神の像を据え、木の棒をこすって火をおこし、'''雄鶏'''を生け贄に捧げる。その後、男たちは新たに起こした火種と火神像をかついで村を練り歩く。村人はそこから火種を取る。そして盆の中にブタの脂身を供える。男たちは樹木神のように扮装する。行列が至るところ、その場は、はじけるようになる。例えば村のため池に着くと、'''ある者は水に向かって踊り、ある者はそこに飛び込んで踊りだし、ある者は、中の泥をすくい、互いの体に塗る'''<ref group="私注">見付天神でも海に男たちが入って似たようなことをやっていたような?</ref>。そして彼らの'''「馬」に水を飲ませる動作をする'''<ref group="私注">こちらは沙田神社風かと。</ref>。
その時、火神像を担いだ四人の村人が広場からふと姿を消す。彼らは、'''村の外の林の中に火神像を捨て'''、その後、林の中を全力で駆け抜けて自分の家に戻る。アシ人は火神像が村の災厄をすべて持ち去ったことで、村の平安が守られると信じる<ref>[http: //www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/jieri/200106/200106.htm 雲南省彌 勒県西一郷・火祭り 炎に捧げる情熱]、人民中国(最終閲覧日:24-11-19)</ref><ref group="私注">こちらでは火神と虫神、厄神が一体化して考えられているように思う。中国神話の祝融と蚩尤も元々は同一のものだったのではないか。生け贄の豚というのはかつての太陽女神のことと考える。日本でいうところの[[シャーマン阿字神社]]は豊作をの阿字女神である。ちょっと前まで祭祀に人身御供を使っていたのであれば、日本人の方が、イ族の皆様よりも、よっぽど野蛮人だと思う管理人だ。ムドン神は、ギリシア神話のプロメーテウス、朝鮮のムーダン(巫堂、무당)、日本の武塔神([[鶏須佐之男命|スサノオ]]を使った儀式を行う。と同起源の神と考える。)</ref>。
*火祭り・'''火把節'''