オビシャ
オビシャは、おもに茨城県から千葉県にかけての利根川沿いで多くおこなわれてきた農村の神事で、三本足のカラスや鬼を描いた的を弓で射て、豊凶を占うものである。語源は、馬に乗って弓を射るのに対して、馬に乗らずに弓を射る「歩射」がなまったものといわれるが、 近年の研究で「日射」説も出ている。また地域によって、「奉社」「奉射」「備社」「備射」「毘射」など、いろんな漢字が当てられている[1]。
主に関東地方東部で1~2月に行われる[2]。
弓神事について
的射を伴う正月行事は日本各地で多く行われている。弓はもともと狩猟の道具で、戦いの際の武器でもあったが、呪術的な力を持つものとして奈良時代以降、中国の射礼の影響を受け宮中での年中行事として儀礼に用いられるようになった。宮中での弓の行事のうち正月の射礼は歩射、5月は騎射であった。その宮中儀礼が武家から庶民にまで広まり、室町期には正月の村の神社での祭礼としてひろがった。西日本の中国、四国、九州ではモモテ、ブシャ、近畿では特に京都、奈良で多く見られユミウチ、ビシャなどとよばれ招福除災を祈願して行われている。
関東では利根川水系に沿って千葉県を中心に、それに近い埼玉県、茨城県、栃木県と群馬県の一部に分布し「オビシャ」と呼ばれている。五穀豊穣を祈願し豊凶を占う的射が主な内容だが、的射をともなわないものも少なくない。あられのぶつけ合いや藁の大蛇や蓬莱山の飾り物を作くるところもある。当番交代の「オトウ渡し」では、氏子名や当屋の氏名や順番、祭事次第、神饌や調理法、その年に生まれた子の氏名などが書いてある帳簿の受け渡しなどが関東のオビシャの特徴である。
オビシャという名は弓矢を用いた神事であることから御奉射とする説や馬に乗り弓を射る騎射に対して徒歩で弓を射ることから御歩射とする説、古来太陽を象徴する三本足の烏の絵が描かれている的を射ることから御日射とする説などがある[3]。
参考文献
- 柏の民俗無形文化財・船戸の「おびしゃ」を見てきました、かしわ倶楽部、庭野すみれ、02-02(最終閲覧日:22-10-28)
- 大広戸のオビシャ、三郷市HP、(最終閲覧日:22-10-28)
- 越谷のオビシャ−継続と多様性 −、京都芸術大学通信教育課程芸術教養学科WEB卒業研究展、大西祐子、19-03(最終閲覧日:22-10-28)
参照
- ↑ 柏の民俗無形文化財・船戸の「おびしゃ」を見てきました、かしわ倶楽部、庭野すみれ、02-02(最終閲覧日:22-10-28)
- ↑ 大広戸のオビシャ、三郷市HP、(最終閲覧日:22-10-28)
- ↑ 越谷のオビシャ−継続と多様性 −、京都芸術大学通信教育課程芸術教養学科WEB卒業研究展、大西祐子、19-03