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(けい)は、夏朝の第2代帝。塗山氏女の息子。子に帝太康および帝中康がいるほかに、少なくとも5人の男子がいる。『墨子刊誤』によると、元々は開という名であったが、漢代に諱を避けて啓と呼ばれるようになったという。

『竹書紀年』によれば、39年間帝であり、78歳で没したという。

禹はもともと帝位をに譲ろうとしていた。禹の死後、益は帝位を受けずに、啓を帝にしようとした。諸侯も、益のもとを去り、啓のもとに行ったため、啓は帝位に就いた。しかし、益が実際に帝位に就いたが、啓が益を殺して、帝位に就いたという説も有る。

啓の在位中、諸侯であり異母兄の有扈氏が従わなかったため、甘において、有扈氏と戦って勝利した。この戦いの前に、啓は六卿の前で、「甘誓」を披露した。この「甘誓」は『書経』に残されているが、本当に啓が作ったものなのかは非常に疑わしい。有扈氏は実は益の支持者であったという説もある。

啓の性質について・私的解説

啓は顓頊三代の後に続く神であるので、神話的には顓頊から続く炎帝系の政治と祭祀の後継者という位置づけになると考える。

関連項目

  • 火之迦具土神
  • 応神天皇
  • 須佐之男