西王母

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図1,左から2番めの人物が西王母。頭上に勝を戴いているのがわかる。
図2,龍虎座という座席に座っている西王母のレリーフ(東漢、四川博物院(中国語版)所蔵)
紀元前2世紀。馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)1号墓の帛画
最上段中央が西王母と思われる(管理人)。

西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)は、中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は(あるいは[1])、名は、字は婉姈、一字は太虚[2]

九霊太妙亀山金母太霊九光亀台金母太虚九光亀台金母元君[3]白玉亀台九霊太真元君[4]白玉亀台九鳳太真西王母[5]上聖白玉亀台九霊太真西王母[6]紫微元霊白玉亀台九霊太真元君[7]西華至極瑶池金母皇君[8]西霊金母梵気祖母元君[9]西漢金真万気祖母元君[10]太華西真万気祖母元君[11]太華西真白玉亀台梵気祖母元君[12]九霊太妙白玉亀台玉光金真梵気祖母元君[13]九霊太妙白玉亀台夜光金真万気祖母元君[14]太妙天紫府化気西華金母元君[8]無極瑶池大聖西王金母大天尊[15][16]西元九霊上真仙母[17]金母元君[18][19]西霊王母西華金母[20]西瑶仙姥西瑶聖母[8]西老[21]などともいう。大抵は俗称の王母娘娘と呼ばれる[22][私注 1]

「王母」は祖母や女王のような聖母といった意味合いであり、「西王母」とは西方にある崑崙山上の天界を統べる母なる女王の尊称である。天界にある瑶池と蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配する最上位の女神。

概要

最初の形象

歴史家の陳夢家によれば、殷墟から発掘された甲骨文字の卜辞に「西母」という神が見られ、それが西王母の前身であるという[23]

東周時代に書かれたとされる『山海経』の大荒西経によると、西王母は「西王母の山」または「玉山」と呼ばれる山を擁する崑崙の丘に住んでおり、西山経には

「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)、よく唸る[私注 2]。蓬髻長髪に玉勝(宝玉の頭飾)を戴く。彼女は天の厲と五残(疫病と五種類の刑罰)を司る。」

という半人半神の姿で描写されている[24]。また、海内北経には

「西王母は几(机)によりかかり、勝を戴き、杖をつく」

とあり、基本的には人間に近い存在として描写されている[25]

また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくる[私注 3]ともいい(『海内北経』)、これらの鳥の名は大鶩、小鶩、青鳥[私注 4]であるという(『大荒西経』)。

馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)帛画

馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ、まおうたいかんぼ、拼音: Mǎwángduī Hànmù)は、中華人民共和国湖南省長沙市芙蓉区にある紀元前2世紀の墳墓。前漢の利蒼(? - 紀元前186年)とその妻子を葬る。 1号墓の被葬者は利蒼の妻、辛追。

1号墓、3号墓の内棺の蓋板には、形・内容ともほぼ同様の帛画が掛けられていた[26]。いずれもT字型の一重(ひとえ)の絹地で作られており[27]、上縁に竹棒が通され[28]、吊り下げるための絹の掛け紐が付き[28][29]、T字の4箇所の下端四隅には房がつけられていた[29]。当時の葬送儀礼に欠かせなかった旌幡[30]であろう[29]。1号墓の帛画は長さ205センチメートル、上端部の幅は95センチメートルあり[31]、完全な保存状態で出土した[29]

帛画は、緑色[28]に染めた絹の上に、主に鉱物性の顔料[28]を用いて色彩豊かに[29]描かれている。絵の主題には楚の地方色が色濃く反映され[32]、当時の楚の幻想的・屈原的な雰囲気を偲ばせる[33]。この帛画は中国古代絵画の最高傑作と言い得るものである[34][31]

帛画の上部は天上界を表す[26][27][29]。まず、上端中央に人身蛇尾(上半身が人間、下半身がとぐろを巻いた蛇)の神人が座している。ひとり神で蛇身部分が赤いことから、『山海経』の燭竜と推測される[35][36][私注 5]。神人の右側、赤い太陽の中には黒い鳥が、左側の三日月の中にはひき蛙が描かれている。これらは『淮南]』の「日中に踆烏(しゅんう)[37]有り、而して月中に蟾蜍(せんじょ)[38]有り」をその通りに描いている[35]

太陽の下にいるの傍らには8個の赤い円が描かれている。これは羿が9個の太陽を射落とした伝説に関係すると考えられる[35]。従って竜と絡み合う樹木は『山海経』にある扶桑であろう[35]テンプレート:Efn2。 三日月の下にいる竜の傍らには、1号墓の帛画では飛翔する女性が、3号墓の帛画では飛翔する上半身裸の男性が見られ、被葬者の昇仙図となっている[26][27]

竜の下の天門(天上界と現世の境)には2人の役人[34]が向かい合って座り、その後ろの柱にはがしがみついている。これは『楚辞』の「招魂」テンプレート:Efn2を思わせる[39]

現世界に入り、天門直下の華蓋の上には一対の鳳凰が、下には人面の奇怪な鳥が飛んでいる[39]。その下の左右には竜が描かれ、下の方でを貫き交竜になっている[40][29]。その竜に挟まれる形で被葬者の出行の場面が描かれる[26]。1号墓の帛画では、曲裙の長衣を着た老婦人(被葬者)が杖をついて立ち、後ろには女性3人(腰元であろう[39])が従い、前に男性2人(天からの迎えの使者か[39])が跪いている。3号墓の帛画では、劉氏冠テンプレート:Efn2と朱の長衣をまとい、腰に帯剣した男性が袖に手を入れて歩み、周囲に9人の人物が従っている[26]

その下にある宴の図は、被葬者を見送り、霊魂を導き昇天させる意味を持つ[27]。あるいは被葬者が死後の世界で食事を楽しむ様子を描いている[41]テンプレート:Efn2。料理や酒をふんだんに供えた[34]その供宴の席を、2匹の大魚(海を象徴する奇獣[42])の上に立った裸身の力士が支え上げている。彼は『楚辞』の「招魂」にある土伯(幽都(冥界)の怪物)かもしれない[39][26]。彼の周囲には霊亀、鴟鴞などの霊鳥が描かれている[26]。これら璧から下の部分[40]は地下界を表す[26][34]

帛画の名称は、議論はあるものの[26]、遣策(副葬品リスト)にある「非衣」と考えられる[27][31]。これは、衣の形をしているが衣ではない旌幡、といった意味合いだが[34]、「非」は漢代には音通で「飛」と解することもでき、「非衣」即ち「飛衣」として霊魂の飛翔、昇天を願った名称であろう[27]。帛画全体の主題も被葬者の「引魂昇天」と言えるものである[29]

医薬神としての西王母

西王母は、不老不死の仙桃(蟠桃[43])を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるにいたった。王母へ生贄を運ぶ役目だった青鳥[私注 6]も、「西王母が宴を開くときに出す使い鳥」という役どころに姿を変え、やがては「青鳥」といえば「知らせ、手紙」という意味に用いられるほどになったのである。中国民間では旧暦三月三日の「桃の節句」が西王母の誕辰で、この日には神々が彼女の瑶池に集まって蟠桃会を行なうと伝えている[44][45][46][47]

『淮南子』では、西王母が持していた不死の薬姮娥(恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。

班固の『漢武内伝』によれば、前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は墉宮玉女たち(西王母の侍女)とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという[48]。さらに秘術の経典『五岳真形図』と養生の経典『霊光生経』を授与することがある[48]。『漢武内伝』は西王母の美しい容姿を初めて描写している。西王母は黄金色に光り輝く華美な衣装を纏い、霊飛大綬を佩用し、頭は太華髻を作り、太真晨嬰の冠を戴き、玄瓊鳳文の靴を履き、腰には分頭の剣(あるいは分景の剣[49])を帯びた三十歳くらいの絶世の美女である[48]。『漢武内伝』に登場する西王母の侍女の名前は、王子登、董双成、石公子、許飛瓊、阮凌華、范成君、段安香、安法嬰、郭密香、田四飛、李慶孫、宋霊賓である[48]。漢末の建平4年(紀元前3年)、華北地方一帯に西王母のお告げを記したお札が拡散し、騒擾をもたらしたという記述が、『漢書』の「哀帝紀」や「五行志」に見える。

人間の死と生命を司る女神であった西王母は、「死と生命を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。

季節型豊穣神としての西王母

西王母は冬、陰気の強い3月3日に蟠桃会を主催し、百花仙子に百花を咲かせる舞を舞わせる(奉納される)。蟠桃会は陽気の女神である西王母が春をもたらす祭祀だったのではないだろうか。

女神の地位の低下を図る中傷系

丹波康頼の『医心方』では、『玉房秘訣』によれば、西王母は陰を養って得道した者で、彼女には夫がなく、童男(男の子)と性交するのが好きだったが、西王母と関係を持った人間の男はすぐ病にかかったという[50][私注 7]

天候神としての西王母

西王母の娘とされる瑤姫懐王と交わって雨水をもたらした、とされる。瑤姫は西王母から分離された下位の女神と思われる。

酒造神としての西王母

西王母に献上する酒を造る麻姑は、西王母から分離された下位の女神と思われる。

縫織神としての西王母

西王母は織女を監督する女神である。「牛郎織女」。一般的な織女は西王母から分離して、その地位が低下した下位の女神であると管理人は考える。

子安神としての西王母

清代の文人・屈大均の『広東新語』によれば、西王母は人々に寿・福・禄を注したと伝えられ、送子(授児)と助産の神格を有し、弟子たち(若飛瓊、董双成、萼緑華など)とともに嬰児の保護神でもある[51]

軍神としての西王母

張君房の『雲笈七籤』によれば、西王母は配下である戦の女神・九天玄女を派遣し、黄帝蚩尤に勝つための兵法と神符を授けたとされる[52][私注 8]

母神としての西王母

道教の文献『太上老君説常清静経 杜光庭註』では、西王母は諸天神王帝主の母で、崑崙に居る。『天地論』によれば、西王母は崑崙西側の黄河の水の出るところに居る(一説には西亀の山に居て、龍山とも言い、これは九気の根紐、真土の淵府、西北の角、亥子の間である[13])。西王母は天地の母である。また、天公・地母は神々と三界を統率し、天上天下、西王母を至尊の母とみなす。[53][私注 9]

西王母の変遷

人間への遷移

春秋時代に形成され、戦国時代に流布された『穆天子伝』によれば、周の穆王が西に巡符して「西王母の邦」で最高の礼を尽くして彼女に会い、3年間逗留して帰国したという。この物語での西王母は完全に人間の姿で描かれている。なお、西王母の邦は洛陽から西に1000キロメートルの位置にあったという。

女仙への遷移

漢代になると西王母は神仙思想と結びついて変容していった。道教では東王父に対応する。両性具有から男性的な要素が対となる男神の東王父として分離し[54][私注 10]、東王父にも不老不死の支配者という性格が与えられていった。

『荘子』によれば、西王母を得道の真人としている。清代学者である丁謙の『穆天子伝地理考証』によれば、西王母はカルデアの月神と考えられている[私注 11]

六朝時代に道教が成立すると、道教の文献『元始上真衆仙記』に収録された東晋時代の道教研究家である葛洪の「枕中書」の中で東王父と西王母は、元始天王[私注 12]と太元玉女(太元聖母とも呼ばれている)との間に生まれた双生の神であり、陽の気と陰の気の神格化と考えられる[55]。その後の西王母の来歴を記した道教の文献によれば、西王母は西華の至妙の気によって化生し、神洲伊川に生まれ、生まれつき飛翔することができ、陰霊の気を主宰する。頭に勝を戴き、虎の歯を持つ唸る者は西王母の使い、金方白虎の神で、西王母の真形ではない[56]。西王母は極めて強い陰の気の本源であり、東王父とともに万物を生み育み、その位は西方に配され、天上天下、三界十方の女性の登仙得道した者(天に昇って仙人になる女性)は、みな彼女のもとに所属する。[57]張君房の『雲笈七籤』に収録された「道蔵三洞経」には、西王母は太陰の元気で、姓は自然で字は君思で、下は崑崙の山を治め、上は北斗を治める[58]。道教の文献『上清霊宝大法』では、西王母は梵気の祖(あるいは万気の母[59])と言われている[60][13]。また明末清初の文人・徐道による『歴代神仙通鑑』では、木公(東王父)は金母(西王母)との間に九人の子と五人の娘を生んだ[61]。一説には西王母は八人の子を生み、南極長生大帝はその長子だった[62]

道教における天の女帝

『封神演義』では「瑶池金母」という名前で登場し、昊天上帝の妻であり、竜吉公主はその娘ということになっている。『西遊記』では無数の珍しい宝物を持つ天界一の貴婦人である。現在の伝説では玉皇大帝の妻として傍らに座しているとされ、七人の娘(七仙女)がいるとされる[私注 13]。道教の文献に記載された西王母の娘の名前は、四番目の娘・南極王夫人(林)[63]、十三番目の娘・右英王夫人(媚蘭)[63]、二十番目の娘・紫微王夫人(清娥)[63]、二十三番目の娘・雲華夫人(瑤姫)[64][65]、そして末娘の太真王夫人(婉羅[66]あるいは玉巵[67])である[63]。『東遊記』には華林、媚嫻、青娥、瑤姫、王扈という五人の名前が出ている[68]

また、西王母は民間伝説の「牛郎織女」や「董永と七仙女」にも登場する。

西王母に仕える動物

  • 三足烏:図1,図2には西王母を拝礼する三足烏が描かれている。西王母に仕える動物と考えられていたと思う。

参考文献

  • Wikipedia:西王母(最終閲覧日:22-09-16)
    • 徐朝龍, 三星堆・中国古代文明の謎:史実としての『山海経』, 1998, 大修館書店, あじあブックス, isbn:4-469-23143-6
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    • 小南一郎, 西王母と七夕伝承, 平凡社, 1991年, isbn:4-582-44112-2
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    • 吉岡義豊, アジア佛教史・中国編 Ⅲ 現代中国諸宗教—民衆宗教の系譜—, 佼成出版社, 1974年, isbn:4-333-00181-1
  • Wikipedia:バントウ(最終閲覧日:22-09-25)
  • Wikipedia:馬王堆漢墓(最終閲覧日:22-09-26)

関連項目

私的注釈

  1. 金母」という呼称の中に、西王母が太陽女神であった名残が残っている気がする。
  2. 西王母のトーテムがネコ科の大型の動物であることが示唆される。
  3. 西王母の住まいが天かあるいは「天に近い高山」と考えられていることが分かる。
  4. 朝鮮では青は太極の陰を示す色である。
  5. 天の中央に座すのはどうみても西王母に見えるので、管理人が否定しておく。西王母も人身蛇尾と考えられていたことが分かる図である。
  6. この青鳥も「境界神」といえる。
  7. 西王母の性的な豊穣性を逆向きにしたもの。瑤姫の項を参照のこと。
  8. 西王母の軍神としての性質は分離されて九天玄女として発展していったように思う。
  9. 西王母は神々の母として確立していったようである。
  10. 西王母は元々女神なのであって、両性具有ではないと考える。
  11. どのような意味でこう述べているのかが不明だが、西王母は北東アジア起源の女神だと個人的には思う。
  12. 伏羲ともいえるか?
  13. これは西王母が「人類の始祖」とされていた名残ではないだろうか。

参照

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  3. 『太平広記』巻五十六, 2021/08/18, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%BB%A3%E8%A8%98_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B7056, ウィキソース
  4. 『太平御覧』巻六百七十七, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%BE%A1%E8%A6%BD/0677#台, ウィキソース
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  6. 『雲笈七籤』巻八, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%B2%E7%AC%88%E4%B8%83%E7%B1%A4/08#釋《七聖玄記回天九霄經》, ウィキソース
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  27. 27.0 27.1 27.2 27.3 27.4 27.5 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「huang-p218」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  28. 28.0 28.1 28.2 28.3 陳 (1981) p.91
  29. 29.0 29.1 29.2 29.3 29.4 29.5 29.6 29.7 朱 (2006) p.194
  30. 被葬者の名前などを記した旗。
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  35. 35.0 35.1 35.2 35.3 陳 (1981) p.92
  36. トルファンで発掘された墓の棺を覆っていた帛画には、人身蛇尾のふたり神(伏羲女媧)が描かれている。(陳 (1981) p.92)
  37. 踆烏は本来3本足のはずだが、帛画の鳥は2本足のようである。(陳 (1981) p.92)
  38. このひき蛙は常娥(嫦娥、姮娥)の変身である。(陳 (1981) p.92)
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