夏家店上層文化

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石雕人面。上蝦夷文化は、土器技術の習得が著しく、埋蔵青銅器には、刳り貫き、槍、短剣、矢じり、装飾額などが多く見られることから、青銅器時代後期のものと考えられている[1]

夏家店上層文化(かかてんじょうそうぶんか)は、紀元前1100年~1000年頃に始まり、紀元前700年~500年頃まで続いた、現在の中国東北部に栄えた青銅器文化。遼河文明のひとつ。内蒙古自治区赤峰市夏家店遺跡の上層を標式遺跡とする。北東の草原~丘陵地帯に居た後に東胡となる牧畜民の南下と同地の征服によって成立した文化。同時代の黒竜江省大慶市肇源県の白金宝遺跡に代表される白金宝文化などと密接な関連があり、また同時代の西周の影響も受けている。燕の興隆に伴って征服された。

現在の内蒙古自治区東部、河北省北部、遼寧省西部を中心とし、北はシラムレン川の北に達する。同じ領域で先立つ夏家店下層文化よりもやや狭い範囲に広がり若干西寄りに位置する。夏家店下層文化に比べると人口密度は低かったと推定されている。主に牧畜を行い、農耕や陶器の製作に関する技術は大きく後退して直筒型の形状をした陶器が増え、食器の様式も底部を足底で支える底が深い様式から底が浅い平底の物へ変わっている。

石器が大きく発達し土器や骨器と共に多く出土している。青銅器の出土が増え、剣、槍、戈、鏃などがあり、基本的に装飾が見られないか乏しくなっているが、動物の頭部を模した特徴的な図柄が見られるようになっている。後期になると周様式の青銅器が出現する。夏家店下層文化に比べると恒久的な建築物が少なくなり、下層文化の建築物またはその材料の流用が多くなる。

家畜の骨の出土は、豚に代わり牛が増え、また馬が多く見られ、馬具や銅製車具も多く出ている。夏家店下層文化に比べ、支配者層と見られる物は副葬品を多数伴う墓が造られ、南山根の石墓からは弁髪と思しき埋葬者の描かれた銅版も発見されている、墓制に関しては夏家店下層文化から大きな変化が見られない。

紅山文化、夏家店下層文化時代の古人骨からは、ウラル系民族で高頻度に観察されるハプログループNが60%以上の高頻度で認められるが[2]、夏家店上層文化の時代になると、ハプログループO2やハプログループC2へ交代したようである[2]

私的解説

遺伝子から見る日本人のルーツについて

Y染色体のハプログループを研究されている方によると、弥生人は夏家店上層文化と共通の遺伝子を持ち、夏家店上層文化の担い手に近い集団が日本に移動したのが弥生人と考えられる、とのことである。興味深い研究なので、そのまま紹介する。

縄文人(日本列島に土着)+弥生人(北東アジア集団:夏家店上層文化)+古墳人(東アジア集団) → 現代日本人[3]

とのこと。科学的に客観的に証明できることに素人である管理人が口を差し挟む余地はなく、素晴らしい研究であると思う。

弥生人の文化的二重性について

夏家店上層文化は牧畜が主であって、農業は乏しく、ましてや温暖な気候で行われる水稲耕作を行う集団ではない。一方、日本では「弥生人」といえば「水稲耕作をもたらした集団」として有名である。

夏家店上層文化において、石雕人面のようになにがしかの霊的あるいは神的な存在を「首のみ」で現される文化があるとしたら、それは1000年以上の時を隔てているにもかかわらず、大渓文化、良渚文化の「原始饕餮紋」と共通の文化ではないだろうか。であれば、「原始饕餮紋」と共通の文化的意味を石雕人面は持っているのではないか、と推察される。城背渓文化の太陽神石刻、大渓文化の人紋が弁髪であるとすれば、その起源は揚子江流域ではなく、略奪者の起源である中国東北部である可能性が高いのではないだろうか。とすれば、「原始饕餮紋」の発生源である中国東北部にその文化が後世まで色濃く残っている可能性がある。この「原始饕餮紋」の神の名には「2つの子音T」が含まれる可能性が高い。そして、遼河文明近隣が

参考文献

参照

  1. 夏家店上層文化、百科知識
  2. 2.0 2.1 Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)"Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. " BMC 13:216
  3. 9:36 AM · Sep 23, 2021·Twitter、大凌河氏