火雷大神

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火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)はその名の示す通り雷神であり、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みに対する農耕民族であった古代日本人の信仰から生まれた神と考えられている[1]。律令時代には、宮中大膳式に祀られ、火の神としても信仰された。また、天神信仰では火雷神が由来の一つとされる眷族の火雷天気毒王がいる。主神の天満大自在天神も火雷天神として混同されることがある。ほかに井上内親王の御子を指す場合があり、上記の神とは異なる別の神なので注意が必要である。この場合「ほのいかづち」ではなく「からい」と読むことも多い。

別名[編集]

火雷神(ほのいかづちのかみ)、雷神(いかづちのかみ)、八雷神(やくさいかづちのかみ)。

日本神話の中では火雷神は、伊邪那美命の体に生じた8柱の雷神の1柱だが、ここでは8柱の雷神の総称として火雷大神の呼称が用いられる(この1柱の火雷神については後述)。

神格[編集]

雷神、水の神、伊邪那美命の御子神、雨乞い、稲作の守護神。

神話[編集]

『古事記』に記された神話の中では、[火之迦具土神を生んだ事で女陰を焼いて死んだ妻の伊邪那美命を追って伊邪那岐命が黄泉の国に下った際、伊邪那美命は黄泉の国の食物を食べた事により出る事が出来ないと伊邪那岐命に応じた。しかし自分を追って黄泉まで来た伊邪那岐命の願いを叶え地上に戻るために黄泉の神に談判すると御殿に戻った。その後に何時まで経っても戻られぬ伊邪那美命の事が気になり、伊邪那岐命は櫛の歯に火を点けて御殿に入った。

そこで伊邪那岐命は、体に蛆が集かり、頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に咲(裂)雷神、左手に若雷神、右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神の8柱の雷神(火雷大神)が生じている伊邪那美命の姿を見たとされる。

伊邪那美命の変わり果てた姿に恐れおののいた伊邪那岐命は黄泉の国から逃げ出したが、醜い姿を見られた伊邪那美命は恥をかかされたと黄泉の国の醜女に伊邪那岐命を追わせた。伊邪那岐命はそれを振り払ったが、伊邪那美命は今度は8柱の雷神に黄泉の軍勢を率いて追わせたとある。

火雷神[編集]

なお、山城国風土記逸文によると、この火雷大神のうちの1柱である火雷神(乙訓坐火雷神社の祭神)は、のちに丹塗矢となって賀茂建角身命の子、玉依日売のそばに流れ寄り、その結果賀茂別雷命が生まれたという[2]

向日神社について[編集]

京都府向日市向日町にある神社。元々は、同じ向日山に鎮座する「向神社」(上ノ社)、「火雷神社」(下ノ社)という別の神社だった。いずれも延喜式神名帳に現れる古社で、「火雷神社」については名神大社「乙訓坐火雷神社(乙訓神社)」の論社である(他の論社は長岡京市の角宮神社)。向日山は小畑川のほとりにある。また神社の境内内に「増井の井戸」という井戸があり、その井戸の水は火事の火をよく消す、という霊験があった、とのことである。元は井戸や水の神を祀っていたことが示唆される。

向神社は御歳神(向日神)が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まるという。

火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山背国へ遷った際、当地に火雷神を祀ったことに始まると伝える。養老2年(718年)の社殿新築にあたり玉依姫命と神武天皇を合祀している。

解説[編集]

伊邪那美命に生じた8柱の雷神は、大雷神は強烈な雷の威力を、火雷神は雷が起こす炎を、黒雷神は雷が起こる時に天地が暗くなる事を、咲雷神は雷が物を引き裂く姿を、若雷神は雷の後での清々しい地上の姿を、土雷神は雷が地上に戻る姿を、鳴雷神は鳴り響く雷鳴を、伏雷神は雲に潜伏して雷光を走らせる姿を、つまりそれぞれが雷が起こす現象を示す神だと考えられている。

また、『万葉集』や『日本霊異記』の伝承に、中国の雷神信仰の影響などから雷神は竜や蛇と関連づけられることもある。

信仰[編集]

雷が多い地方などで雷神はよく信仰され、落雷から身を守ってくれる神様として、雨をもたらす稲作の守護神として雨乞いなどで祭られる事が多い。

私的解説[編集]

火雷神はチャンヤン神話の「蛾王」に相当する。中国神話の蚩尤に類似する神である。メソポタミア神話のエンリルにも相当する。ただし、虫害を起こす性質はないと思われる。

「水をもたらす雷神」でもある点で、わずかに黄帝型神の性質も持つ。これはバロン・ダロン神話でも同様である。


「向神社」(上ノ社)、「火雷神社」(下ノ社)については、「水の神」と「火雷の神」を対にして祀ったものか。ただ、元の水神の名がはっきりしないので、これ以上には考察しようがないと感じる。(向神社の井戸が溢れて大洪水が起きた、という伝承でもあれば話は別だが。)増井神社の現在の祭神は火雷神荒魂だが、本来は白雲龍王のような水神だったのかもしれないと思う。

祀る神社[編集]

  • 葛木坐火雷神社 - 奈良県葛城市(旧・北葛城郡新庄町)鎮座
  • 火雷神社(上野国八宮) - 群馬県佐波郡玉村町鎮座
  • 角宮神社 - 京都府[長岡京市鎮座(上記にある山城国乙訓郡「乙訓坐大雷神社」の論社)

参考文献[編集]

  • 武光誠『知っておきたい日本の神様』角川書店 ISBN 404405701X
  • 戸部民夫『「日本の神様」がよくわかる本』[PHP研究所 ISBN 4569661157
  • 梅原猛『古事記』学習研究社 ISBN 9784059020134

関連項目[編集]

参照[編集]

  1. 私の考えでは、雷神信仰は古代中国の稲作民族が有していた雷神信仰が、稲作の到来と共にもたらされたものである。古代中国神話で伏羲が命を助けた、とい洪水神話でおなじみの雷神信仰である。(管理人)
  2. コトバンク 火雷神 ほのいかずちのかみ , https://kotobank.jp/word/火雷神-869824 , 2017年1月7日