=== 証拠資料 ===
テウタテスは、ローマの作家ルカヌスが叙事詩「ファルサリア(Pharsalia)」の中で言及したケルトの3神のうちの1つである<ref name="Aldhouse"/><ref name="Cunliffe"/>。紀元1世紀に書かれたもので、ガリア人が人身御供を捧げた三神として、テウタテス、[[タラニス]]、[[エスス]]を挙げている<ref name="Maier"/><ref name="Koch"/><ref name="Cunliffe"/>。4世紀のルカヌスの注釈書『コンメンタ・ベルネンシア(Commenta Bernensia)』には、テウタテスの生贄は溺れて死んだと書き加えられ、テウタテスをマールスやメルクリウスになぞらえている<ref name="Maier"/>。
<blockquote>
西の海岸で見張っていた人たちは、その拠点を家に移した。<br />幸せなガリア人は彼らの不在を喜び、[...]。<br />今、ベルギー人とアルヴァニア人の競争を休ませる [...]。<br />汝も、ああ、トレビスよ。<br />戦争が汝の領域を離れたことを喜べ。<br />リグーリア族、今は剃られているが、昔は<br />長髪の国の第一人者で、その首には<br />かつて、赤毛の髪が誇らしげに流れていた。<br />また血でなだめる者は、呪われる。<br />野蛮なテウタテス、[[エスス]]の恐ろしい祠、<br />そして北の女神ディアナに愛された<br />[[タラニス]]の祭壇のように残酷だ。<br /> ルカヌス、''ファルサリア'', 1st century<ref name="Lucan">http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0134%3Abook%3D1%3Acard%3D396, M. Annaeus Lucanus, Pharsalia, book 1, line 396</ref>
</blockquote>
ローマの作家ラクタンティウスも、3世紀の著作『神典(Divinae Institutiones)』の中で、生け贄が捧げられたガリアの神としてテウタテスを挙げている<ref name="Maier"/>。
Toutatis is one of three Celtic gods mentioned by the Roman writer [[Lucan]] in his epic poem [[Pharsalia|''De Bello Civili'' or ''Pharsalia'']].<ref name="Aldhouse"/><ref name="Cunliffe"/> Written in the [[first century AD]], it names Toutatis, [[Taranis]] and [[Esus]] as three gods to whom the Gauls offered [[human sacrifice]]s.<ref name="Maier"/><ref name人身御供の儀式 =="Koch"/><ref name="Cunliffe"/> In the 4th century [[Scholia画像:ChaudronDeGunstrup2bis.jpeg|サムネイル|620px|commentaryグンデストルップの大釜。戦士と大釜。]] on Lucan, ''ルカヌスは『内乱』においてテウタテスを[[Commenta Bernensiaエスス]]'', an author added that sacrifices to Toutatis were や[[Execution by drowning|killed by drowningタラニス]], and likened Toutatis to Mars or Mercury.<ref name="Maier"/>と共に人身御供を要求するガリアの神の一つとして挙げている。
{{poem quote|text=Those who keep watch beside the western shore, have moved their standards home; The happy <blockquote>酷烈のテウタテス神がおぞましい(人身御供の)血で、また恐るべき[[Gauls|Gaul]エスス] rejoices in their absence; [...] Now rest the 神が野蛮な祭壇で鎮められ、スキュティアの[[Belgaeディアーナ|Belgiansディアナ]], and the に劣らず過酷な[[Arverniタラニス]]an race [...]Thou, too, oh [[Treveri|Treves]],rejoicest that the war has left thy bounds.[[Ligures|Ligurian]] tribes, now shorn, in ancient daysfirst of the long-haired nations, on whose necksonce flowed the auburn locks in pride supreme;And those who pacify with blood accursed,savage Teutates, [[Esus|Hesus']] horrid shrines,and [[Taranis]]' altars, cruel as were thoseloved by Diana, goddess of the north.|sign神の祭壇が祀られる地の部族も然り。また、汝ら、歌人として、戦に斃れた雄々しい英霊を末永く未来に歌い伝える者たち、バルディ<ref name= "druid">バルディはバード、ドルイダエは[[Lucanドルイド]]|source=''[[Pharsalia]]'', 1st century。バードやドルイドへの言及があるのは彼らがテウタテスらへ捧げる人身御供の儀式に関わっていた、あるいは少なくともルカヌスはそう考えていた事を示す。</ref name="Lucan">{{cite web | url=http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0134%3Abook%3D1%3Acard%3D396 | title=M. Annaeus Lucanusよ、汝らも心安らかに数多の歌謡を歌った。また、ドルイダエ(druid)、汝らも、武器を置き、蛮族の習いの、聖なる儀式へと戻っていった。(空引数, Pharsaliaルカヌス, book 1内乱, line 396 }}2012)</refblockquote>}}
In his [[3rd century AD|third-century]] work ''[[Divinae Institutiones]]'', Roman writer [[Lactantius]] also names Toutatis as a Gaulish god to whom sacrifices were offered.<ref name="Maier"/>『内乱』その物にはこれ以上の記述はないが、四世紀から九世紀の間に書かれた『内乱』に対する古注を一つに集積した『コメンタ・ベルネンシア(Commenta Bernensia)』はこの人身御供に関する儀式により詳細に触れている。これによれば(メルクリウスと同一視された)テウタテスへは、水を満たした釜に人間を逆さに突っ込んで溺死させるという方法で生贄を捧げたとある。
===TOT finger rings===A large number of [[Roman Britain|Romano-British]] finger rings inscribed with the name "TOT", thought to refer to Toutatis, have been found in eastern Britain, the vast majority in [[Lincolnshire]], but some in [[Bedfordshire]], [[Nottinghamshire]] and [[Leicestershire]]. The distribution of these rings closely matches the territory of the [[Corieltauvi]] tribe.グンデストルップの大釜には『コメンタ・ベルネンシア』が示した、釜を使った溺死による生贄の儀式を示したとも解釈できるプレートがある。歩兵と騎兵が行進しているためプレートが描いているのは戦いの儀式であると思われる。プレートの左端には神と解釈できる巨人<ref>{{Cite web | last=Spicer | first=Graham | title=Missing Link To Bloodthirsty Ancient Celtic Warrior God Uncovered | url=http://www「押さえつける方は,その身長から見て,戦争の神自身に違いない.culture24.org.uk/history%20%26%20heritage/archaeology/art49084 | date=16 July 2007 | access-date=2012-08-07 }}</ref> In 2005 a silver ring inscribed ''DEO TOTA'' ("to the god Toutatis") and ''[VTERE] FELIX'' ([use this ring] happily") was discovered at [[Hockliffe]]」(デュヴァル, 2001, Bedfordshire. This inscription confirms that the ''TOT'' inscription does indeed refer to the god Toutatis.<ref>{{Cite web | title=Record ID: BH-C3A8E7 - Roman finger ring | url=http://finds.org.uk/database/artefacts/record/id/199113 | publisher=[[Portable Antiquities Scheme]] | date=3 November 2007 | access-date=2012-08-07 }}page628)</ref>が大釜の上に人をぶら下げている。このプレートが描いているのがケルトの戦いの儀式であり、巨人をテウタテスであると解釈するのであれば、テウタテスが戦いの神の性質を持つことを示す一つの根拠になる。ただしグンデストルップの大釜には様々な解釈が成立し定説がない。歩兵が儀式を行う神へと行進し、騎兵はその逆に行進していることに注目するのであれば、これは生贄ではなく、戦争の前に騎兵に施した儀式とも考えられる。そもそもケルト由来の物ではないとする説もある。
In 2012 a silver ring inscribed "TOT" was found in the area where the [[Hallaton Treasure]] had been discovered twelve years earlier. Adam Daubney, an expert on this type of ring, suggests that Hallaton may have been a site of worship of the god Toutatis.<ref>{{Cite web | title=Rare silver ring unearthed near site of Hallaton hoard | url=http://www.thisisleicestershire.co.uk/Rare-silver-ring-unearthed-near-site-Hallaton/story-16661074-detail/story.html | date=7 August 2012 | access-date=2012-08-07 }}</ref>グンデストルップの大釜は、下半分には槍と盾で武装した戦士が一列に並んでいて、最後尾にカルニュクスを吹く者がいて、全体に左に行進している。左端には大きな人物が描かれていて、小さい人物を大釜に浸そうとしている。上半分には騎乗した戦士が逆に大釜から離れる方向に向かっている。
==Further reading==* Clémençon, Bernard; Ganne, Pierre M. "Toutatis chez les Arvernes: les graffiti à Totates du bourg routier antique de Beauclair (communes de Giat et de Voingt, Puy-de-Dôme)". In: ''Gallia'', tome 66, fascicule 2, 2009. Archéologie de la France antique. pp. 153–169. [DOI: https://doi.org/10.3406/galia.2009.3369] ; www.persee.fr/doc/galia_0016-4119_2009_num_66_2_3369* Lajoye, Patrice; Lemaître, Claude. "Une inscription votive à Toutatis découverte à Jort (Calvados, France)". In: ''Etudes Celtiques'', vol. 40, 2014. pp. 21–28. [DOI: https://doi.org/10.3406/ecelt.2014.2423] ; www.persee.fr/doc/ecelt_0373-1928_2014_num_40_1_2423*M. Almagro‐Gorbea, A. J. Lorrio Alvarado, ''Teutates: el héroe fundador'', Madrid, Real Academia de la Historia, 2011 =ローマ的解釈 =ローマ的解釈==
ガリア人の信仰について、カエサルは以下のように説明している。
テウタテスとマルスとの対応は固定的なものではなく、ローマによるガリア平定後に作られた石碑の碑文にはテウタテスは[[マールス|マルス]]<ref>'''''Marti Toutati''' Ti(berius) Claudius Primus Attii liber(tus) v(otum) s(olvit) l(ibens) m(erito)''<br>''I(ovi) O(ptimo) M(aximo) et Riocalat(i) '''[To]utat(i) M-[ar(ti)]''' Cocid(i)o [vo]to feci-[t] Vita-[lis]''</ref>だけでなく[[メルクリウス]]<ref>''Mercur(io) / IOTOUVI[1]E / [3]OEIRNV / OAIRONIS ''; <br>''Merc[urio] / Tou[teno] / temp[lum] / cum [signo] / et orn[amentis] / Virili[s pos(uit)] / v(otum) s(olvit) [l(ibens) l(aetus) m(erito)].''</ref>とも同一視された事が示されている。後述する『コメンタ・ベルネンシア』においても、テウタテスはマルスともメルクリウスとも同一視されている<ref>ガリアにおいてマルスとメルクリウスは性質の近い存在であったと考えられている(マッカーナ, 1991, page36)。イオウォントゥカルス(Iovantucarus)もマルスとメルクリウスの両方に同一視されている。またヘニッグはアレイで信仰されていた名前の失われたケルトの戦の神が、(戦の神であるマルスではなく)メルクリウスと同一視されていた事を示している。(ギリー, 2014, page18)</ref>またトウティオリクス(Toutiorix)をテウタテスの異形であると見なすのであれば<ref>マイヤーは 『ケルト辞典』においてテウタテスとトウティオリクスで別項を立てている(マイヤー, 2001, pages154,157。</ref>、[[アポローン|アポロ]]とも同一視された事になる<ref>''In h(onorem) d(omus) d(ivinae) / '''Apollini Tou/tiorigi''' / L(ucius) Marinius / Marinia/nus |(centurio) leg(ionis) VII / Gem(inae) <nowiki>[[Alexan]]</nowiki>/[[d[r]ianae]] vo/ti compos''</ref>。しかし'''テウタテスはメルクリウスやアポロよりもマルスとの同一視を示す証拠が多い'''。
==人身御供の儀式= TOTの指輪 ===ルカヌスは『内乱』においてテウタテスを[[エスス]]や[テウタテスを指すと思われる「TOT」と刻まれたロマノ・ブリティッシュの指環がイギリス東部で多数発見されており、その大部分はリンカンシャーで、一部はベッドフォードシャー、ノッティンガムシャー、レスターシャーで発見されている。このリングの分布は、コリエルタウヴィ族の領域と密接に一致している<ref>Spicer Graham, Missing Link To Bloodthirsty Ancient Celtic Warrior God Uncovered, http://www.culture24.org.uk/history%20%26%20heritage/archaeology/art49084, 16 July 2007, 2012-08-07</ref>。 2005年、ベッドフォードシャー州ホクリフで「DEO TOTA」(「神トゥータティスに捧ぐ」)と「[タラニス]VTERE]と共に人身御供を要求するガリアの神の一つとして挙げている。FELIX」(「このリングを使って幸せに」)と刻まれた銀のリングが発見された。 この碑文は、TOT碑文が確かにテウタテスを指していることを裏付けている<ref>Record ID: BH-C3A8E7 - Roman finger ring, http://finds.org.uk/database/artefacts/record/id/199113, Portable Antiquities Scheme, 3 November 2007, 2012-08-07</ref>。
<blockquote>酷烈のテウタテス神がおぞましい(人身御供の)血で、また恐るべき[[エスス]]神が野蛮な祭壇で鎮められ、スキュティアの[[ディアーナ|ディアナ]]に劣らず過酷な[[タラニス]]神の祭壇が祀られる地の部族も然り。また、汝ら、歌人として、戦に斃れた雄々しい英霊を末永く未来に歌い伝える者たち、バルディ2012年、12年前に「ハラトン秘宝」が発見された場所で、「TOT」と刻まれた銀の指輪が発見された。この種の指輪の専門家であるアダム・ドーブニー(Adam Daubney)は、ハラトンはテウタテス神の崇拝の場であった可能性があると述べてている<ref name="druid">バルディはバード、ドルイダエは[[ドルイド]]。バードやドルイドへの言及があるのは彼らがテウタテスらへ捧げる人身御供の儀式に関わっていた、あるいは少なくともルカヌスはそう考えていた事を示す。<Rare silver ring unearthed near site of Hallaton hoard, http://www.thisisleicestershire.co.uk/Rare-silver-ring-unearthed-near-site-Hallaton/story-16661074-detail/ref>よ、汝らも心安らかに数多の歌謡を歌った。また、ドルイダエ(druid)、汝らも、武器を置き、蛮族の習いの、聖なる儀式へと戻っていった。(空引数story.html, ルカヌス7 August 2012, 内乱, 2012)2012-08-07</blockquoteref>。
『内乱』その物にはこれ以上の記述はないが、四世紀から九世紀の間に書かれた『内乱』に対する古注を一つに集積した『コメンタ・ベルネンシア(Commenta Bernensia)』はこの人身御供に関する儀式により詳細に触れている。これによれば(メルクリウスと同一視された)テウタテスへは、水を満たした釜に人間を逆さに突っ込んで溺死させるという方法で生贄を捧げたとある。== 私的解説 ==テウタテスは、特に北欧神話のオーディンのように、「戦士を(死後)再生させる」と考えられていたかもしれないと思う。「器」に関連するのは、中国神話の饕餮が祭祀で供物を供える器(鼎)と関連することと相関するように思う。生贄を溺死させるのも、中国神話の[[画像:Gundestrupkarret3.jpg|サムネイル|200px|河伯]]の面影を残しているように思う。テウタテスの起源は名前からいっても[[グンデストルップの大釜饕餮]]のプレートの一つであると考える。グンデストルップの大釜の神も口を大きく開けているし、[[饕餮]]グンデストルップの大釜には『コメンタ・ベルネンシア』が示した、釜を使った溺死による生贄の儀式を示したとも解釈できるプレートがある。歩兵と騎兵が行進しているためプレートが描いているのは戦いの儀式であると思われる。プレートの左端には神と解釈できる巨人<ref>「押さえつける方は,その身長から見て,戦争の神自身に違いない.」(デュヴァル, 2001, page628)</ref>が大釜の上に人をぶら下げている。このプレートが描いているのがケルトの戦いの儀式であり、巨人をテウタテスであると解釈するのであれば、テウタテスが戦いの神の性質を持つことを示す一つの根拠になる。ただしグンデストルップの大釜には様々な解釈が成立し定説がない。歩兵が儀式を行う神へと行進し、騎兵はその逆に行進していることに注目するのであれば、これは生贄ではなく、戦争の前に騎兵に施した儀式とも考えられる。そもそもケルト由来の物ではないとする説もある。紋の特徴の一つではないだろうか。
==関連項目==
* [[ミディール]] 「<!--碑文の綴りに合わせてトータティスという表記にしています。-->トータティス・メドゥリス(Meduris)」へと献じられた碑文が発見されている<ref>''Petiganus / Placidus / '''Toutati / Medurini''' / votum sol/vet(!) anni/versarium''</ref>。これをマイヤーはテウタテスとメドゥリスの同一視と解釈している<ref>マイヤー, 2001, page154</ref>。ミディールはアイルランドのケルト神話の神であり、メドゥリスと対応すると考えられている。
* Tuathal Techtmar(Túathal Techtmar)百戦のコン(Conn of the Hundred Battles)の祖父にあたるアイルランドの伝説上の上王(アード・リー)。彼の名"Tuathal"はテウタテスの古形"teuto-valos"に由来するのではないかと推測されている。
* [[兎]]:テウタテスの起源。
** [[饕餮]]:テウタテスの起源。冥界神としての性質も有す。
== 参考文献 ==
** マッカーナ・プロインシァス, Proinsias MacCana, 松田幸雄, ケルト神話, 青土社, 1991, isbn:4-7917-5137-X
** ルカヌス, 内乱 : パルサリア, 上, 2012, 岩波書店, isbn:978-4-00-321261-5
* Wikipedia:[https://en.wikipedia.org/wiki/Toutatis Toutatis](最終閲覧日:22-11-22)
** Clémençon, Bernard; Ganne, Pierre M. "Toutatis chez les Arvernes: les graffiti à Totates du bourg routier antique de Beauclair (communes de Giat et de Voingt, Puy-de-Dôme)". In: ''Gallia'', tome 66, fascicule 2, 2009. Archéologie de la France antique. pp. 153–169. [DOI: https://doi.org/10.3406/galia.2009.3369] ; www.persee.fr/doc/galia_0016-4119_2009_num_66_2_3369
** Lajoye, Patrice; Lemaître, Claude. "Une inscription votive à Toutatis découverte à Jort (Calvados, France)". In: ''Etudes Celtiques'', vol. 40, 2014. pp. 21–28. [DOI: https://doi.org/10.3406/ecelt.2014.2423] ; www.persee.fr/doc/ecelt_0373-1928_2014_num_40_1_2423
** M. Almagro‐Gorbea, A. J. Lorrio Alvarado, ''Teutates: el héroe fundador'', Madrid, Real Academia de la Historia, 2011
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%87%9C グンデストルップの大釜](最終閲覧日:22-11-22)
* Wikipedia:[https://fr.wikipedia.org/wiki/Chaudron_de_Gundestrup Chaudron de Gundestrup](フランス語版)(最終閲覧日:22-11-22)
== 参照 ==
[[カテゴリ:軍神]]
[[カテゴリ:再生神]]
[[カテゴリ:器神]]
[[カテゴリ:類兎]]