ジョン・アーノット・マッカロク(John Arnott MacCulloch)は、1911年当時、エススに関する学術的な解釈を次のようにまとめた。
<blockquote>M.レイナッハ(M. Reinach)はエススの祭壇の主題を一定の形式で表現している。"The Divine Woodman hews the Tree of the Bull with Three Cranes"(『木こりの神は三羽の鶴と共に雄牛の木を切る。』)全体は未知の神話を表しているが、ダルボア氏はこの中にクー・フーリンの物語(Cúchulainn saga)の内容との関連性を見出している。イメージとしては、牛と木はおそらく両方とも神であり、もしこの動物が神の牛のイメージのように3つの角を持っているとすれば、3羽の鶴(garanus、「鶴」)は、3つの角(trikeras)、あるいはより正確には3頭(trikarenos)のリバスである可能性がある。この場合、木こり、木、牛はすべて植生の神の代表かもしれない<ref group="私注">これは違うと思う。木こりの神は[[桂男]]、牛、木、鳥は中国的な月桂樹でもあり死んだ蚩尤の象徴というべきと考える。木こりと切られるものが「別のもの」である点が大きな問題となっていると感じる。</ref>。初期の儀式では、豊穣を確保するために、人間や動物、樹木などの神の代表を定期的に破壊したが、神がこれらの代表から離れると、破壊や殺害は神への犠牲とみなされ、かつて動物が殺されたことを伝える神話が生まれた<ref group="私注">何を言っているのやら、と個人的には思う。まずは、なんで何かを破壊したら豊穣が得られると思うのか、筆者は自分の思考を整理すべきと思う。エススは戦闘における殺害と略奪を煽る神であるし、クー・フーリンを引き合いに出すのも、戦闘で異形に変身して恐るべき殺害者となるクー・フーリンを指していると思うのだが。これは「木こり」の神が、余所の部族の牡牛、木、鳥(要は余所の部族の世界樹=世界)を切り倒し、破壊しつくせ、と言っている図であると管理人は考える。その元になった神話は黄帝が炎帝(牡牛であり樹木神であるもの)を倒したという歴史的事実を神話化したものと考えるが、そもそも黄炎は他人同士なので、こういう'''「殺戮と略奪を正当化する理屈」'''に援用されてしまったものと考える。その源は、川の神が川の神を倒す、というような矛盾した神話である[[祝融]]と[[共工]]の戦いのように思う。日本の[[須佐之男命]]と[[八俣遠呂智]]の神話もこの部類に入る。こういう理屈がまかり通るようになると、同族同士でもちょっとした違いをあげつらってお互いに攻撃し合うことも正当化できるようになってしまうのではないだろうか。</ref>。この場合、本当に同じものである木と牛は、かつて彼らが象徴していた神によって破壊されたと神話的にみなされることになる<ref group="私注">この文も間違った内容を含むと管理人は考える。</ref>。もしエススが植物神で、かつては木に象徴されていたとすれば、ルカヌスの「ファルサリア」が伝えるように、エススへの人間の生け贄が木に吊るされていたことが説明できるだろう<ref group="私注">これはむしろ「吊された人間」の方が植物の化身と考えられたからではないか、と考える。</ref>。エススはパリとトリーヴで崇拝され、イングランドではエススの名を持つコインが発見された。また、イングランド、フランス、スイスでは、エスゲノス(エスースの息子)、エスナートス(エスースの力を持つ者)といった人名が登場する。このように、この神への信仰は比較的広く行われていたと思われる。。エススはパリとトリーヴで崇拝され、イングランドではエススの名を持つコインが発見された。また、イングランド、フランス、スイスでは、エスゲノス(エスースの息子)、エスナートス(エスースの力を持つ者)といった人名が登場する。このように、この神への信仰は比較的広く行われていたと思われる。しかし、彼がケルトのエホバであったという証拠も、テウタテスとタラニスとともに汎ケルト的な三位一体の一員であったという証拠も、ガリア人が持ち込んだこの三位一体がドルイドに受け入れられなかったという証拠も、何もない。
</blockquote>