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== 記録 ==
『[[古事記]]』と『[[日本書紀]]』『古事記』と『日本書紀』<ref>岩波書店日本古典文学大系本『古事記』、『日本書紀』による。</ref>の説話は、大筋は同じだが、主人公の性格や説話の捉え方や全体の雰囲気に大きな差がある。ここでは浪漫的要素が強く、豪胆な主人公や父天皇に疎まれる人間関係から来る悲劇性が濃い『古事記』の説話を中心に述べる。概ね、『日本書紀』の方が天皇賛美の傾向が強く、父の天皇に忠実で信頼も厚い(『日本書紀』の説話は、『古事記』との相違点のみ逐一示す)。
=== 西征 ===
[[ファイル:YamatoTakeru.jpg|thumb|ヤマトタケル([[菊池容斎]]画)]][[ファイル:Yamato Takeru at 16-crop.jpg|thumb|女装するヤマトタケル([[月岡芳年]]画)]]
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; 古事記
: 父の寵妃を奪った兄大碓命に対する父天皇の命令の解釈の違いから、小碓命は兄を捕まえ押し潰し、手足をもいで、薦に包み投げ捨て殺害する。そのため小碓命は父に恐れられ疎まれて、九州のクマソタケル([[熊襲]]建)兄弟の討伐を命じられる。わずかな従者も与えられなかった小碓命は、まず叔母の[[倭姫命|倭比売命]]が[[斎王]]を勤めた[[伊勢国|伊勢]]へ赴き女性の衣装を授けられる。このとき彼は、いまだ少年の髪形を結う年頃であった。が斎王を勤めた伊勢へ赴き女性の衣装を授けられる。このとき彼は、いまだ少年の髪形を結う年頃であった。
; 日本書紀
: 兄殺しの話はなく、父天皇が平定した九州地方で再び叛乱が起き、16歳の小碓命を討伐に遣わしたとある。古事記と異なり倭姫の登場がなく、従者も与えられている。従者には美濃国の弓の名手である弟彦公が選ばれる。弟彦公は石占横立、尾張の田子稲置、乳近稲置を率いて小碓命のお供をしたという。兄殺しの話はなく、父天皇が平定した九州地方で再び叛乱が起き、16歳の小碓命を討伐に遣わしたとある。古事記と異なり倭姫の登場がなく、従者も与えられている。従者には'''美濃国'''の弓の名手である弟彦公が選ばれる。弟彦公は石占横立、'''尾張'''の田子稲置、乳近稲置を率いて小碓命のお供をしたという。
; 先代旧事本紀
: (景行天皇)二十年(中略)冬十月 遣日本武尊 令擊熊襲 時年十六歲 <small>按日本紀 當作二十七年</small><ref>[http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sendaikuji/sendaikuji07.htm 先代舊事本紀卷第七 天皇本紀]</ref>とあるのみ。
; 古事記
: その後、倭建命は山の神、河の神、また穴戸の神を平定し、[[出雲国|出雲]]に入り、その後、倭建命は山の神、河の神、また穴戸の神を平定し、出雲に入り、[[出雲建]]と親交を結ぶ。しかし、ある日、出雲建の[[大刀]]を偽物と交換して大刀あわせを申し込み、殺してしまう。そうして「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 つづらさは巻き さ身無しにあはれ」と“出雲建の大刀は、つづらがたくさん巻いてあって派手だが刃が無くては意味がない、可哀想に”と歌う。こうして各地や国を払い平らげて、朝廷に参上し復命する。と親交を結ぶ。しかし、ある日、出雲建の大刀を偽物と交換して大刀あわせを申し込み、殺してしまう。そうして「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 つづらさは巻き さ身無しにあはれ」と“出雲建の大刀は、つづらがたくさん巻いてあって派手だが刃が無くては意味がない、可哀想に”と歌う。こうして各地や国を払い平らげて、朝廷に参上し復命する。
; 日本書紀
: [[崇神天皇]]の条に崇神天皇の条に[[出雲振根]]と弟の[[飯入根]]の物語として、酷似した話があるが、日本武尊の話としては出雲は全く登場しない。熊襲討伐後は毒気を放つ吉備の穴済の神や難波の柏済の神を殺して、水陸の道を開き、天皇の賞賛と寵愛を受ける。
=== 東征 ===

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