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鈴鹿御前は、百間構えの屋形に住んでいたという。
奥浄瑠璃『田村三代記』では、表の庭に清水を流し、五色の山池の渚には黄赤白の花が咲き乱れ、池の上には金剛瑠璃の橋が架かり、擬宝珠高欄に銀の歩みの板を渡している。奥には十二の門が立ち、金銀の砂が敷かれた庭を歩けばりんりんからりんと音が響く。屋形は七宝の柱巻、桁、梁に至るまで金銀が鏤められ、雲間縁や高麗縁の畳が敷かれている。床違棚には金銀の香炉、欄射や浮舟の名香の煙が立ち上ぼり、格天井に横打ち返され、その光景は極楽世界のようである{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|pags=26, pags26-27}}{{Sfn|</ref><ref>阿部|, 2004|pages=293, pages293-295}}</ref>
奥の部屋は、東には春霞たなびく花盛り、鶯は軒端の梅に羽を休め、妙の一字を囀ずる春の季節が描かれている。南には卯の花や牡丹・芍薬が咲き、池の小鳥や橋の下にはうつぼ舟や釣の船が朱や錦の糸にて繋がれている夏の季節が、西には誰れ松虫や鈴虫が声優しくも音信れて淋しさ勝る秋の暮が描かれている。北には積もれる雪に白兎の物欲しげにすくみたる冬の季節が描かれ、部屋は四季の光景に飾られている{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|pags=26, pags26-27}}{{Sfn|</ref><ref>阿部|, 2004|pages=293, pages293-295}}</ref>
遥か向こうには十二単衣の装束に紅の袴を着た鈴鹿御前が、瑠璃の卓に寄り掛かって学問をしている。纐纈の袋に琴を入れて右手に置き、[[三明の剣]]を左手に飾って置いている{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|pags=26, pags26-27}}{{Sfn|</ref><ref>阿部|, 2004|pages=293, pages293-295}}</ref>
== 地方伝説 ==
=== 岩手県 ===
==== 岩手山 ====
{{See also|大武丸}}岩手県の[[最高峰]]である[[岩手山]]は、田村丸が山頂にある鬼ヶ城に棲んだ鬼を退治したたころで、のちに田村丸が岩鷲大夫権現(岩鷲山大権現)として現れ、烏帽子岳([[乳頭山]])は田村丸の妻である岩手県の最高峰である岩手山は、田村丸が山頂にある鬼ヶ城に棲んだ鬼を退治したたころで、のちに田村丸が岩鷲大夫権現(岩鷲山大権現)として現れ、烏帽子岳(乳頭山)は田村丸の妻である'''立烏帽子神女'''が、[[姫神山 (岩手県)|姫神山]]は2人の間に産まれたが、姫神山は2人の間に産まれた[[小りん|松林姫]]が現れたとされている{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|page=249}}。これら伝承は旧[[仙台藩]]や[[北上川]]流域を中心に語られていた奥浄瑠璃『田村三代記』の影響から発生した伝説ではなく、[[南部氏]]が[[盛岡藩|盛岡]]に本拠を構えた近世初頭に古浄瑠璃を下にした本地譚が創出されて成立した伝説と考えられている{{Sfn|, page249</ref>。これら伝承は旧仙台藩や北上川流域を中心に語られていた奥浄瑠璃『田村三代記』の影響から発生した伝説ではなく、南部氏が盛岡に本拠を構えた近世初頭に古浄瑠璃を下にした本地譚が創出されて成立した伝説と考えられている<ref>阿部|, 2004|page=249}}, page249</ref>
==== 遠野三山 ====
岩手県[[遠野]]では、坂田村麻呂が東征の時に奥州に[[国津神]]の後胤という「玉山立烏帽子姫」という女神がおり、その美貌から[[蝦夷|夷]]の[[酋長]]岩手県遠野では、坂田村麻呂が東征の時に奥州に国津神の後胤という「玉山立烏帽子姫」という女神がおり、その美貌から夷の酋長[[大岳丸]]に言い寄られるも応じることはなかった。田村麻呂は[[勅使]]を奉じて東北の地に下だり、この立烏帽子姫の案内によって蝦夷を討伐し、頭領である大岳丸を[[岩手山]]で討ち取った。立烏帽子姫は田村麻呂と夫婦の契りを結びに言い寄られるも応じることはなかった。田村麻呂は勅使を奉じて東北の地に下だり、この立烏帽子姫の案内によって蝦夷を討伐し、頭領である大岳丸を岩手山で討ち取った。立烏帽子姫は田村麻呂と夫婦の契りを結び[[田村義道]]と[[松林姫]]の一男一女を産んだ。義道は奥州[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]の祖であり、松林姫はお石、お六、お初の三女を産んだ。お石は[[守護神]]であるの一男一女を産んだ。義道は奥州安倍氏の祖であり、松林姫はお石、お六、お初の三女を産んだ。お石は守護神である[[祓戸大神|速佐須良姫]]の[[御霊代]]を奉じ[[石上山]]に登った。お六はの御霊代を奉じ石上山に登った。お六は[[速秋津比売神|速秋津比売]]の御霊代を奉じ[[六角牛山|六角牛]]に登った。お初はの御霊代を奉じ六角牛に登った。お初は[[瀬織津姫|瀬織津比咩]]を奉じ[[早池峰山|早池峯]]に登ったというを奉じ早池峯に登ったという<ref>[[佐々木喜善]]『佐々木喜善全集 III』([[遠野市立博物館]]、1992年)222項。佐々木喜善『佐々木喜善全集 III』(遠野市立博物館、1992年)222項。</ref>。
=== 宮城県 ===
[[宮城県]][[白石市]]に鎮座する[[田村神社 (白石市)|田村神社]]では鈴鹿神女として夫である坂上田村麻呂と共に祀られている。田村将軍が東征の際に宮城県白石市に鎮座する田村神社では鈴鹿神女として夫である坂上田村麻呂と共に祀られている。田村将軍が東征の際に[[悪路王]]や赤頭という荒土や[[丹砂]]を塗って化けた妖魁を鈴鹿御前の援助で討伐したのでこの地に2人を祭祀した{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|pages=116, pages116-117}}</ref>
=== 秋田県 ===
[[天明]]5年(1785年)湯沢に滞在した[[菅江真澄]]が土地の老人から聞いた話では、松岡の切畑山(現[[秋田県]][[湯沢市]]内)に天明5年(1785年)湯沢に滞在した菅江真澄が土地の老人から聞いた話では、松岡の切畑山(現秋田県湯沢市内)に[[あくる王]]という鬼がおり、その妻「立烏帽子」は鬼の術で夜ごと鈴鹿山から通っていたが、夫婦ともに田村利仁に斬られたという<ref>「小野のふるさと」(『菅江真澄全集 1』未来社、1976年)</ref>。『田村三代記』の登場人物である田村利仁としていることから、『田村三代記』が語られた江戸時代以降に創出されて成立した伝説と考えられる。
=== 三重県・和歌山県 ===
[[紀伊半島]]南部に位置する[[熊野]]では『紀州熊野大泊観音堂略縁起』に「紀伊半島南部に位置する熊野では『紀州熊野大泊観音堂略縁起』に「[[大嶽丸|鬼神魔王]]が蜂起して日本で人々を殺害し困らせたため、[[平城天皇]]が坂上田村麻呂に鎮定を命じた。田村麻呂は伊勢鈴鹿から出陣して凶徒を退治するものの、討ち漏らしたものたちが熊野へ逃げて深山幽谷に身を隠した。八鬼山、九鬼、三木などで敵を討つものの鬼王はしぶとく逃れて、行方がわからなくなった。田村麻呂は高山に登って「立烏帽子」を心に念じ一心に祈ると、雲の中で天女が南の海辺の岩屋(が蜂起して日本で人々を殺害し困らせたため、平城天皇が坂上田村麻呂に鎮定を命じた。田村麻呂は伊勢鈴鹿から出陣して凶徒を退治するものの、討ち漏らしたものたちが熊野へ逃げて深山幽谷に身を隠した。八鬼山、九鬼、三木などで敵を討つものの鬼王はしぶとく逃れて、行方がわからなくなった。田村麻呂は高山に登って「立烏帽子」を心に念じ一心に祈ると、雲の中で天女が南の海辺の岩屋([[鬼ヶ城]])に悪鬼([[金平鹿]])が隠れていると告げて消えた」と田村麻呂の手助けをしている{{Sfn|<ref>桐村|, 2012|pages=12, pages12-16}}</ref>
=== 京都府 ===
[[京都]][[祇園祭]]の[[山車|山鉾]]のひとつ「[[鈴鹿山 (山鉾)|鈴鹿山]]」は、鈴鹿御前が「悪摩」、あるいは鈴鹿山の鬼「立ゑぼし」を退治した伝承に基づくという京都祇園祭の山鉾のひとつ「鈴鹿山」は、鈴鹿御前が「悪摩」、あるいは鈴鹿山の鬼「立ゑぼし」を退治した伝承に基づくという<ref name="#2">宝暦7年(1757年)刊「祇園会細記」(真弓常忠編『祇園信仰事典』戎光祥出版、2002年)</ref>。この故事にちなんで鈴鹿権現([[瀬織津姫|瀬織津姫尊]])を祀り、金の[[烏帽子]]に[[長刀|大長刀]]を持つ女人の姿であらわしている)を祀り、金の烏帽子に大長刀を持つ女人の姿であらわしている<ref>{{Cite web|url=http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/suzukayama.html|title=, 鈴鹿山 | , 山鉾について|publisher=, 祇園祭山鉾連合会|accessdate=, 2018-8-31}}</ref><ref name="#2"/>{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|pages=91, pages91-92}}</ref>
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E9%B9%BF%E5%BE%A1%E5%89%8D 鈴鹿御前](最終閲覧日:22-10-31)** 阿部幹男|authorlink=阿部幹男|title=, 東北の田村語り|publisher=[[, 三弥井書店]]|series=[[, 三弥井民俗選書]]|date=, 2004-01-21|, isbn=:4-8382-9063-2|ref=harv}}* {{Cite book|和書|author=* 桐村栄一郎|authorlink=桐村栄一郎|title=, 熊野鬼伝説-坂上田村麻呂 英雄譚の誕生|publisher=[[, 三弥井書店]]|date=, 2012-1|, isbn=:978-4-8382-3221-5|ref=harv}}* {{Cite book|和書|author=関幸彦|authorlink=* 関幸彦|title=, 英雄伝説の日本史|publisher=[[, 講談社]]|series=[[, 講談社学術文庫]] 2592|date=, 2019-12-10|, isbn=:978-4-06-518205-5|ref=harv}}* {{Cite book|和書|author=* 内藤正敏|authorlink=内藤正敏|title=, 鬼と修験のフォークロア|publisher=[[, 法政大学出版局]]|series=, 民俗の発見|date=, 2007-03-01|, isbn=:978-4-588-27042-0|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[鈴鹿流坂上田村麻呂伝説]] - [[薙刀術]]の流派。片山神社の鳥居横に「鈴鹿流薙刀術発祥之地」と彫られた石碑が建つ<ref>児玉幸多監修『東海道五十三次を歩く〈5〉四日市~鈴鹿峠琵琶湖~三条大橋 』(講談社、1999年)</ref>。
* [[悪玉姫]]

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