== 経歴 ==
現在の山東省済寧市周辺に勢力を持ち[[伏羲]]を祖とした有仍氏の娘<ref>『春秋左氏伝』などによれば、相の妻(少康の生母にあたる)も、おなじく有仍氏出身の娘である緡(びん)という女性である。</ref>で、はじめ[[后夔]](こうき)のもとに嫁ぎ[[伯封]](はくほう)を産む。中康3年に[[羿|后羿]](こうげい)によって伯封が殺害された後、后羿の妃となるが、伯封の仇を取る為、またその恨みの為に、相8年に后羿の臣下で王位を狙っていた[[寒浞]](かんさく)と共に狩猟後の宴で'''酔っ払っていた'''后羿を殺害し<ref>『通鑑前編』「八歳寒浞殺羿」</ref><ref group="私考">[[八俣遠呂智神話]]と類似点があるように思う。</ref>、後に寒浞の后となった。寒浞との間には[[澆]](奡、ぎょう)と[[豷]](えい)という子を設けている。
== 各名称について ==