東周時代に書かれたとされる『山海経』の大荒西経によると、西王母は「西王母の山」または「玉山」と呼ばれる山を擁する崑崙の丘に住んでおり、西山経には
:「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)、よく唸る。蓬髻長髪に「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)、よく唸る<ref>西王母のトーテムがネコ科の大型の動物であることが示唆される。</ref>。蓬髻長髪に'''玉勝'''(宝玉の頭飾)を戴く。彼女は天の厲と五残(疫病と五種類の刑罰)を司る。」
という半人半神の姿で描写されている<ref>徐, 1998, pp164-222</ref>。また、海内北経には
:「西王母は几(机)によりかかり、勝を戴き、杖をつく」
また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるともいい(『海内北経』)、これらの鳥の名は大鶩、小鶩、青鳥であるという(『大荒西経』)。
=== 人間への遷移 医薬神としての西王母 ===春秋時代に形成され、戦国時代に流布された『穆天子伝』によれば、周の穆王が西に巡符して「西王母の邦」で最高の礼を尽くして彼女に会い、3年間逗留して帰国したという。この物語での西王母は完全に人間の姿で描かれている。なお、西王母の邦は洛陽から西に1000キロメートルの位置にあったという。西王母は、不老不死の仙桃([[バントウ|蟠桃]])を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるにいたった。'''王母へ生贄を運ぶ役目だった青鳥'''<ref group="私注">この青鳥も「'''境界神'''」といえる。</ref>も、「西王母が宴を開くときに出す使い鳥」という役どころに姿を変え、やがては「青鳥」といえば「知らせ、手紙」という意味に用いられるほどになったのである。中国民間では旧暦三月三日の「桃の節句」が西王母の誕辰で、この日には神々が彼女の瑶池に集まって蟠桃会を行なうと伝えている<ref>劉, 1994, p=379</ref><ref>『西王母と七夕伝承』p. 94.</ref><ref>『燕京歳時記—北京年中行事記』p. 73.</ref><ref>『アジア佛教史・中国編 Ⅲ 現代中国諸宗教—民衆宗教の系譜—』p. 28.</ref>。 『淮南子』では、西王母が持していた'''不死の薬'''を姮娥(恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。 班固の『漢武内伝』によれば、前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は墉宮玉女たち(西王母の侍女)とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという<ref name="漢武内伝">『漢武内伝』 , 2021/08/20 , https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%AD%A6%E5%B8%9D%E5%85%A7%E5%82%B3, ウィキソース</ref>。さらに秘術の経典『五岳真形図』と養生の経典『霊光生経』を授与することがある<ref name="漢武内伝" />。『漢武内伝』は西王母の美しい容姿を初めて描写している。西王母は黄金色に光り輝く華美な衣装を纏い、霊飛大綬を佩用し、頭は太華髻を作り、太真晨嬰の冠を戴き、玄瓊鳳文の靴を履き、腰には分頭の剣(あるいは分景の剣<ref>『欽定古今図書集成』巻二百八十六, 2021/08/23, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AC%BD%E5%AE%9A%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%9C%96%E6%9B%B8%E9%9B%86%E6%88%90/%E7%B6%93%E6%BF%9F%E5%BD%99%E7%B7%A8/%E6%88%8E%E6%94%BF%E5%85%B8/%E7%AC%AC286%E5%8D%B7, ウィキソース</ref>)を帯びた三十歳くらいの絶世の美女である<ref name="漢武内伝" />。『漢武内伝』に登場する西王母の侍女の名前は、王子登、董双成、石公子、許飛瓊、阮凌華、范成君、段安香、安法嬰、郭密香、田四飛、李慶孫、宋霊賓である<ref name="漢武内伝" />。漢末の建平4年(紀元前3年)、華北地方一帯に西王母のお告げを記したお札が拡散し、騒擾をもたらしたという記述が、『漢書』の「哀帝紀」や「五行志」に見える。
=== 女仙への遷移 ===漢代になると西王母は神仙思想と結びついて変容していった。両性具有から男性的な要素が対となる男神の東王父として分離し<ref>徐, 1998, pp164-178</ref>、ともに不老不死の支配者という性格が与えられていった。人間の'''死と生命を司る女神'''であった西王母は、「死と生命を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。
『荘子』によれば、西王母を得道の真人としているし、『淮南子』では、西王母が持していた'''不死の薬'''を姮娥(恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。清代学者である丁謙の『穆天子伝地理考証』によれば、西王母はカルデアの月神と考えられている。==== 女神の地位の低下を図る中傷系 ====丹波康頼の『医心方』では、『玉房秘訣』によれば、西王母は陰を養って得道した者で、彼女には夫がなく、童男(男の子)と性交するのが好きだったが、西王母と関係を持った人間の男はすぐ病にかかったという<ref>『医心方』巻二十八, 2021/09/09, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%86%AB%E5%BF%83%E6%96%B9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB, ウィキソース</ref>。
人間の=== 子安神としての西王母 ===清代の文人・屈大均の『広東新語』によれば、西王母は人々に寿・福・禄を注したと伝えられ、送子(授児)と助産の神格を有し、弟子たち(若飛瓊、董双成、萼緑華など)とともに7''嬰児の保護神'非業の永生を司る女神'''であった西王母であったが、「死と生命を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。でもある<ref>『広東新語』巻六 神語, 2021/10/26, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BB%A3%E6%9D%B1%E6%96%B0%E8%AA%9E/%E5%8D%B706#西王母, ウィキソース</ref>。
六朝時代に道教が成立すると、道教の文献『元始上真衆仙記』に収録された東晋時代の道教研究家である葛洪の「枕中書」の中で東王父と西王母は、元始天王<ref group="私注">伏羲ともいえるか?</ref>と太元玉女(太元聖母とも呼ばれている)との間に生まれた== 軍神としての西王母 ===張君房の『雲笈七籤』によれば、西王母は配下である戦の女神・[[九天玄女]]を派遣し、'''双生の神[[黄帝]]が[[蚩尤]]に勝つための兵法と神符を授けた'''であり、陽の気と陰の気の神格化と考えられるとされる<ref>『元始上真衆仙記』「葛洪枕中書」『雲笈七籤』巻一百一十四, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%85%83%E5%A7%8B%E4%B8%8A%E7%9C%9F%E7%9C%BE%E4%BB%99%E8%A8%98, ウィキソース</ref>。その後の西王母の来歴を記した道教の文献によれば、西王母は西華の至妙の気によって化生し、神洲伊川に生まれ、生まれつき飛翔することができ、陰霊の気を主宰する。頭に勝を戴き、虎の歯を持つ唸る者は西王母の使い、金方白虎の神で、西王母の真形ではない<ref>『広博物志』巻十三, 2021/08/21, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BB%A3%E5%8D%9A%E7%89%A9%E5%BF%97_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B713, ウィキソース</ref>。西王母は極めて強い陰の気の本源であり、東王父とともに万物を生み育み、その位は西方に配され、天上天下、三界十方の女性の登仙得道した者(天に昇って仙人になる女性)は、みな彼女のもとに所属する。<ref>『墉城集仙録』巻一。『歴世真仙体道通鑑後集』巻一。『太平広記』巻五十六。</ref>張君房の『雲笈七籤』に収録された「道蔵三洞経」には、西王母は太陰の元気で、姓は自然で字は君思で、下は崑崙の山を治め、上は'''北斗を治める'''<ref>『雲笈七籤』巻十八, 2021/08/21, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%B2%E7%AC%88%E4%B8%83%E7%B1%A4/18114#%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E4%BB%99西王母傳, ウィキソース</ref>。道教の文献『上清霊宝大法』では、西王母は梵気の祖(あるいは万気の母<ref>『上清霊宝大法』巻二十六「行道章」, 2021/10/26 |url=http://www.daorenjia.com/daoz26-1376-1088, 道人家</ref>)と言われている<ref>『上清霊宝大法』巻四, 2021/10/26 , https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B8%85%E9%9D%88%E5%AF%B6%E5%A4%A7%E6%B3%95_(%E7%8E%8B%E5%A5%91%E7%9C%9F)/4#大行梵炁, ウィキソース</ref><ref namegroup="太上洞玄霊宝無量度人上品経法私注"/>。また明末清初の文人・徐道による『歴代神仙通鑑』では、木公(東王父)は金母(西王母)との間に九人の子と五人の娘を生んだ<ref>『歴代神仙通鑑』巻一, 2021/08/20, https://books.google.com.sg/books?id=Y_hTAAAAcAAJ&pg=PP261&dq=%E6%9C%A8%E5%85%AC+%E9%87%91%E6%AF%8D++%E4%B9%9D%E5%AD%90%E4%BA%94%E5%A5%B3&hl=zh-CN&sa=X&ved=2ahUKEwjL_fmA0L7yAhUIT30KHTdRBwUQ6AEwAHoECAQQAg#v=onepage&q=%E6%9C%A8%E5%85%AC%20%E9%87%91%E6%AF%8D%20%20%E4%B9%9D%E5%AD%90%E4%BA%94%E5%A5%B3&f=false, Google ブックス</ref>。一説には西王母は'''八人の子を生み'''、南極長生大帝はその長子だった<ref>『霊宝領教済度金書』巻二百六十, 2021/10/26, http://www.daorenjia.com/daoz26-1383-1792, 道人家西王母の軍神としての性質は分離されて[[九天玄女]]として発展していったように思う。</ref>。
班固の『漢武内伝』によれば、前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は墉宮玉女たち(西王母の侍女)とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという<ref name="漢武内伝">『漢武内伝』 , 2021/08/20 , https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%AD%A6%E5%B8%9D%E5%85%A7%E5%82%B3, ウィキソース</ref>。さらに秘術の経典『五岳真形図』と養生の経典『霊光生経』を授与することがある== 母神としての西王母 ===道教の文献『太上老君説常清静経 杜光庭註』では、西王母は諸天神王帝主の母で、崑崙に居る。『天地論』によれば、西王母は崑崙西側の黄河の水の出るところに居る(一説には'''西亀の山'''に居て、'''龍山'''とも言い、これは九気の根紐、真土の淵府、西北の角、亥子の間である<ref name="漢武内伝太上洞玄霊宝無量度人上品経法" />。『漢武内伝』は西王母の美しい容姿を初めて描写している。西王母は黄金色に光り輝く華美な衣装を纏い、霊飛大綬を佩用し、頭は太華髻を作り、太真晨嬰の冠を戴き、玄瓊鳳文の靴を履き、腰には分頭の剣(あるいは分景の剣)。西王母は天地の母である。また、天公・地母は神々と三界を統率し、天上天下、西王母を至尊の母とみなす。<ref>『欽定古今図書集成』巻二百八十六『太上老君説常清静経杜光庭註』, 2021/0810/2326, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AC%BD%E5%AE%9A%E5%8FA4%A4AA%E4%BBB8%8A%E5E8%9C80%9681%E6E5%9B%B8%E990%9B%86E8%E6AA%88AA%90/E5%E7B8%B6%93B8%E6%BFB8%9F85%E5E9%BD9D%999C%E7%B7B6%A8/93%E6%889D%8E%E6%94%BF9C%E5%85%B8/89%E7E5%ACBA%AC286AD%E5E8%8DA8%B7BB, ウィキソース</ref>)を帯びた三十歳くらいの絶世の美女である<ref namegroup="漢武内伝私注" />。『漢武内伝』に登場する西王母の侍女の名前は、王子登、董双成、石公子、許飛瓊、阮凌華、范成君、段安香、安法嬰、郭密香、田四飛、李慶孫、宋霊賓である西王母は'''神々の母'''として確立していったようである。</ref name="漢武内伝" />。漢末の建平4年(紀元前3年)、華北地方一帯に西王母のお告げを記したお札が拡散し、騒擾をもたらしたという記述が、『漢書』の「哀帝紀」や「五行志」に見える。
道教の文献『太上老君説常清静経 杜光庭註』では、西王母は諸天神王帝主の母で、崑崙に居る。『天地論』によれば、西王母は崑崙西側の黄河の水の出るところに居る(一説には'''西亀の山'''に居て、'''龍山'''とも言い、これは九気の根紐、真土の淵府、西北の角、亥子の間である<ref name="太上洞玄霊宝無量度人上品経法"/>)。西王母は天地の母である。また、天公・地母は神々と三界を統率し、天上天下、西王母を至尊の母とみなす。<ref>『太上老君説常清静経杜光庭註』, 2021/10/26, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%B8%8A%E8%80%81%E5%90%9B%E8%AA%AA%E5%B8%B8%E6%B8%85%E9%9D%9C%E7%B6%93%E6%9D%9C%E5%85%89%E5%BA%AD%E8%A8%BB, ウィキソース</ref>== 人間への遷移 ===春秋時代に形成され、戦国時代に流布された『穆天子伝』によれば、周の穆王が西に巡符して「西王母の邦」で最高の礼を尽くして彼女に会い、3年間逗留して帰国したという。この物語での西王母は完全に人間の姿で描かれている。なお、西王母の邦は洛陽から西に1000キロメートルの位置にあったという。
張君房の『雲笈七籤』によれば、西王母は配下である戦の女神・[[九天玄女]]を派遣し、'''[[黄帝]]が[[蚩尤]]に勝つための兵法と神符を授けた'''とされる=== 女仙への遷移 ===漢代になると西王母は神仙思想と結びついて変容していった。両性具有から男性的な要素が対となる男神の東王父として分離し<ref>『雲笈七籤』巻一百一十四, 2021<ref group="私注">西王母は元々女神なのであって、両性具有ではないと考える。</08/20ref>徐, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%B2%E7%AC%88%E4%B8%83%E7%B1%A4/114#西王母傳1998, ウィキソースpp164-178</ref>。、東王父にも不老不死の支配者という性格が与えられていった。
丹波康頼の『医心方』では、『玉房秘訣』によれば、西王母は陰を養って得道した者で、彼女には夫がなく、童男(男の子)と性交するのが好きだったが、西王母と関係を持った人間の男はすぐ病にかかったという『荘子』によれば、西王母を得道の真人としている。清代学者である丁謙の『穆天子伝地理考証』によれば、西王母はカルデアの月神と考えられている<refgroup="私注">『医心方』巻二十八, 2021/09/09, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%86%AB%E5%BF%83%E6%96%B9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB, ウィキソースどのような意味でこう述べているのかが不明だが、西王母は北東アジア起源の女神だと個人的には思う。</ref>。
清代の文人・屈大均の『広東新語』によれば、西王母は人々に寿・福・禄を注したと伝えられ、送子(授児)と助産の神格を有し、弟子たち(若飛瓊、董双成、萼緑華など)とともに7六朝時代に道教が成立すると、道教の文献『元始上真衆仙記』に収録された東晋時代の道教研究家である葛洪の「枕中書」の中で東王父と西王母は、元始天王<ref group="私注">伏羲ともいえるか?</ref>と太元玉女(太元聖母とも呼ばれている)との間に生まれた''嬰児の保護神'双生の神''でもある'であり、陽の気と陰の気の神格化と考えられる<ref>『広東新語』巻六 神語『元始上真衆仙記』「葛洪枕中書」, 2021/1008/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%85%83%E5%A7%8B%E4%B8%8A%E7%9C%9F%E7%9C%BE%E4%BB%99%E8%A8%98, ウィキソース</ref>。その後の西王母の来歴を記した道教の文献によれば、西王母は西華の至妙の気によって化生し、神洲伊川に生まれ、生まれつき飛翔することができ、陰霊の気を主宰する。頭に勝を戴き、虎の歯を持つ唸る者は西王母の使い、金方白虎の神で、西王母の真形ではない<ref>『広博物志』巻十三, 2021/08/2621, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BB%A3%E5%8D%9A%E7%89%A9%E5%BF%97_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B713, ウィキソース</ref>。西王母は極めて強い陰の気の本源であり、東王父とともに万物を生み育み、その位は西方に配され、天上天下、三界十方の女性の登仙得道した者(天に昇って仙人になる女性)は、みな彼女のもとに所属する。<ref>『墉城集仙録』巻一。『歴世真仙体道通鑑後集』巻一。『太平広記』巻五十六。</ref>張君房の『雲笈七籤』に収録された「道蔵三洞経」には、西王母は太陰の元気で、姓は自然で字は君思で、下は崑崙の山を治め、上は'''北斗を治める'''<ref>『雲笈七籤』巻十八, 2021/08/21, https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%B2%E7%AC%88%E4%B8%83%E7%B1%A4/18#%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E4%BB%99, ウィキソース</ref>。道教の文献『上清霊宝大法』では、西王母は梵気の祖(あるいは万気の母<ref>『上清霊宝大法』巻二十六「行道章」, 2021/10/26 |url=http://www.daorenjia.com/daoz26-1376-1088, 道人家</ref>)と言われている<ref>『上清霊宝大法』巻四, 2021/10/26 , https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B8%85%E9%9D%B188%E5%AF%B6%E5%A4%A7%E6%96B3%95_(%E7%8E%8B%E5%A5%B091%E8E7%AA9C%9E9F)/4#大行梵炁, ウィキソース</ref><ref name="太上洞玄霊宝無量度人上品経法"/>。また明末清初の文人・徐道による『歴代神仙通鑑』では、木公(東王父)は金母(西王母)との間に九人の子と五人の娘を生んだ<ref>『歴代神仙通鑑』巻一, 2021/08/20, https://books.google.com.sg/books?id=Y_hTAAAAcAAJ&pg=PP261&dq=%E6%9C%A8%E5%85%AC+%E9%87%91%E6%AF%8D++%B706E4%B9%9D%E5%AD%90%E4%BA%94%E5%A5%B3&hl=zh-CN&sa=X&ved=2ahUKEwjL_fmA0L7yAhUIT30KHTdRBwUQ6AEwAHoECAQQAg#西王母v=onepage&q=%E6%9C%A8%E5%85%AC%20%E9%87%91%E6%AF%8D%20%20%E4%B9%9D%E5%AD%90%E4%BA%94%E5%A5%B3&f=false, Google ブックス</ref>。一説には西王母は'''八人の子を生み'''、南極長生大帝はその長子だった<ref>『霊宝領教済度金書』巻二百六十, 2021/10/26, ウィキソースhttp://www.daorenjia.com/daoz26-1383-1792, 道人家</ref>。
=== 道教における天の女帝 ===
西王母はかつての「人頭獣身の女神」から「天界の美しき最高仙女」へと完全に変化し、不老不死の仙桃([[バントウ|蟠桃]])を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるにいたった。'''王母へ生贄を運ぶ役目だった青鳥'''<ref group="私注">この青鳥も「'''境界神'''」といえる。</ref>も、「西王母が宴を開くときに出す使い鳥」という役どころに姿を変え、やがては「青鳥」といえば「知らせ、手紙」という意味に用いられるほどになったのである。中国民間では旧暦三月三日の「桃の節句」が西王母の誕辰で、この日には神々が彼女の瑶池に集まって蟠桃会を行なうと伝えている<ref>劉, 1994, p=379</ref><ref>『西王母と七夕伝承』p. 94.</ref><ref>『燕京歳時記—北京年中行事記』p. 73.</ref><ref>『アジア佛教史・中国編 Ⅲ 現代中国諸宗教—民衆宗教の系譜—』p. 28.</ref>。
『封神演義』では「瑶池金母」という名前で登場し、昊天上帝の妻であり、竜吉公主はその娘ということになっている。『西遊記』では無数の珍しい宝物を持つ天界一の貴婦人である。現在の伝説では[[玉皇大帝]]の妻として傍らに座しているとされ、七人の娘(七仙女)がいるとされる<ref>これは西王母が「人類の始祖」とされていた名残ではないだろうか。</ref>。道教の文献に記載された西王母の娘の名前は、四番目の娘・南極王夫人(林)<ref name="歴世三">『歴世真仙体道通鑑後集』巻三, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AD%B7%E4%B8%96%E7%9C%9F%E4%BB%99%E9%AB%94%E9%81%93%E9%80%9A%E9%91%91%E5%BE%8C%E9%9B%86/3#歷世真仙體道通鑑後集卷之三, ウィキソース</ref>、十三番目の娘・右英王夫人(媚蘭)<ref name="歴世三" />、二十番目の娘・紫微王夫人(清娥)<ref name="歴世三" />、二十三番目の娘・雲華夫人(瑤姫)<ref>『墉城集仙録』巻三, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A2%89%E5%9F%8E%E9%9B%86%E4%BB%99%E9%8C%84/%E5%8D%B703, ウィキソース</ref><ref>『歴世真仙体道通鑑後集』巻二, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AD%B7%E4%B8%96%E7%9C%9F%E4%BB%99%E9%AB%94%E9%81%93%E9%80%9A%E9%91%91%E5%BE%8C%E9%9B%86/2#雲華夫人, ウィキソース</ref>、そして末娘の太真王夫人(婉羅<ref>『墉城集仙録』巻四, 2021/08/20, https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A2%89%E5%9F%8E%E9%9B%86%E4%BB%99%E9%8C%84/%E5%8D%B704 |publisher=ウィキソース</ref>あるいは玉巵<ref>『有象列仙全伝』巻一, 2021/08/20, http://gmzm.org/bbooks/%E5%AE%97%E6%95%99%E5%93%B2%E5%AD%A6/%E6%9C%89%E8%B1%A1%E5%88%97%E4%BB%99%E5%85%A8%E4%BC%A0/index.asp?page=20 |publisher=光明之門</ref>)である<ref name="歴世三" />。『東遊記』には華林、媚嫻、青娥、瑤姫、王扈という五人の名前が出ている<ref>『東遊記』第四十七回, 2021/08/18, https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%81%8A%E8%A8%98/%E7%AC%AC47%E5%9B%9E, ウィキソース</ref>。
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