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、 2022年9月21日 (水) 00:05
'''無支祁'''(むしき、ぶしき<ref>袁珂(鈴木博 訳)『中国の神話伝説』は「ぶしき」と本文で読みがなを付しているが、索引では「むしき」を立てている。</ref>)は[[中国]]に伝わる[[妖怪]]である。'''無支奇'''、'''巫支祁'''(ふしき)とも。中国語ではウーチーチー(Wuzhiqi)と呼ぶ<ref>[https://dic.pixiv.net/a/%E7%84%A1%E6%94%AF%E5%A5%87 無支奇]、pixiv百科事典(最終閲覧日:22-09-20)</ref>。
== 概説 ==
古代の帝のひとりである[[禹]](う)が天下の治水を進めていた時代に現われた水にまつわる怪物で、[[猿]](猿猱)のようなすがたをしており、頭は白く体は青く、首を100尺も伸ばすことができ、ちからは[[ゾウ|象]]の大群よりも強く、動作も非常に敏捷であったという。何度も禹王の臣下がこれを鎮めようとしたが失敗、やっと庚辰(こうしん)によって、大索(太くて強い縄)と金鈴をつけられ亀山(きざん)に封じられたとされる<ref> [[袁珂]] 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、[[青土社]]、[[1993年]] 344-346頁</ref><ref name="kappa" />。
[[禹]]による無支祁退治の記録は『[[太平広記]]』に収められた説話(巻467「李湯」)に登場しており、[[唐]]の時代に楚州の知事であった李湯(りとう)が水中から引きあげた巨大な猿の妖怪の話を補うかたちで示されている。それによると禹による無支祁退治の記録は『古岳瀆経』「堯九年,無支祁為孽, [[応竜]]駆之淮陽亀山足下」というぼろぼろの古文書にあったものとされており、これが示されることで李湯の話(『古岳瀆経』の見つかる話は李湯の話から48年後の[[元和 (唐)|元和]]8年であるとされる)に登場した正体不明の大猿が「無支祁」であったのであろう、ということになっている<ref name="kappa" />。[[宋 (王朝)|宋]]の時代からよく流布されるようになり[[戯曲]]などへの利用によって人々の知るところとなった<ref> [[袁珂]] 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、[[青土社]]、[[1993年]] 444頁</ref>。
人々に害をなしていた「巫支祁」という存在が禹によって封じられたという文言が『[[山海経]]』の引用であるとして『輟耕録』や『国史補』にあるのだが、現行のかたちの『山海経』には該当文は登場せず<ref name="kappa">[[石田英一郎]] 『新版 河童駒引考』 (『石田英一郎全集』5 [[筑摩書房]] 1970年 159-162頁)</ref>、『古岳瀆経』にあったとされる話以前の古いかたちは厳密には分からない部分が多い。
== 孫悟空への影響 ==
猿のすがたや能力の高さ及び山の下に封じられること、水の属性との縁のある点から、『[[西遊記]]』に登場する[[孫悟空]]の原型のひとつになっているのではないかという考察が古くから存在している。[[石田英一郎]]は、猿と水の関係性からこれを説いているほか、無支祁が大索でつなぎとめられて封じられたとされていること自体も水に関する伝説の中で関連性の高い要素であると考察している<ref name="kappa" />。
孫悟空と無支祁を結びつけて考えるような点から、『西遊記』を素材とした雑劇には孫悟空の姉妹として、無枝祁聖母・亀山聖母という登場人物が設定されていたりもした<ref>[[實吉達郎]] 『中国妖怪人物事典』 [[講談社]] 1996年 582-584頁</ref>。
== 八岐大蛇と猿田彦との関連について ==
八岐大蛇と猿田彦が同一の神である、という説がある。
<blockquote>猿田彦と八岐大蛇(ヤマタノオロチ 記では高志之八俣遠呂智 コシノヤマタノオロチ)が単に「ヤチマタノ神」を「ヤチマタノオロチ→ヤマタノオロチ」と言い換えただけの話で同じものだというのは案外知られていない。
要は「岐」を八岐大蛇のように「マタ」と読むか、猿田彦のように「チマタ」と読むかの違いで別の話に置き換えている。例えば猿田彦や八岐大蛇が『日本書紀』神代にどう記述されているのか見れば良く分かるのだが、『日本書紀』の巻が第一神代上(八岐大蛇)と第二神代下(猿田彦)に分かれている為に気が付かないのかも知れない。<br /><br />
『日本書紀』巻第一 神代上 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の段<br />
至期果有大蛇、頭尾各有八岐、眼如赤酸醤赤酸醤、此云阿箇箇鵝知、松柏生於背上而蔓延於八丘八谷之間。及至得酒、頭各一槽飲、醉而睡。時、素戔嗚尊、乃拔所帶十握劒、寸斬其蛇。至尾劒刃少缺、故割裂其尾視之、中有一劒、此所謂草薙劒也<br />
……頭と尾はそれぞれ八つに分かれ、眼は赤酸醤(あかかがち)のようで、背中には松や柏が生え、八つの丘、八つの谷の間に延びていた……<br />
<br />
『日本書紀』巻第二 神代下 猿田彦(サルタヒコ)の段<br />
有一神、居天八達之衢。其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也<br />
……天八達之衢(アマノヤチマタ)に住み、鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)目は八咫鏡(やたのかがみ)のごとく、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている<br /><br />
※松栢…高句麗では古墳の封土に松柏を植える。度々飢饉に悩まされていた高句麗は遠く現在の玉名に食糧基地を作り本国まで運んでいた。これを狗奴国(クナコク)といい高句麗系一族の筑紫家の船山古墳や虚空蔵塚古墳(コクンゾヅカコフン)にも少々育ち過ぎだが木が植えてある。但し、松柏かどうかは不明。木に詳しい方が居られれば判定して頂きたい。<br />
※赤酸醤(あかかがち)…赤ホウズキのこと<ref>[https://blog.goo.ne.jp/kawakami23takeru/e/9c05e4a5e6053454a191324db1fa251d 八岐大蛇]、日本書記、19-01-12(最終閲覧日:22-09-21)</ref><ref group="私注">非常に興味深い説なので、ここで紹介させて頂く。何故なら、猿田彦と八岐大蛇が同じものであるのなら、「オロチ」とは「ウーチーチー(Wuzhiqi)」を写した言葉ではないか、と思うからである。須佐之男とは、無支祁を倒した禹から変化した可能性のある神なのではないだろうか。</ref></blockquote>
== 参考文献 ==
* [https://blog.goo.ne.jp/kawakami23takeru/e/9c05e4a5e6053454a191324db1fa251d 八岐大蛇]、日本書記、19-01-12(最終閲覧日:22-09-21)
* [[袁珂]] 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、[[青土社]]、[[1993年]] 344-346頁
* [[中野美代子]] 『孫悟空の誕生 -サルの民話学と「西遊記」』、 玉川大学出版部 1980年
== 関連項目 ==
* [[猿神]]
* 猿田彦
== 脚注 ==
<references />
{{DEFAULTSORT:むしき}}
[[Category:中国神話]]