楊山の麓の蘿井(慶州市塔里に比定される)の林で、'''馬'''が跪いて嘶いていることに気がついた高墟村の長の蘇伐都利(ソボルトリ)がその場所に行くと、'''馬が消えてあとには大きい卵があった'''。その卵を割ると中から男の子が出てきた<ref>このため閼智(あっち)とよばれた。</ref> ので、村長たちはこれを育てた。10歳を過ぎるころには人となりが優れていたので、出生が神がかりでもあったために6村の長は彼を推戴して王とした。このとき赫居世は13歳であり、前漢の五鳳元年(前57年)のことという。即位するとともに居西干と名乗り、国号を徐那伐(ソナボル)といった。王となって5年、閼英井の傍に現れた'''龍(娑蘇夫人)の左脇(『三国史記』では右脇)から'''幼女が生まれた。娑蘇夫人がこれを神異に感じて、育て上げて井戸の名にちなんで閼英と名づけた。成長して人徳を備え、容姿も優れていたので、赫居世は彼女を王妃に迎え入れた。閼英夫人は行いが正しく、よく内助の功に努めたので、人々は赫居世と閼英夫人とを二聖と称した。
『[[三国遺事]]』王暦・新羅始祖赫居世条の伝える建国神話は、骨子は『三国史記』と同じであるが細部に違いがみられる。『三国遺事』王暦・新羅始祖赫居世条の伝える建国神話は、骨子は『三国史記』と同じであるが細部に違いがみられる。
:天から降りてきた6村の長が有徳の王を求めて評議していたところ、霊気が蘿井の麓に下ったので見に行った。白馬が跪いている様が伺えたが、そこには紫(青色)の卵があっただけで、馬は人の姿を見ると嘶いて天に昇った。卵を割ってみると中から男の子が現れ出て、その容姿は優れていた。村長たちは男の子を沐浴させると、体の中から光が出てきた。鳥や獣は舞い踊り、地は震え、日月の光は清らかであった。このことに因んで赫居世王と名づけ、居瑟邯<ref>「居西干」と同語の音写</ref>(きょしつかん、コスルガム)と号した。王となったとき赫居世は13歳であり、同時に同じく神秘的な出生をした閼英を王妃とし、国号を徐羅伐(ソラボル)・徐伐(ソボル)<ref>『三国遺事』のこの箇所には「今俗訓京宇云徐伐。以此故也。」という分注がある。徐伐(ソボル)は、首都金城(慶州市)付近を指している。ちなみに「都」(ソウル)とは無関係である。</ref> とした。国号についてはあるいは斯羅(シラ)・斯盧(シロ<ref>現代日本音ではシロだが古い音はシラ</ref>)ともいう。
『[[三国遺事]]』や『[[三国遺事]]』によると、[[中国]]の[[王室]]の娘[[娑蘇夫人]]が、夫がいないのに妊娠したので海を渡り、中国から[[辰韓]]にたどり着き、赫居世居西干とその妃[[閼英夫人]]を生んだ『三国遺事』や『三国遺事』によると、中国の王室の娘娑蘇夫人が、夫がいないのに妊娠したので海を渡り、中国から辰韓にたどり着き、赫居世居西干とその妃閼英夫人を生んだ<ref>{{Harvnb|延恩株|, 2011|p=92, p92-p. 93}}</ref><ref>{{Harvnb|野村伸一|, 2001|p=3}}, p3</ref><ref>{{Harvnb|韓国民族文化大百科事典|p=}}</ref><ref>{{Harvnb|国語国文学資料辞書|p=}}</ref>。
『[[三国遺事]]』巻五「感通第七」条には以下の記述がある『三国遺事』巻五「感通第七」条には以下の記述がある<ref>[[金思燁]]訳注『完訳 三国遺事』、[[明石書店]]、[[1997年]]、p385金思燁訳注『完訳 三国遺事』、明石書店、1997年、p385-p386 ISBN 978-4750309927</ref>。
{{quotation|{{lang|zh-Hant|其始到辰韓也。生聖子為東國始君。蓋赫居閼英二聖之所自也。故稱雞龍雞林白馬等。雞屬西故也。嘗使諸天仙織羅。緋染作朝衣。贈其夫。國人因此始知神驗。}}